「『日本のいま』をわかりやすく(大マスコミによる「森叩き」/道徳で東京を築いた渋沢栄一」他)」 | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

 

テレビには完全に嘘つきしかいないので、「『日本のいま』をわかりやすく」

哲学と道徳で、人権主義と新自由主義から日本を守る! 
 

 

■「森会長バッシング」で、人権主義=日本の社会秩序破壊の流れが加速

 

(2月5日 朝日新聞)


 森会長が女性に対する配慮を欠いた問題発言をした途端、法人税を払わなくなった大企業をスポンサーとして、韓国資本を株主とするテレビ民放各局や朝日新聞が、新型コロナを完全に忘れて、「森叩き一色」という異常事態となった。

 森さんがあの発言程度で組織委員会の会長を辞任しなければならないのなら、トランプ大統領は死刑にしなければならないだろうし、「女は死ななきゃ治らない」という本を書いたビートたけしさんはすべての
テレビに出演禁止にしなければならないし、そもそもが森さんをフルボッコにしているのが、これまで道徳を全否定して、児童虐待を激増させてきた大マスコミや左翼の戦後知識人たちである。

 森さんが表現の自由の範囲内で、女性に配慮を欠く発言をして、それをどう受け取るかは、その発言を聞いた各人の内心の問題である。
  道徳を全否定している彼らが、森さんの発言が問題があるというのなら、女性に対する名誉棄損で、直ちに裁判所へ提訴されてはいかがか?
 
 森喜朗を擁護していると思われるかもしれないが、まず私は森さんを支持していない。
 

 そもそもが私の政治のスタートが、2000年に森首相を追い落とそうとした加藤紘一氏による加藤の乱で、加藤氏が率いる自民党・宏池(こうち)会の公募に応募したことである。
 そしてそもそもが、私の自著「いま僕らに必要な道徳」の出版を決めて下さったのも、聡明な女性の担当者であるし、文庫の担当者も女性であり、さらには自著に対する感想を下さったのも女性だけであり、私個人は「女性にしか認められていない」のである。


 さらに森喜朗が率いる森派・清和会(現細田派)は、小泉・安倍政権で、北朝鮮や韓国、中国に毅然とした態度を示し、平和安全法制を進めて多くの国民から支持されていた裏で、竹中平蔵を重用して、日本の国富を百兆円規模で、外資に明け渡して、代わりに国から地方への支出を100兆円も削るなど、数々の格差・売国政策を進めてきた新自由主義の権化(ごんげ)のような派閥なのである。
 
 私は森喜朗が本質的な女性差別主義者ではなく、ただ単にバカだからあのような発言をしたのだと確信する。
 なぜなら、今までの経歴で女性差別的な政策を掲げたことは一度もないし、むしろ橋本聖子氏をかわいがって重用していたのである。
 無論、森さんをバカバカ言いたくはないし、彼には他の日本の政治家にはない(読んで字のごとく「蜃気楼」ともいえる)独特の風格、貫禄があって、佐藤優氏などは森さんの外交手腕を高く評価している。
 
 それを為末ら日本のテレビの自称文化人たちが、こぞって新型コロナに苦しむ国民をないがしろにして、塩村文夏都議に野次を飛ばした先輩議員のために名乗りを上げて謝罪した鈴木章浩都議にツイッターで個人攻撃の輪を広げた津田大介のごとく、「個人糾弾(きゅうだん)」に走っているのである。

 森会長一人を個人糾弾することは哲学的に言って、最も道徳のないことである。
 もっと言えば、民放系のネット番組に乱暴な演技を強要された木村花さん一人を個人攻撃したツイッターの若者たちと全く変わらないのである。

 まず、それは「Me Too」運動で国民を煽動(せんどう)したテレビ朝日や福島みずほ、柚木(ゆのき)らがで、美人社員を無理やり会食に行かせて、守秘義務違反を犯させようとしたテレビ朝日が悪いにも関わらず、福田事務次官ただ一人をを叩いて、メディア権力が官僚を無理やり更迭させたのと同じことである。

 

 大学の校舎に「○○くんを糾弾しよう」という横断幕を掲げるなど、道徳なく個人を糾弾する学生運動のころの団塊世代が上層部にいる反日マスコミの個人糾弾の矛先が、鈴木章浩都議や福田事務次官から森会長になったというだけの話である。
 
 しかして、自分たち大マスコミが橋下徹氏を「部落・ハシシタ」と言っても、左寄りの広河隆一や屋良朝博、高井崇志が森発言とは比べ物にはならない、女性個人の人生に現実的に一生傷を残す重大なセクハラや、緊急事態宣言時のセクキャバ通いをしても、あるいは女性社員にパワハラをして、セクハラされることを承知で、犯罪である守秘義務違反をそそのかしても、大した責任は取らないのである。 

 

 否、木村花さんが自殺しても、テレビ民放は大した責任を取らないのである。

 まずキリスト教の倫理や、最も重要な哲学であるヘーゲル的に言って、日本だけに極端なジェンダーを強いる国内外の左翼勢力が主導して、「森会長バッシング」を首謀する行為は、「イスラム国」と同じことなのである

 彼らは「イスラム国」がイスラム教という概念を利用して、「自分たち『だけ』が正しいんだ」と自己正当化して、他者を攻撃して、大衆を味方に付けようとしているだけなのである。

 それはイスラム国や朝日新聞・テレビ朝日などの左翼マスコミの常套(じょうとう)手段である。

「ヘーゲルはこういう自己正当化の意識を、醜いものとしてとことん否定しようとしている。
…イエスも…自分の義(ただ)しさを誇ることを戒めていたではないか。」
 (西 研 著「ヘーゲル・大人のなりかた」(NHKブックス) )



 そして国連左翼やマスコミ、左翼が道徳なく、「和を以て貴しとなす」の精神なく、日本だけに強いる、このような極端な男女平等、ジェンダーとは、社会の分断を画策する行為に他ならない。

 日本だけをなくすことや、日本だけの社会秩序の破壊だけを彼らは画策(かくさく)しているのである。

 私たちはまず、これらテレビや新聞の中に常駐する日本語をしゃべる頭のおかしい人たちから、日本を、そして3600万人いる高齢者や、女性、子どもを、守らなければならないのである。

 ソフトバンクのCMを見て喜んでいる若い人やお年寄りが、純利益3兆円超えのソフトバンクグループが全く払っていない法人税の分だけ、なんのかんのだまされて、小さい子どもや年金暮らしの老人までもが消費税を払わされているのである。
 我々は金銭面でも、精神面でも、テレビに利用され続けているのである。


 また、小林麻央さんや堀ちえみさんが若くして深刻ながんになられたが、「日本が売られる」の著者である堤 未果さんによれば、日本だけが、発がん性物質である除草剤グリホサートの入った米国産小麦を使用した大手メーカーの食パンや菓子パンを食べまくっており、韓国企業の電通が支配するテレビ民放のゴールデンでも、「トーストのおいしい食べ方」や、プラスチックと同じで非常に体に良くないとされるマーガリンの紹介など、パンの特集ばかりやっているのである…。

 コロナ禍で、五輪の開催自体に否定的な国民が大多数の中、そのようなどうでもいい森叩きや組織委員会会長の後任人事がテレビの世界だけで、いつまでも続いているうちに、2月13日に福島・宮城で震度6強の地震が起きて、大マスコミの、完全に倒錯した森バッシングがようやく収まるのである―。

 嗚呼、天よ。
 日本のすべての災いが、日本の大マスコミだけに向かっていただけないものだろうか? 

