新年のごあいさつ/神田沙也加さんの死/道/美輪明宏さんが私の本を!?/非道徳の嵐2022/ | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

新年のごあいさつ/神田沙也加さんの死/道/美輪明宏さんが私の本を!?/非道徳の嵐2022/

 

 

  

  左上からあきる野市、羽村市役所(選管)、牛浜駅(福生市)、日の出町役場

 

 

 新年あけましておめでとうございます。

 

 アメブロのブログ読者は、日本のネット・SNSでは数少ない良心的なコミュニティであり、昨年も非常に多くの「いいね」と、心あるコメントをいただき、深く感謝しています。

 

 今年は寅年ですが、1月5日に栃木の那須サファリパークで、飼育員の鍵のかけ忘れによって、虎が飼育員通路にまで出てしまって、痛ましい事故が発生し、さらには新型コロナが再拡大するなど、厄災(やくさい)の年になっていきそうです。

 

 また、どうしても、昨年末にブログで書いたミュージカルスター、神田沙也加さんのご不幸について、事件直後ということで情報もなく、書き足りませんでしたので、一番最初に補足と訂正をしていきたいと思います。

 

 それでは本年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

【1月20日 追記 
 オミクロン株による感染者数の激増で、まさに災厄(さいやく)の年初となっていますが、重症者・死者数とも極めて少なく(「それゆえに感染が拡大している」というのももちろんありますが)、今年もまだまだ始まったばかり。

 私自身がより日本のために貢献できるよう、力を尽くして参りたい所存です。】

 

 

 

■前回の神田沙也加さんの記事に関する補足と訂正

 

(2020年12月31日 日本テレビ  絶対に笑ってはいけない大貧民GoToラスベガス24時!)

 

 前回のブログは悲報からすぐの投稿だったため、神田沙也加さんが亡くなられる直前の具体的な情報が全くなかったが、「週刊文春」の報道などから、自殺に直結する様々な事実が浮かび上がった。

 

 私は当初、「ミュージカル公演の心理的負担と重責による自殺」と考えていたが、後になっていろんな情報が出て来て、ミュージカルだけによるものではない可能性が高いため、追記して訂正していきたい。

 

 まず、神田沙也加さんは離婚後、同じ「マイフェアレディ」に共演する前山剛久氏と結婚を前提に交際しているという事実があって、沙也加さんが亡くなる前に、前山剛久氏と口論していた。

 

 そして非常に不可思議だが、「週刊文春」がこの二人の口論を録音した音声を入手しており、ネットでその音声を公開しているという「週刊文春」の電子版のページに行くと、「定期購読は 2,200円/月」という案内の表示が出てしまい、音声を聞くことはおろか、沙也加さんの死に関する文章すら読めなくなってしまう。

 

 つまり、「週刊文春」は、どんなに控えめな言い方をしても、「神田沙也加さんの死で小銭を稼ごうとしている」。
 

 「人の不幸は蜜の味」をここまで露骨にやる出版社がかつてあっただろうか? 

 しかも日本人の誰一人として、それを疑問に思わない。

 

 「週刊文春」を始めとする非道徳メディアが、すべて裏でつながっていて、神田沙也加さんの自殺で文春を売ったり、他の情報番組の視聴率を上げるために、自殺に至るまでの、二人の口論の音声を盗聴するなどして、計画的に自殺に持って行くようにしておいて、「週刊文春」が長く週刊誌を売るために、神田沙也加さんが死に至る経緯を小出しにしている印象がある。
 

 ―でなければ、このような人の死を悪(あ)しざまにして足蹴(あしげ)にするような、人の道にもとるあくどい商法はおよそあり得ない。

 「週刊文春」は令和の豊田商事である。
 
 張本人の前山剛久氏は事務所に守られて休養しており(謹慎ではなく!)、神田沙也加さんの死は、元カノとの三角関係など様々な問題を解消せず、「死ね」と言い放った前山剛久氏と、前山氏並びに、自分自身が出演している「マイフェアレディ」との決別のメッセージだったに違いない。

 さらには実母である松田聖子さんが突如、自分の親族が経営する芸能事務所を単身飛び出していて、沙也加さんとは何年も絶縁状態であり、その沙也加さんも、村田充氏と離婚して、前山氏との関係もうまくいかず、宙ぶらりんの状態であった。
 さすがに沙也加さんが松田聖子さんと絶縁状態だったことは私も知らなかったが、国民的アイドルの家庭が、拝金主義だけの芸能界の中で、大の大人から何ら道徳的な忠告もなく、いとも簡単に、このような事態に立ち至ってしまうほど日本の道徳退廃は深刻なのである。

