つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

三途の川の渡し賃。~ 月と六ペンス。

2020年10月21日 23時00分01秒 | 手すさびにて候。
                   
<あなたにとって「幸せ」とは何ですか?>
--- という問いに対し、中には即答できる人もいるかもしれない。
<では、その「幸せ」のために、何もかも棄てられますか?>
--- と投げ掛けられたら、殆どが言葉に詰まるのではないだろうか。

イギリスの小説家「サマセット・モーム」が著した「月と六ペンス」は、
そんな難問を突き付けてくる一冊である。

ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第百五十六弾は「裸婦モデルと絵筆を握る手。」

      
主人公「チャールズ・ストリックランド」は、
大都会ロンドンで証券マンとして働いていた。
それなりの成功を収め、貞淑な妻、利発な息子と可愛らしい娘がいる家庭。
傍目から見れば「幸せな暮らし」を送っていた四十男が、
ある日、忽然と姿を消す。
絵を描くために、何もかも棄ててしまったのだ。

人生が崩壊しようが、食えなくなろうが、
絵が売れようが売れまいが、一切おかまいなし。
人を裏切り、不義理を働いても悪びれずカンバスに向かい、
「己の芸術に没頭する幸せ」のためだけに生きていた。
只、なかなか理想の境地には到達できず、
常々夢想していた“憧れの楽園”--- 南太平洋の島「タヒチ」に活路を求める。

住まいは、街から離れた山の谷間に建つ小さなバンガロー。
眩しい南洋の光。
絶えることのない潮騒。
原始の面影を残す自然。
傍には、ポリネシアの美しい幼妻。
貧しいが満ち足りた暮らしの中で、魂(たましい)の安息を得た彼は、
絵筆を握り続けた。
病魔に倒れる直前まで。

画壇にも世間にも認められず、無名の画家として終えた生涯。
それを憐れで不幸せと捉える見方もあるが、
「ストリックランド」は、確かに幸せを手にしたのだと思う。

--- さて、最後に小説のタイトルについて考察してみよう。
本編中「月と六ペンス」の由緒を匂わせる記述は見当たらない。
著者「モーム」から読者への謎かけだ。

手元の新潮文庫版で、訳者はこう推理している。
<「(満)月」は夜空に輝く美を、
  「六ペンス(玉)」は世俗の安っぽさを象徴しているのかもしれないし、
 「月」は狂気、「六ペンス」は日常を象徴しているのかもしれない。>


僕は次の様に解釈したい。
<天上に輝く「月」は“天界への入り口”。
 「六ペンス」は、そこへ連れて行ってもらうための“代金”。
 三途の川の渡し賃---六文銭と同じ数字なのは、
 単なる偶然ではない気がする。>


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