 

 日本のテレビ・新聞は完全に「百害あって一利なし」である。






■ 「渋沢栄一  = 道徳こそがすべて」

 

(TOKYO MX 2015/10/18 放送 中小企業の底ヂカラ
「今回は特別編:実業界の父~渋沢栄一~」)

 

「世の中がだんだん進歩するにしたがって社会の事物もますます発展する。
ただしそれに伴うて肝要なる道徳仁義というものがともに進歩していくかというと残念ながら「否」と答えざるを得ぬ。
およそ国家はその臣民さえ富むなれば道徳は欠けても仁義は行われずともよいとは誰もいい得まいと思う。
仁義道徳と生産殖利とは元来ともに進むべきものであります。」
(渋沢栄一の演説 1923年(大正12年))

 
 1990年代後半。20代の私は北区の王子に住んでいたとき、TBSラジオの「レディオトランシー」で遠藤遼一がかけていた多くの海外の名盤の音楽を、御茶ノ水の「ジャニス」で借りて、深夜に飛鳥山公園に行って一人で聴いていた。

(私と同じインダストリアルとアンビエントというジャンルのアメリカのバンド、Controlled Bleeding のアルバム 「Music From The Scourging Ground (1988)」の中から、遠藤遼一がラジオでかけていた曲は「The Peacock」であり、私は深夜の飛鳥山公園で、このアルバム全曲を聴いていたが、中でもよく聴いていた曲は 「Bright Shadows」である。https://www.youtube.com/watch?v=dlFqRfMaiXk )

 都電が乗り入れる飛鳥山公園は、鈴木直道道知事によって取り壊されつつある百年記念塔と並ぶ私の思い出の場所であり、何より渋沢栄一が暮らしていた庭でもある。
 
 20代のころは、渋沢栄一の庭が私の住処(すみか)であった―。
 無論、当時の私は渋沢栄一を知る由もなかったが、渋沢栄一は、飛鳥山公園にいた寄る辺のない20代の私を空の上から見守っていたように思う。

 今の日本は完全に終わっている。

 大マスコミによって、外国製の新型コロナのワクチンを待望する世論が形成されている。

 

 だが日本産婦人科感染症学会と日本産科婦人科学会が、「COVID-19 ワクチンの中長期的な副反応と、胎児および出生児の安全性が不明である」という提言を発表している。


 日本人は早晩、国家よりも強大となった極悪非道なメガファーマ(ビッグファーマ、超巨大製薬企業群)によって、欧米のような感染爆発ではないのに、アヘン戦争の清(しん)の人々のように、ワクチン漬けにされるだろう。

 エイズ治療薬の市場を独占することによって薬価を50倍に引き上げたり、胎児に障害を与える副作用を50年も隠すなどしてきた、欧米の道徳のない「独占」の「メガファーマ」。

 事実、そうした日本のマスコミを簡単にコントロールできる力を持っているメガファーマによる日本のワクチン接種の同調圧力によって、新型コロナワクチンを接種した60代の女性が死亡した。

 死因はくも膜下出血と推定され、ワクチンとの因果関係は評価不能だが、女性は2月26日にワクチンを接種、3月1日に死亡し、基礎疾患やアレルギー歴もないため、因果関係を疑わざるを得ない。
 

 無論、この一例だけでメガファーマのワクチンが危険と断じることはできないが、新型コロナに感染していないどころか、基礎疾患もなく健康だった女性当人にしてみれば、危険だったのは間違いなく、何よりアレルギー反応などの副反応ではなく、一発で死に至らしめた点が極めて重大であると思う(日本の大多数である「強大化するメガファーマ製ワクチン肯定主義者の人たち」には何を言っても馬の耳に念仏と思うが)。

 

 これまで私は妊婦の方に接種を勧めることには反対してきたが、1月27日に、日本産婦人科感染症学会と日本産科婦人科学会が提言を発表したので、ぜひ、そちらもご参考にしていただきたい。

 

「COVID-19 ワクチン接種を考慮する妊婦さんならびに妊娠を希望する方へ
 

日本産婦人科感染症学会
 

日本産科婦人科学会
 

令和 3 年 1 月 27 日
 

「COVID-19 mRNA ワクチンの動物の生殖に関する研究はまだ完了していません。

 

また、中・長期的な副反応については、現時点では不明です。
 

日本産婦人科感染症学会およびは日本産科婦人科学会として、現状において以下の提⾔をします。
 

1 COVID-19 ワクチンは、現時点で妊婦に対する安全性、特に中・長期的な副反応、胎児および出生児への安全性は確立していない。

 

2 流行拡大の現状を踏まえて、妊婦をワクチン接種対象から除外することはしない。

 接種する場合には、長期的な副反応は不明で、胎児および出生児への安全性は確立していないこ
とを接種前に十分に説明する。

 同意を得た上で接種し、その後 30 分は院内での経過観察が必要である。 …」

 

http://www.jsog.or.jp/news/pdf/20210127_COVID19.pdf

 

 社会問題にもなった「薬害エイズ」や、舛添要一やホリエモン(外資のため)が喧伝していて、深刻な副反応のある「子宮頸がんワクチン」の二の舞だけは絶対に避けねばならない。


 このような先進国を顧客としてワクチンビジネスを展開するメガファーマとは、道徳を重んじ、独占を嫌った社会福祉事業の創始者である渋沢栄一とは正反対の連中であることは言うまでもない。


 世界にはとんでもない独占の巨大製薬企業や、ロスチャイルド家のような財閥、あるいは全世界の土壌を蝕(むしば)むロックフェラー財団のバイオ化学メーカーが暗躍し、日本国民の財産と健康と公共インフラとを食い物にしている。   

 ましてや日本は、欧米諸国よりも多くのノーベル賞受賞者を輩出する医科学の最先端の国である。

 だが日本には、ワクチンの売上だけで云(うん)兆円もあるような医薬品メーカーは当たり前だが存在しない。
 
 日本は政治力が弱く、かつ自民党の政治家がどいつもこいつも恐ろしくバカであり、世襲議員や菅氏など、自分個人の立身出世しか考えていないために、堤未果さんによれば、日本は断然、薬を作る側の国であるにも関わらず、新自由主義のレーガンとのMOSS協議によって、他の国よりも格段に高い値段でアメリカの薬や医療機器を買わされる側に回ってしまった
 バカ自民党政治家や財務省の消費税増税の口実にされる社会保障費の膨張も、実は高齢化によるものではなく、高額な薬価で買わされる外国の薬や医療機器によるものであり、日本の医者や病院も、外国のメーカーからリベートを受け取って、外国の医療機器を買っている始末である。

