つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

一世紀の営み。(スガイ書店開業101周年記念祭)

2021年10月16日 20時50分00秒 | 日記
                  
本日(2021/10/16)、津幡のまちの本屋さん「スガイ書店」で
開業101周年記念祭が行われた。





空が雨を落とさずに持ち堪えてくれたおかげもあってか、
店舗隣接のイベント会場には、人だかり。
あたりには、手作りの遊戯、木工教室にはしゃぐ子供たちの声や、
移動販売車の前でハンバーガーを頬張る人々の笑顔があふれた。
店舗内には、いつも以上の人影。
大変結構なことである。

「スガイ書店」の会社設立は、大正9年(1920年)。
当時の世の中ではこんな出来事があった。

ヴェルサイユ条約発効。
国際連盟発足。
第1回 箱根駅伝開催。
ナチスが初の党大会を開催。
日本で第一次世界大戦による好況の反動で株価が大暴落。
東京・上野公園で第1回メーデー開催(参加5,000人)。
ローマ教皇がジャンヌ・ダルクを列聖。
日本初の国勢調査を実施。
南洋諸島が日本の委任統治領に。

---わが津幡町の出来事としては「大正9年 水害」が挙げられる。
「津幡町史」を紐解いてみたが、
何しろ100年以上前のこと、その被災詳細は明らかではない。
ただ、同年、町中心部の津幡川が拡幅され「おやど橋」が架け替えられたのは、
水害と無縁ではないだろう。

また「津幡町史」には大正から昭和へ移る時期の様子について、次の記載がある。
『大正期最大の出来事は、第一次世界大戦(一九一四~一八)であった。
 その後のデモクラシーの風潮によって、
 ようやく本格的な政党政治が行われるようになったが、
 その結果としておこった政友会・憲政会(後の民政党)の政争は、
 この旧町村にもながく影響を与えた。』

(※津幡町史より引用/抜粋)
(※下線部、旧町村とは津幡町が現在の形態になる以前を表し、
  合併の動きを妨げる要素の1つに政治が絡んだと推測する)

大正期は「米騒動」もあった。
やがて昭和恐慌が起こり、世界を向こうに回した大戦争も控える。
「スガイ書店」は、なかなか大変な時期に船出したのだ。



さて、イベントの模様に戻ろう。
2階でも催しが行われた。
書店と道を挟んだ向かい「花の山崎」のご主人が講師を務める
フラワーアレンジメント教室。
教える側も、教わる側も実に熱心に取り組んでいた。





お隣では「赤池恵理子」氏による絵本読み聞かせ。
彼女は絵本専門士。
「保育や教育の場での絵本との出会いについて」
「絵本が果たす役割」
「子どもたちに読み聞かせるテクニック」などを備えた、
絵本に関する高度な知識、技能及び感性を備えた絵本の専門家である。





会場内は、大勢の親子連れが詰めかけ盛況。
子供たちとのコール&レスポンスを交えるなど、
まるで寄席のような雰囲気である。
軽妙洒脱な語りと演出に、皆、引き込まれていた。



上掲画像は、読み聞かせに使用した絵本の実物。
書店で販売もしている。
ずいぶん色々な作品があるなと感心した。
--- 僕が印象に残っているのは「モチモチの木」(作:斎藤 隆介/絵:滝平 二郎)。
確か「スガイ書店」で買ってもらったと記憶している。
昔から愛読している「漫画」も絵本に類似といえるかもしれない。
これも原風景は「スガイ書店」の書棚にある。

102年目の歩みが始まった。
商いの存続を願う。
微力ながら助勢は惜しまないつもりだ。
                

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