幼い頃から教会へ通っていたのならば、「人を呪わば穴二つ」を知っていても不思議ではないのになあ、
等と、
妖怪イシーバを思い浮かべながら調べてみたら、
「人を呪わば穴二つ」は、聖書の言葉ではなくて、なんと、陰陽師の言葉でした。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
人を呪わば穴二つ(ひとをのろわばあなふたつ)は、平安時代からのことわざ。
概要
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他人に害を与えようとするならば、結局は自分も同じように害を受けるということのたとえ。
他人を呪って殺そうとするならば、自分もその報いで殺されるということであり、自分も殺されることになるから墓穴が2つ必要になるということである[1]。
この言葉は他人のことを悪く言ったり害を与えようとしている人に対して戒めとして用いられている[2]。
他人を呪うという行為は他人を恨むことであり恨むということは憎い相手に災いが降りかかるように願うという負の感情を含むものであり、このような負の感情はやがて自分の肉体や精神に悪影響を与えることにもなるため、現代においても人を呪わば穴二つということわざには現実味がある[3]。
由来
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この言葉は平安時代の陰陽師が由来である。
天文学などをよく知る陰陽師は吉凶を占ったり地相を診たりするのが役割であったが、後に怨霊を沈めることのできる呪術師としての地位を確立していく。
このようになった陰陽師は、戦争が行われるようになれば、その当時の権力者は陰陽師に呪術を依頼していた。
この時に陰陽師は、敵を呪い殺したならば自分も同じように呪い殺される可能性があるとして墓穴を2つ用意させていた。
このことから、「人を呪わば穴二つ」といわれるようになった[3]。
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私の勘違いでした。
てっきり、聖書の言葉だと思っていました。
もう、30年以上も勘違いしていたことになります。
通常であれば、このような言葉は、マタイ伝などで見つけるはずのものだと思い込んでいたものです。
まさか、陰陽師が発祥だなんて、思ってもいませんでした。
いやあ、思い込みは恐ろしいものですね。
何事も確認が必要です。
ネットですぐに調べることができる時代なのです。
深いところへの切り込みはそんなに簡単ではないでしょうが、
古いことわざなどは、1分もかからずに答えが出てきます。
私の場合は、PCやタブレット、携帯が必要ですが・・
あと何年かすれば、
思っただけで、答えが映像と音声で出て来るようになるのかもしれません。
眼前に瞬時に現れるような時代も、そう遠くはないような気がしますね。
そんな時代になると、妖怪世界も変革を求められるのかもしれません。
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聖書の学習と合わせて、
もし陰陽師系の学習をしていたならば、
妖怪イシーバは誕生していなかったような気がします。
特に陰陽師に限定しなくても、
その類いの学習をしていれば、
「人を呪わば穴二つ」にたどり着くことができはたずなのです。
ボンボン過ぎて、
あるいは、
生真面目すぎて、
周囲の人々のアドバイスが届かなかった可能性もあるように感じます。
恨みつらみが高じると自分の墓穴も掘ってしまうことになるのだ、
と知っていたならば、
そうならないように気を付けるはずなのです。
・
いや、失礼しました。
陰陽師でした。
私は、陰陽師系の研修も受講したことがあります。
これは、言葉では表現が困難です。
ご自分で受講されて、ご自分で感じ取っていただくしかないように思います。
「知ると知らぬとでは、大違い」
なのです。