 つまり日本はイギリスの東インド会社に搾取される19世紀のインドに成り下がってしまったのだ。
 ましてや当時のインドはその事実を知っていて反乱を起こしたが、日本人のほとんどはそうした事実すら何も知らないのである。

 また日本の政治家は一人も、領空侵犯を繰り返すロシア軍機を撃墜させて、逆にプーチンから恐れられてレスペクトされ、その後プーチンと仲良くなったトルコのエルドアン大統領の足元にも及ばないが、北方領土も尖閣も同様であり、尖閣に来ている中国海警局の公船はイージス艦で各個撃沈する以外ない。

 「物騒なことを」と思われる人もいるかもしれないが、日本の海保は、2001年の九州南西海域工作船事件で、北朝鮮の工作船を撃沈させているのだ。
 

 中共が毎日領海侵犯を繰り返す今の状況は、ごくまれにしかやって来ない2001年の北朝鮮よりもはるかに危険な状況であることは間違いない。
 しかし、海保も海自も、直ちに撃沈すべきだが、何もできずにいる。

 だが、いずれは時の政権が意を決して「必ず」撃沈する以外ないのだ。

 

   

   (3月1日 読売新聞)

 

 インドだって中国には一歩も引かず戦っている。

 さもなければ日本は早晩、香港のようになり、チベットやウイグルのようになって、尖閣が取られるだけではなく、皆さんの臓器も売買されるだろう。 

 事実、すでに私の出身地である北海道の土地は中国資本によって買い占められている。


 専守防衛に徹しつつも、「戦争も辞さない」という毅然とした態度を、日本を完全にナメきっている中国共産党の非人道的な頭のおかしい指導者に思い知らせなければならないのである。

 そう思いつつ、親中派である二階氏や茂木(もてぎ)外相の落選運動をしている「新党くにもり」の水島社長を応援しようと思っていたが、やはり、現実はそうはならなかったようである。
 
 なぜなら美輪明宏さんが信じるように、日本がこの先、中国共産党によって没落することはなく、つまりは、美輪さんが考えるように、理性的かつ優雅さを以て振る舞っていれば、わかる人たちは自ずと現れ、日本は救われるというのである。

 それがドイツやフランスといった欧州諸国であり、これら多くの哲学者を輩出した理性的な国々が、日本やベトナム、フィリピンのために中国に断固抗議するため、立ち上がってくれたのである。
 
 身をやつして、同じ日本人ばかりを個人攻撃することがさしたる解決策にもならず、詮ないことであると。

 また、水島社長が尖閣に船を出して抗議をすることも、中国側の大義名分に利用されてしまっているのである。

 無論、尖閣諸島は私の家と同じく日本の領土であるから全く問題ないことであるが、実際、現場では水島社長が、海保や海自と意思疎通して連携した行動を取れているとはとても言い難かったのである…。

 

 水島社長から「シェイシェイ」と揶揄(やゆ)されて攻撃されていた茂木(もてぎ)外相が、中国に対抗するために欧州諸国を飛び回っていることはこの上ない吉報であり、美輪明宏さんが予見していたような、平和的で理想的な、素晴らしい状況である。

 

 

  (3月4日 朝日新聞)

 無論、ドイツやフランスといった国々が素晴らし過ぎるのであって、茂木さん一人の功とは言えないが、この際はインド、台湾などとも緊密に連携し、中国に対しては美輪明宏さんの信念がごとく、理性と優雅さとを以て対抗していかなければならないのかもしれない。
  
 香港の民主派を弾圧しつつ、ミャンマーの軍政の後見役である中国共産党を打倒していくには、日米豪台印に加え、欧州諸国の参入による世界的な包囲網が極めて効果的である。

 そして時代はさらに美輪明宏さんの予言通りになりつつある。

  (3月5日 讀賣新聞)

 

 フランスやドイツに続いて、米国もまた、尖閣沖で訓練計画の報。

 「尖閣危うし」の緊迫した状況から、事態は一気に好転している。

 少なくとも毎日のように、武装した中国海警局の公船が現れる尖閣沖で、米軍が訓練をするとなれば、鉢合わせとなり、中国側も、これまでのように、弱腰である日本をナメ切っての、武力による現状変更も辞さないという攻撃的な行動には全く出られなくなる。

 

 日本みたいな平和的な国の領土に、一方的になんくせを付けて、継続的にしつこく領海侵犯して奪い取ろうとする魂胆は、自由や民主主義を共有する国際社会が許さないということである。


 それにしても、日本は未だ理性を欠いて反日だけにこだわる近隣諸国から国益を損なわれて、それによって「脱亜入欧」しか道がないとは。
 対日姿勢が軟化したムン・ジェイン大統領の言葉も信用できない。
 北と仲良くなったら、また極端な反日になるのだろう。
 だが、それら反日の近隣諸国の一般国民にも、親日の人たちは少なくない。
 いい加減、コロナなどで経済的に困窮する一般国民のためにも、政治に反日を利用したり、軍事力による現状変更はやめにしてもらえないだろうか。
 

 しかし、優れた哲学を持つ欧米諸国の政府やEUも、自分たちの国の中で巨大化した製薬企業やグローバル企業、悪名高い財団や財閥には太刀打ちできない状況になりつつある。

 

 事実、日本も、菅義偉を手玉に取る竹中平蔵やアトキンソンに乗っ取られているようなものである。


 そしてネットでも、マネーゲームや新自由主義に酔いしれて、外資に媚びを売る日本人が後を絶たない。

 日本人をターゲットにした博打(ばくち)場であるIRカジノを進める橋下徹と維新はもちろん、重篤(じゅうとく)な副反応があると知りながら、外国の巨大製薬企業のために、子宮頸がんワクチンを日本人女性に勧めるホリエモンもその手合いだろう。
 道徳や公益性が皆無であり、最大限利益を追求する「日本版マーティン・シュクレリ(エイズ治療薬の価格を50倍に引き上げた男)」に近い存在と言えるかもしれない。

 菅首相は、かつての明治の日本の議会が、生活困窮者を「惰民」として救わなかったように、「自助」を全面に出し、自らの立身出世のためだけにゆうちょマネー300兆円など、日本の国富をアメリカに譲り渡した郵政民営化に自民党の売国トリオである平将明、中川秀直の三人で最後まで執着して「外資系」と呼ばれ、また、国から地方への支出を嫌って、すべての官僚が反対した、自治体同士の税収の奪い合いでしかないふるさと納税や、コロナの感染爆発を起こした、自らが党総裁になるための秘策でしかない「GO TO キャンペーン」で、日本国民に塗炭の苦しみを味わせている。

 

 また、菅義偉の側近である河井克行は法務大臣でありながら、遵法精神のカケラもない。
 地方議員を買収するというとんでもない公選法違反で騒がれているが、マフィアが法務大臣をしているようなものである。
 

 

