聖徳太子の時代の前後は、大陸を通じてユダヤ人(秦氏など)が渡来していろいろな文明文化や宗教を広めようとしていった時代です。
ユダヤ系渡来人を通じてエッセネ派のような表に出てこないキリストの教えなども実際伝えられました。
日本に伝えられたキリスト教は必ずしも欧州に広まった教会や一神教スタイルなどとは異なり教義中心主義も控えめで実際のところは、国民の生活スタイルの基本、国としての統治の在り方に反映されてきたと感じています。
聖徳太子は渡来系の秦河勝などともキリストの教えそのものを語り合って実際の国の運営に反映させていったのでしょう。
このことがその後数百年かけて国柄を固めてようやく平安時代に至ってある種の文化的完成形にまで育っていく基礎になります。
どんな素晴らしい教えもそれを生活スタイルまでに実践できなければ絵に描いた餅になりますが、海外で広まった多くの宗教が勢力間で争う姿とは一線を画する和を以て尊しとするというような日本の在り方は一つの人類の基本形とも言えます。
また生活スタイルまでに落とし込まれた教えは、霊的に見れば国魂として国家の光として輝くことになります。
国家の光はある種の霊的な親和性を持ち、他国民を引き付ける要素になります。
皆様は何故今日本の伝統文化がここまで称賛され、日本らしさを反映しているアニメが今だに多くの海外の人を引き付けているか
その根本となる要素を見抜いておられることでしょう。
内なるあり方が外に反映したものが文化であり、その国柄とも言えます。
日本という国は不思議なものでどんな教えが広まったとしてもその本質を精錬して独自に発展させ自家薬籠にしていく懐の深さがあります。これが神道の本来的な姿かもしれません。
教義や理念は一見素晴らしく見えても、それが生き方に反映していなければあるいは他人を裁く剣にも成りかねません。
外からはアニミズムや一見無宗教に見える日本の在り方は実は一歩先の形を歩んでいて、それがマスコミを通じて流される虚偽を含むドグマに囚われている海外の人々の考え方をその先に導く羅針盤になっていくことでしょう。
現在でも聖徳太子の十七条の憲法は簡易で解りやすく親しみの感じられる内容になっていると感じます。
例えば税の取り立てに関しても独裁的に決めてはならないという条文は現代人の某官庁の方々にも再考して欲しいところです。
これは生活実践として現代でもとても参考になります。
十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。所任の官司はみなこれ王臣なり。何ぞあえて公と、百姓に賦斂(おさめと)らん。
[現代語訳] もろもろの地方長官は多くの人民から勝手に税を取り立ててはならない。国に二君はなく、民に二人の君主はいない。全国土の無数に多い人民たちは、天皇を主君とするのである。官職に任命されたもろもろの官吏はみな天皇の臣下なのである。公の徴税といっしょにみずからの私利のために人民たちから税を取り立てるというようなことをしてよいということがあろうか。
(十七条の憲法:wikipediaより抜粋)