 今の日本の政界とメディアには、どいつもこいつも、渋沢栄一の正反対の人間しかいない。

 

 

■道徳で東京を築いた男、渋沢栄一  

 (「ログイン/LOGiN 1992年 No. 18」 アスキー )

 

  1992年に発売されたPC-9801用の「財閥銀行」は、銀行、鉄道、流通、不動産のグループ経営によって事業を拡大して、東京を築き上げていくというゲームであり、このゲームの主人公である「竜之介」は1841年生まれに設定されているが、渋沢栄一が1840年生まれであることからもわかるように、渋沢栄一をモデルにしたゲームに相違ない。


 そしてその渋沢による巨大資本と道徳の融合こそが、日本であり、 超巨大都市・東京都の誕生と繁栄である。

 

 三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎の独占の誘いを蹴って、自らが運営する社会福祉施設である養育院に、三井などに寄付させた第一勧銀グループの創始者である渋沢栄一は人間の鑑(かがみ)であろう。

 

 キリスト教を作った聖パウロや哲学者スピノザのスピリチュアル的な流れを汲む私も認めざるを得ないが、渋沢は日本の資本主義の父であると同時に、6世紀のイタリアで初めて修道院を建てた「べネディクタス」にも近い。

 
 今日の超巨大都市・東京都とそれによる日本の繁栄があるのは、財閥銀行による巨大資本によるものである。
 

 渋沢栄一は三井、三菱のような財閥とは言えないが、財閥を独占しないようにけん制しつつも共存し、新興の商工業を支援し、500もの企業に関わった第一勧銀系の企業群と捉えることができる。
 

 つまりは渋沢栄一と、渋沢と共存共栄した財閥とが、今日の、恐らくは世界髄一の一大都市圏である東京を築いたと言える。 

 

「東京では、商都としての性格を持たせようとする渋沢栄一らと帝都としての性格を強調する内務省の対立、…日本橋付近の開発を目指す渋沢と丸の内を開発しようとする岩崎弥太郎の対立など重層的な対立軸があり、…道路を中心に、市場などの都市施設の整備が進められていく。」(曽我謙悟 著 「日本の地方政府」中央公論新社)

 今の東京は紛れもなく完全に「商都一辺倒」であるから、渋沢栄一一辺倒の大東京と言える。
 一人の力を以て築かれ始めた有史以来最大の大都。

 見渡す限り、文明の英知が結集した高層ビル群の大都会群「東京」。
 幕末の渋沢栄一が描いた景色がここにある。
 そしてその「道徳」を第一とした渋沢の顔が新一万円札となる。

 

 また、「日本の地方政府」というお堅い本と、パソコンゲームの雑誌である「ログイン」という、全く共通点がない二つの書で、日本橋に言及している点も興味深い。
 

「商都としての性格を持たせようとする渋沢栄一…日本橋付近の開発を目指す渋沢…」
(曽我謙悟 著 「日本の地方政府」中央公論新社)


「『流通』 まずは…日本橋に集中出店する。…この時代、しばらくは呉服問屋、宿屋の利益に頼ることになるだろう。」
 (「ログイン/LOGiN 1992年 No. 18」 アスキー )

 

 

「内務省系の市区改正計画図 <明治十八年の案は渋沢らの意見を入れて商都としての東京計画に傾いている>」 

(1988年4月 「週刊朝日百科『日本の歴史』 102」)

 

 

(1988年4月 「週刊朝日百科『日本の歴史』102」)


 巨大都市「東京」の始祖が渋沢栄一であることは間違いないが、今日の東京の成長は、大まかに言うと次のような流れになるのではないか?

 

   渋沢 栄一   …  日本橋(兜町) 開発、 「道徳」、養育院
     | ライバル

    岩崎 弥太郎 (三菱)    … 丸の内 オフィス街、東京の商業の中心

       |

   安井 誠一郎 都知事   … 戦後復興 丸の内 ビル建設ラッシュ 

       |  

    鈴木 俊一 都知事  … 「開発都政」  新宿副都心、臨海副都心 

       |

    石原 慎太郎  都知事 … 汐留開発、尖閣購入、強いリーダーシップ

          | 

  今… デフレ、低成長、「都知事不在」の時代、コロナ禍 
         | 
    ?        渋沢栄一を手本とした「道徳」による西多摩開発  ? 


 そして古都京都から今の「道徳の都」におわします日本の歴代の天皇陛下も道徳を何より重んじる。

 

 私はただ一人で、道徳を破壊しようとする反日で日本版SDGsという人権主義の自己正当化の徒に勝てるだろうか?

 無論、〇島社長や、〇井誠氏など、今の日本の保守の多くも道徳がなく、今もこの国に私の味方はいない…のである。

 その後、日本の行政は戦後復興の安井都政を皮切りに官僚出身者一辺倒となるが、今日の総務省における相次ぐ接待問題や、私が住む多摩地域で相次いでいる市職員による汚職、都庁職員出身の市長による女性職員5人に対するとんでもないセクハラや、市職員出身の副市長による2億円詐取など、道徳や哲学を知らない前例踏襲だけの役人には限界がある…。


 そして、第二次世界大戦後、日本国民は共産主義者の尾崎秀実(ほつみ)とルーズベルトという二人の狂人によって塗炭の苦しみを味わい(反日マスコミは「日本だけが悪い」と言って、自虐史観を国民に「押し付け」るが、実際は全く違う)、東京を築き上げた日本の財閥も解体されることとなる。

 つまりは、日本の道徳的な財閥だけが取り壊されて、日本だけに独占がなくなり、逆に欧米の全く道徳のない悪逆非道なメガファーマやロックフェラー、ロスチャイルドの財閥、マイクロソフト、グーグルのような巨大資本が独占して栄える時代となった(=人類最悪のシナリオ)。

 ところで、道徳の必要性を理解できない山本太郎のような、税金で公務員を増やすだけの共産主義的な考え方では日本は120パーセント良くならない。

 但し、キリスト教の影響を受ける山本氏の慈善的な政治活動は、渋沢栄一の半分の要素である「養育院」に合致するものであるし、また、原発事故に際しても、田中正造に近い行動力と思想とがあって、彼のような人材もまた、日本には必要である。


 日本にもう一つの東京を作って、経済発展を図ろうとするとき、渋沢栄一の「論語と算盤(そろばん)」の、そろばんの方のお金、巨大資本、グループ経営、財閥が必要なのである。

 

 ただ、今の日本で「財閥が必要だ」なんて言うと、「独占だ」と批判されるだろう。

 だが、前述したように、今の世界にはどの業界にも独占があふれている。
 否、巨大企業が富を集積し、日本でも、麻生太郎の売国政策によって、なぜか日本の郵便局にアメリカのがん保険アフラックなど、外資の草刈り場となっている。 
 これはすべて世襲を中心とする自民党の売国政治屋の責任だ。

 必要なものは、道徳と資本主義を両立させた百点満点の男である渋沢栄一。

 つまりは道徳的な銀行、不動産、鉄道、流通、証券のグループ経営である。
 
 そして、私と同じく事あるごとに道徳の必要性を唱え続けた渋沢栄一。

 民放とは一線を画すNHKやTOKYO MXでは渋沢栄一を絶賛する番組が作られているが、道徳を全否定して、韓国資本が株主であるテレビ民放では渋沢栄一の番組はほとんど作られない。

 

 国民を豊かにするために、日本の資本主義をけん引した彼は、まさに、新自由主義の陰謀によって、国民を貧困化させつつ、※レントシーキングで自身の利益のみを最大化させた竹中平蔵とは全く正反対である。

※民間企業が政府に働きかけて、自分たちに都合のいいように、法や政策を変更させること。パソナの竹中平蔵が典型的。賃金の下落や同業圧迫につながる。

   ∴「竹中平蔵=逆・渋沢栄一」
   ∴「メガファーマ(欧米の巨大製薬企業群)=逆・渋沢栄一」である。

 つまりは哲学を全く知らない戦後左翼やマスコミ、野党、戦後知識人によって道徳が破壊されたことで、レントシーキングや国の資産をダンピングする竹中平蔵のような輩(やから)が生まれ、また、児童虐待が激増したのである。
  

 


 ところで私の本籍は未だに東京都北区である。

 私の失われた、貴重な若き日々のベースは王子であり、飛鳥山公園であって、渋沢栄一がそこにいるのだろう。

 日本に道徳と巨大資本を取り戻すことは可能だろうか?

 

 あなたが成し遂げたような、第二の東京がごとき繁栄を。

 

 一切何も持たない私、高澤一成が、まさに徒手空拳で、渋沢栄一に問いたい。

 

 マスコミが反日一色と化して、グローバル企業が446兆円の内部留保をかき集めて国民が貧困化し、さらには理性と純粋さのない若い人たちが児童虐待と排他的自由の色欲情欲を謳歌して、政治家の汚職と官僚の不祥事が相次ぐ今の日本で、日本人が自らの手で完全に破壊し尽くした、渋沢栄一が何よりも大事にしていた「道徳」を、私一人だけがこの手の中に。

 

 すべての亡くなられた日本人、そして渋沢栄一のために。

 

 今の道徳が破壊され尽くした東京は何の価値もないもの。

 

 私だけがただ一人で道徳を再構築しようとしているが、日本の国富と道徳の一切が、私がこれまで述べてきたような邪悪なすべてによって絡め取られてしまったのだと。

 

 孤立と無理解、isolation and indifference.

 齢(よわい)47となった私には、今を生きる無理解な日本人にはもう何も期待できそうにない。

 

 今一度、渋沢栄一の精神をこの手に。

 道徳家である今の私にとって、今の日本には人間が見つからない。

 

 連日のように行く新宿で、中国人労働者が急増して、無国籍化しつつも、道徳がなくなって排他的となっているこの大都に、渋沢栄一が建てた養育院のような救いは「ない」。


 今の日本国民は、菅義偉を支持する人たちは、パイの奪い合いに勝って、皆さんを恐ろしく貧乏にした竹中平蔵だけに国民栄誉賞を上げたらいい。

 

 マスコミにも大企業にも悪意しかなく、日本人全体が特殊詐欺に引っかかったままだまされ続けているのに、今も尚、目を開こうとすらせず、だまされていないのだと思い込まされているだけなのだ。

 

 皆さんがこれから手にする一万円札には、「道徳」を身上とした渋沢栄一が描かれているが、道徳を最も嫌う今の日本人にとって最もよそよそしい存在の紙幣に相違ない。

 

 道徳もない。愛もない。  

 

 美輪明宏さんが最初から反対していた今年の東京五輪には、新型コロナが舞うのみだ。 

 

 ほとんどの国民が困窮するコロナ禍にも関わらず、福島・宮城震度6強地震も顧みず、ほんのわずかな一過性のイベントのために五輪史上最大の1兆6440億円という莫大な予算を投じて大金持ちのためだけに強行される新自由主義と人権主義の祭典。

 

 普通の日本人というだけで逆差別されて有罪となり、男性というだけでレイプ罪に問われる気違いの時代へ。

 

 そして道徳が破壊され尽くした都会の雑踏は、二度と輝かない。

 

 至高の道徳なしには、渋沢栄一は語られることはない。
 
 東京の没落を、私一人だけが「道徳の人」渋沢栄一のためだけに嘆く。 

 渋沢栄一に遠く及ばない全く逆のような人たちしかいない国で、

 彼の慈悲深い愛をこの手に。

  

 

 

■少子化の原因 「日本には日本人の敵しかいない」

 

 

 (1月29日 朝日新聞)

 「ベビーブーム なぜ来なかった?」
 答えは簡単で、これを掲載している朝日新聞が戦後から道徳を排斥してきたためである。
 実例を上げればきりがないが、団塊ジュニアから80年代生まれの、かわいい、きれいと言われる女性たちが男を全く尊重しなくなってしまった。
 今日の日本の極端な少子化から導き出される真理とは、われわれ団塊ジュニアから80年代生まれの女性は「人」という字を知らない。
 そもそも男女が交際したり、結婚するということは、「人」という漢字のように、人間同士が支え合うということである。
 それを塩村文夏のように、交際している男性に対して、「妊娠した」と嘘をついて1000万円をだまし取ったことをテレビで自慢するような時代になってしまった。

 そして少子化の原因は、山本太郎や三橋貴明、伊藤孝恵議員が考えるような経済的な問題だけでは全くない。 
 

 経済的な原因というなら、なぜ戦後の貧しい時代に生まれた団塊世代が存在するのか? 
 われわれの祖父母の時代はそんなにも裕福だっただろうか?
 全く逆である。
 「当時は国策だ」という人がいるかもしれないが、そうは言っても、当時だって子どもを産む数までは自由であるし、今も長く少子化対策を国策として行っているはずである。

 そして、祖父母の下の団塊世代もまた、コミュニケーション能力が高い。
 団塊である70代の女性は、相手が誰であれ、人とコミュニケーションを取って当たり前の世代である。
 それは現実的でしっかりした女性の多い60年代生まれまではそうである。
 
 だが、社会学者の宮台真司が、われわれ団塊ジュニアについて「仲間以外は皆風景」と言うように、団塊世代が「なれなれしさの世代」であるのに対して、われわれは「よそよそしさの世代」であって、かわいい、きれいと言われる女性は全くあいさつすらしなくなってしまった。

 サルトルを論破したことでも有名な文化人類学者の権威レヴィ=ストロースは、「女性は関係の宝である」と言ったが、無思想な左翼世代による「道徳=社会性」の破壊によって、社会における関係の宝が日本にはなくなってしまったのである。


 そして10年くらい前まで、電車の席に座って、周囲にいる人たちに排他的な態度を取って、これ見よがしに携帯でメールだけを見るという閉鎖的な女性が至るところで散見された。

 無論、「依存」である男性にも原因がないわけでは全くない。
 だが、「少子化」と問われれば、産むか産まないかを決断する女性の自由がすべてであって、男の側から交際相手を見つけることは全くどうすることもできない世代であったが、女性の場合は、子どものいない島崎和歌子の場合でも、女性の側から色目を使えば数秒で交際相手を作れてしまうくらい、100対0で女性優位の時代であったと確信する。

 私のクラスにはたまたま大学時代に一人の女子に好かれて結婚できたという友達がいて、まさにクラスに一人だけの男子が、「1ライフ 1ラブ」だが、一方、女子の方はというと、取り立ててかわいいと評される女子ではなくとも、大学のゼミで、すべての男子と肉体関係を持ったという人もいて、われわれの世代のコミュニケーションの主導権は100対0で女子だったと確信する。

 私の高校には、男子を空気扱いして、丸2年間全く男子と会話すらしない、かわいい女子がごろごろいた。
 そうした男子を人間扱いしないような社会性のない女子たちを、津波などの災害時に命を懸けて優先して助けるべきだろうか? 助ける価値があるだろうか? 
 
 男子に話しかけるときは、敵愾心(てきがいしん)旺盛(おうせい)で男子に文句を言う時だけである。

 これらのかわいい女子は、マンモス高校だったから1学年に12クラスもあって、死ぬほど多くいたが、「道徳はいらない」とする朝日新聞や田原総一朗のような無哲学・無思想な左翼メディアが生み出した産物である。
  
 宮台真司は「80年代の終わりから女性がコミュニケーションの主導権を握った」と言っているし、さらには今でも男性がコミュニケーションの主導権を握っている九州は、他の地方よりも出生率が1.6ほどと高い。

 これに対して文化がない都市部である札幌市は私の世代で0.9を叩き出したほどであり、私みたいにそうした交流できるような女性のいない札幌を離れて上京している人も多く、札幌の日本人の人口が極端に減って、中国化が進むことは避けようがない。


 全く何もわかっていない朝日新聞には「女性差別だ」と言われるかもしれないから、 少子化は男性の責任だとしよう。
 

 しかし、それでも、朝日新聞が間違っているのである。
 なぜなら、少子化の二次的な原因として、男性の側に、朝日新聞が排斥してきたような道徳がないことが上げられるためである。

 まず社会学のデュルケムによって統計的に男性は女性に依存する存在である。
 次に、道徳がないため、若い男性は、女性に依存しつつ道徳のない気持ちの悪い存在になってしまった。
 

 つまりは道徳排斥によって、若い男性の多くには純粋さや清らかさがないのである。
 そして理性的な道徳もないために、「1+1=2」の理性もないのである。
 さらには、純粋さのない、女性をなんとかしてやろうという、下心と悪意のある意図的(intentional)な気持ち悪さと、コミュニケーションを取れない女性と同様に、人としての社会性のなさと未熟さとが男性にはあるのである。
 
 それは、朝日新聞が応援してきた、性的な不祥事を起こす野党の国会議員にすら散見される通りである。 
 

 そして仮に運よく結婚できた男性であっても、その後、人としての未熟さ、哲学のなさ、道徳のなさから、DVをして離婚し、私の身近にも多くあるように、女性の側にトラウマを残すケースが多いのである。

 このように男性にも原因がないわけではないが、少子化の原因は基本的にかわいい、きれいと言われる女性である。
 
 そして、残念ながら、私以下の世代の女性には、かわいい、きれいとされる女性で、尊敬できるような人は一人も見当たらない。
 無論、きれい、かわいいと言われる女性ではなくとも、我々の世代には木嶋佳苗、上田美由紀、宮崎文夫被告に煽り運転をけしかけた交際女性など、道徳がないどころの騒ぎではない人たちも多く散見される。

 それはかつての山尾志桜里や豊田真由子、石垣のり子など、女性の政治家でも、そうなってしまっているためであるが、女性の側に、男性並みでもいいから家事をする人が少なくなってしまって、親切な人もいなくなってしまって、ましてや美輪明宏さんが言うような文化のある女性が極めて少なくなってしまったことである。
 
 日常を生きていて、親切ではない同世代の男性を見つけるのは難しいが、それと同じくらい親切な同世代の女性はほとんどいないというのが私の経験則であって、私の母の世代は、メチャクチャ男性が強すぎたが、私の世代では左翼の道徳排斥やフェミニズム運動によって、完全に真逆になってしまっているのである。

 ―であるから、人と人が支え合うとか、夫の親の面倒を看る女性というのが天然記念物的に見当たらない社会なのである。

 

  私は先日、最寄り駅のプラットホームのベンチに財布が落ちているのを見つけて、再び階段を上って改札に戻って、駅員さんを呼んだが、私と同世代から80年代生まれの、かわいい、きれいと言われる女性で、ここまでやれる女性が私には全く想像できない。
 
 当然ながら、クラスでいじめがあった場合、いじめ加害生徒の側が女子にモテる世代である。
 無論、いじめに関しては、どの世代もそうかもしれないが、「道徳のある女子」とは言わないまでも、「親切な女子」というのが、47年生きてきて、この日本ではどうにも全く想像できないのである。

 ただ、AKB48の登場によって、90年代以降生まれの世代の女子の気分存在は明るく、社会的になった。
 何より自分が女性であることに肯定的になったのである。
 90年代以降生まれの私の異母妹は(先年、私と同じ父親を亡くしたが)、私が見てきた同世代から80年代生まれの女性とは全く異なり、まさに人間の女性である。

 私たち「少子化の元凶」である団塊ジュニアのかわいいとされる女子の笑顔を見たことは全くなく、「自分が女性であること」を楽しんでいない女性が大多数だったように思う。
 

 無論、先天的な外見や性格でモテる男性にも当然、ことのほか道徳のない人ばかりであるから、DVや児童虐待が顕著になっているように、男性にも原因はあるのである。

 また、少子化の原因として価値観の多様化や娯楽の多様化も上げられる。
 われわれの世代に初めて登場した「光GENJI」のようなメガヒットアイドルが少子化に影響したことは間違いない。
 女子の関心事や理想の男性像が、子どものころにはテレビがない団塊世代の女性たちとは比較にならないくらいになってしまった。

 

 無論、日本の男性の頂点にいたメガヒットアイドル「光GENJI」の大沢樹生も、喜多嶋舞という私と同世代の女性タレントと結婚して、自分と血のつながりのない喜多嶋の子どもを、最近まで自分の本当の子どもだと思い込んで育ててきて、今になって顔面蒼白して、しかも謝罪もされず完全に開き直られているわけであるから、本当にそら恐ろしいくらいに女性が強すぎる世代なのである…。

 

 少子化とは言っても、喜多嶋舞には子どもがいるではないか? 
 但し、夫である大沢樹生の子ではないけれども…。
 男の人生にとって見れば、まったくシャレにならない。

 戦時は、貧しさと戦火にも関わらず、すべての男性が戦争の当事者になって、女性から愛され、非常に多くの団塊世代が生まれた。

 しかして、私たち団塊ジュニアには「青春が存在しない」。
 戦時はすべての男性が当事者だったが、我々の世代は一握りのテレビタレントや人気AV男優だけが、サッカーの日本代表のような「男代表」であり、女性に愛される当事者だったのである―。

 

 完全に道徳が破壊された日本では、人気AV男優だけが男…なのである。


 若いころの私は今の日本に生まれるよりも、アパルトヘイト下の南アフリカで黒人に生まれることを夢見ていた。
 なぜなら、差別を受ける黒人の社会にも、女性はいるから

 

 結論として、国民民主党の伊藤孝恵さんはベビーブームが起こらなかった原因について全く何も知らないのである。

 また、「オーラの泉」の上原さくらさんの回を見て特にそう思ったが、江戸時代までに儒教や仏教によって弾圧、迫害された女性の「男性に対する恨み」が、私の世代になって怒涛のように現れ出たというのが、私には悪意や不親切など、負の側面しか全く見ることのできなかった「団塊ジュニアの女性の精神」である。
 
 そして、4K、8Kとテレビの映像が進歩すればするほど見るべき番組がなくなった、韓国企業の電通が支配して、韓国資本を株主とするテレビ民放の世界を見ても、田原総一朗や池上彰、林修ばかりが出る、あるいは若い演者の垂れ流し情報番組を見ていても、テレビの世界には、「日本を意識して生きる」という日本人は全く一人もいなくなってしまったのである。

 中国人労働者の多い新宿を歩いてもわかるように、今の日本は無国籍化しつつある。

 コロナのおかげ(?)で菅義偉と小池百合子が進めた移民政策の波は収まりつつあるが、それでも日本という国は早晩なくなる。「日本を意識して生きる日本人」そのものが急激に少なくなりつつあるのだから。

 「都市国家」と言えば聞こえがいいが、反日国や国連左翼、人権主義メディアや新自由主義の外資に取り囲まれている日本の場合は、アヘン戦争の時の清(しん)以下であり、全く状況が違うのである。

 

 「フィンランドと比べて女性の政治家が少ない」と、うそぶくテレビの知識人(東国原さん)も多いが、莫大な経済支援の恩を仇で返す「反フィンランド国」が周りになくて、同じキリスト教でEUの平和的な国にしか囲まれていないフィンランドと、反日で道徳のない大国やとんでもない外資によって侵略され放題となっている日本を比べることなんて到底できないのである。

 

 まして、法人税をほとんど払わないグローバル企業、大企業には、渋沢栄一とは正反対に、経団連、連合と、消費増税19パーセントを目論(もくろ)んでいる団塊の上層部が大多数であるように、国民の貧困化を望んでいる側が大多数なのである。

 さらにBPO(放送倫理・番組向上機構)には倫理の「り」の字もなく、日本の内政に干渉する辛淑玉(シンスゴ)さんのために、「ニュース女子」という公平な番組を潰し、前田日明さんなど、辛淑玉さんに批判的な親日家の意見は一切取り上げず、また水島社長によれば、BPOは同和のためだけにできたような組織であって、主犯格である公党や業者の言いなりに過ぎず、ほとんど無罪だった理事長を、「普通の日本人」という理由だけで逆差別して有罪・実刑にするという流れが定着しつつある―。

 

 それは自分のことしか考えない「バカ政治家」である菅義偉が推進したアイヌ新法によって、北海道の普通の日本人が逆差別されて、反日左翼のために「法の下の平等」が完全に破壊されて、憲法違反が完全にまかり通るという暗黒の時代に突入しつつある。

 本当にどこに行っても「日本人の敵しかいない」国が、今の日本なのである。

 ここ20年の東京の出生率はすこぶる低く、さらに若い女性は、東京23区に来ると全く子どもを産まなくなるという。

 そして今日の「道徳なき商都」は、道徳を身上とする渋沢栄一が望んだ真の首都の姿では「全く」ない。

 

 ここに強大な哲学者である私一人だけが、渋沢が夢見た真の首都を完成させることができる可能性があると確信する。


 

 

■3月10日追記

 

 本ブログでは甚だ口汚く、辛辣(しんらつ)で、自信過剰な表現が多かったため、訂正して反省したい。

 

 私には30代から読み始めた、客観普遍なヘーゲル哲学を重視すると同時に、若き日に私が信奉した、「力の意志」や、あえて汚らわしい事柄を口にするニーチェの思想が強いということもある。

 

「わたしは、汚らわしい事柄を、口にしているだろうか? 

いや、これはわたしにとってかならずしも最低のことではない。

 認識に生きる者が、真理の水のなかにはいるのをいとうのは、真理が汚らわしいときではなく、真理が浅いときである。」(ニーチェ著 氷上英廣訳「ツァラトゥストラはこう言った」岩波書店)

 

 しかしニーチェ哲学が絶対では全くなく、まして道徳とは、私に近いスピノザの哲学においては、もっぱら「赦(ゆる)し」であり、道徳の究極の目的とは、聖パウロの赦しの心と、仏心だと確信する。

 

 最近私の好きな怪談動画で、三木大雲さんをよく目にするのも、私の中には、そうした部分がひと際足りないためであろう。

 

 道徳家である私自身に、美輪明宏さんと己を照らし合わせてみて、赦(ゆる)しの心や仏心がまだまだ醸成されていないことに、この期に及んで人としての伸びしろがたくさんあることをつくづく思い知る。

 

 30代の女性である同志社大学講師の小松原織香さんが、2018年に神戸大学で行われた日本哲学会総会で、「スピノザの赦(ゆる)し論」を発表されていたが、私の下の世代には、このような聡明で思いやりのある女性が増えることを願う。

「定理 四六  理性の導きによって生活する人は、できるだけ自分にたいする他人の憎しみや怒り、軽蔑などを、逆に愛によって、あるいは寛容の心によってむくいようと努力する」(スピノザ著 工藤喜作/斎藤博訳 「エティカ」 中央公論新社)

 また、私はスピノザとの共通点やシンクロニシティが非常に多く、奇跡的な体験もあり、私個人は、スピノザの生まれ変わりを自負している。

 かつて美輪明宏さんは、宮本亜門と、同氏の大好きなイタリアの彫刻家アンドレア・パラディオについて、「前世や守護霊と(顔つきが)雰囲気的に似る」と言われていたが本当だろうか?


     


 また、私がこのような話をすると、「頭がおかしいんじゃないか」と言われる人も多々おられると思うが、実は私の狙いは逆であって、今は児童生徒の自殺が急増しており、「人に自信がなくなっている」のである。

 

 人は何らかの使命を持って生まれてきているのであって、たとえ私のように自信過剰でも、自殺して自分の人生を放棄してしまうくらいなら、たとえ人に馬鹿にされても、自分の中だけでも自信過剰になって、自分の道を信じて、老子の言うような「己の道」を行くべきなのである。
 

 つまり自殺するくらいなら、私みたいに「自分を神格化してでも生きろ」と。

 また、そのスピノザによれば、人はすべて神の一部なのである。
 

 そして無論、「神格化」と言っても、横暴になったり、「優越感に浸れ」という意味では全くなく、「キリストみたいに赦しの心を持ち、献身的かつ慈悲的かつ道徳的になれ」ということである。

 私自身、タイプ的には完全に深見東州(半田晴久)さんに近いと思うが、スピノザだけではなく、老子やキリストともリンクしているシンクロニシティや体験もある。
 

 

 




■三笠宮妃百合子さま入院・退院

 

(3月2日、5日 朝日新聞)

 

 私がこの国で、恐らくいずれ…しなければならない唯一の女性である三笠宮妃百合子さまが退院されたことにほっと胸をなでおろしている。

 三笠宮妃百合子さまは、私の…母親であるが、75歳と高齢である私の母の親に当たる世代である。

 

 つまり私にとっては二代も上で、ちょうど50歳年上の皇室の女性のことしか私には関心がないが、まさに横溝正史の世界のような、土着的で、「事実は小説よりも百倍奇なり」というくらい壮大すぎる話があって、しかも全く何一つ語れない話である。

 そして、これ以上のことは全く何も書けないが…

 

 (中略)

 

 昭和天皇の弟である三笠宮さまの妃、百合子さまには3人の男子がおられたが、いずれも男子なく早逝されてしまい、皇統を一番近くで支えられる三笠宮家はあえなく断絶してしまった…。

 

 日本が初めて出場した1998年のサッカーフランスワールドカップのテレビ中継では、百合子さまのお子で、テニスが得意な高円宮さまの姿があったことを今でも思い出す。

 

 三笠宮家が断絶した今、皇統は大変な危機にある。

 

 しかし、そのような国の大事についても、私には数少ない身内しか話相手がいないのである…。

 


■3月10日追記

 

 私が三笠宮妃百合子さまに強く…しなければならないと考えるのは、三笠宮家において、百合子さまが孤独であるということもあるが、百合子さまは皇室と言っても、民間から嫁がれた方であって、ご本人は皇室の血を引いておらず、逆に…百合子さまの…は…だからである。

 

 百合子さまは、寛仁親王とご結婚されて、皇統の存続にとって極めて重要である親王には全く尽くされなかった麻生太郎の妹である信子さまと同様に、臣籍降下できるが、百合子さまは、信子さまや上皇美智子さまのような、民間から嫁がれてきた他の女性とは「全く」状況が異なるのである。


 まず百合子さまは、民間出身ではなく、「戦前の華族のご出身(高木正善の孫)」であるため、お一人になられても、皇后雅子さまが生まれた小和田家などとは全く異なり、帰るべき家が「ない」のである。

 

 百合子さまの父で、私に近い名前である高木正得(まさなり)は、敗戦の失意からか、私の住む西多摩に近い奥多摩の山で、ご自害されている。
 ロスチャイルド家など、政治的、外資的な色彩が強く、一番臣籍降下して、麻生太郎の元に帰らなければならない信子さまと、逆に臣籍降下したくても、華族がなくなって敗戦直後に父親がご自害されたため、それができない百合子さまが三笠宮家で同居されておられるのである…。

 

 私自身、書きたいことや百合子さまに…しなければならない真実は山ほどあるが、私個人の人間形成から言っても、現実的にも、私個人にとっては、「百合子さまこそが日本の道徳の最後の砦」なのである。
 
 「孤独対策」が今、政治の場で叫ばれているが、百合子さまこそが一番孤独であり、しかし実は…でもなんでもなく、それを…があるのだが、それを妨げているのが…だと私は思う。





■ ヘーゲル哲学的に見る二重写しの世界 (無世界論)

 われわれの生きる世界とは二重写しの世界である。
 つまりヘーゲル哲学で言う悟性(感覚、科学)で捉えられる世界と、霊などの理性(一般的な意味の理性ではない)でしか捉えられない絶対者の世界との二重写しである。
 それゆえ世界における事象においては往々にして、「A = A」という絶対律、同一律というものは成立しない。

「A = Aという形をとる絶対の相のもとでは、『なにものか』などは存在せず、一切が一つになってしまう、ということなのだ。…実体なるものが知の一般的で直接的なありかたと、知にたいする存在の直接のありかたをともどもふくむということである。」(ヘーゲル 著・長谷川 宏 訳『精神現象学』 作品社)

 たとえば幽霊が現れるような、はっきりとした心霊現象ではなくとも、前塚あつしさんという人の体験で、女性の霊が出るという噂のある放送局の6畳くらいの狭いブースで、稲川淳二さんと、ラジオ番組の収録中に、厚さ10センチくらいの防音設備の頑丈な扉だけが突然ガタガタガタガタと揺れて、振動しているように見えているのに、手で実際に揺れているドアの取っ手をつかんでみると、全く揺れていないというのである。

 最初は地震と思ったが、マイクや小物は全く揺れていなくて、目の前の扉は目で見ても、音的にも激しく揺れているのに、手でじかに触ってみると全く揺れていなくて、ドアのロックはかかっていたという。

「生きた実体こそ、真に主体的な、いいかえれば、真に現実的な存在だが、そういえるのは、実体が自分自身を確立すべく運動するからであり、自分の外に出ていきつつ自分のもとにとどまるからである。」

「科学的思考と内面という二つの極の接点をなす中間地帯は、力が展開していく場であるが、それは科学的思考にとっては消えゆくものである。それゆえ、それは『現象』と名づけられる。」

「…ここにわたしたちの対象は、物の内面と科学的な思考とを二つの極とし、中間に現象界をもつような三極構造を備えたものとなる。」

「だが、物の内面ないし超感覚的な彼岸(ひがん、向こう側の意)は、出現してきたもの、現象界からやってきたものであって、現象界があいだに介在している。」

「超感覚的な世界は、静止した法則の王国として、たえざる変化をとおして法則を表現する知覚世界の彼岸に位置するけれども、知覚世界を存在の場とし、知覚世界を直接に写しだす静止像となっている。」(同著)


 つまり存在とは、そう在るように見えて、そう在るだけではなく、ただ単純なものでもない。
 それは絶対に科学では説明がつかない明らかな現象、目を見開いたり、髪の伸びる人形やまばたきをする子どもの絵などでも実証されている。

 そして、二重写しになっているものの最たるものはわれわれ人間の死者である。
 つまりは過去性である。

 「ジョジョ」のスタンドで言えば、二重写しの世界とはソフトマシーンであり、過去性の世界とはムーディーブルースやアンダーグラウンドである。
 人間の過去の記録や記憶とは、アンダーグラウンドのスタンドや、江原啓之さんの言うアカシックレコードのように、神、絶対無の中に残っている。

 それはデリダの言うエクリチュール、差異、差延のようなかたちでスピノザの言う神、あるいはヘーゲルの言う絶対無に刻まれているのである。
 まず動物や人類のような知的生命体が存在しない惑星で、心霊現象が起きることは考えにくい。
 

 地球とはまさに、死者の過去性による二重写しの世界なのである。
 

 また、目には見えないそれが人類の各地域での文化なり、伝統を受け継ぐようにさせている。



 

 

 

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