 つまり、沙也加さんには頼みとする人が一人もいなかった(父、神田正輝さんは何もできなかったのだろうか?)のであるが、人間は当たり前だが、自由な存在であり、24時間監視することができないため、自由である以上、他人が自殺を止める術はないが、この国には、超有名人である神田正輝・松田聖子夫婦の長女にすら、このような悩みや不安を克服して、人としての最低限の生き方を教える道徳倫理が欠如していたことが、若い女性の自殺が増えている日本の病巣として挙げられるのである。
 
 まして「ミュージカル」という、作り物の世界、つまりアルトーの言う「書かれた台本=アドリブ、ライブではないので死んだもの」でしかない、仮想の世界のおとぎ話に精神を乗っ取られたような、絵空事のドラマの、「1億分の1」の作者個人のヒューマニズムでしかない、社会性のない世界観に没入させられ、感化させられていて、まして宝塚のように女性だけではなく、前山剛久氏のような道徳のない色男まで紛(まぎ)れ込んでしまっているのだから、二重にタチが悪い。
 沙也加さんに必要な普遍的な道徳としては、前山剛久氏という「個」や「マイフェアレディ」という「一興行」などといった取るに足らない他者への「依存」を解消することが挙げられる。

 沙也加さん本人や沙也加さんの人生にとって、道徳がなくて、女グセの悪い前山剛久氏や、「マイフェアレディ」という作り物の舞台は、全く大したものではなく、かつ、それらの外には、沙也加さんが生きていくべき真の、別の世界がいくらでも存在するのである。
 ―というか世界は、前山剛久氏や「マイフェアレディ」がなくても全く何も変わらないのである。

 これ以上、日本が若い女性の自殺をなくそうと本気で考えているなら、美輪明宏さんが言われるように、そのように感情的に依存もしくは没入してしまっている個や物事と距離を置いて、理性的に物を考える思慮分別を社会は教えるべきなのである。

 ところが、沙也加さんは、言ってみればミュージカルという非常に狭い世界、オウムみたいなカルト宗教に取り込まれているような状態であり、さらにはそれが「すべて」とすら考えるような状態だったので、冷静な判断ができなかった。
 
 これがいじめで自殺した女児であれば、学校であったり、同級生、今で言えばネットの世界が「すべて」ということになってしまうが、すべてから飛び出してみることが、人が主体的に生きるためには重要なことであり、逆に言えば、何もない所にこそ、自分が歩むべき他の人には見えない「道」があるのである。

 

 

 神田沙也加さんは、可愛かずみさん、飯島愛さん、上原美優さんに近く、好きな人に殉じるかたちでの死を遂げられた。

 坂口杏里さんは沙也加さんと同じく恋多き女性であり、二世タレントとしては近い立場である。

 多くの女性にとって、人を好きになることや恋愛はすべてなのかもしれない。

 また、子どもが生まれておれば、自殺されなかったかもしれない。 

 だが、どんなかたちであれ、生き続けることがすべてである。

 

 生き続けることで、個別的で、ヘーゲルの言う「排他的な愛」ではなく、美輪明宏の言う、花のような「無償の愛」、博愛を身に付けられればと切に願う―。

 

 

 

 

■アントニオ猪木の「道」

 

 私と同じ哲学者、清沢哲夫の詩。

 

「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし   
踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 
迷わず行けよ  行けばわかるさ (1、2、3、ダーッ!)」 
(清沢哲夫『無常断章』/『猪木寛至 自伝』)

 

 アントニオ猪木によるプロレスの試合後のマイクパフォーマンスでも有名な詩だが、船木誠勝が前田日明に誘われて、猪木が運営する新日本プロレスを脱退してUWFに移籍する時に、猪木が船木に贈った詩としても有名である。

 清沢哲夫は老子やヘーゲルを知らず、たまたま読んだゲーテの「ファウスト」から着想を得たらしいが、より幅広い哲学に精通する哲学者の私から見ても、この詩は至極、老子「道徳経」の道やスピノザの神、ヘーゲルの必然に通じるものがある。

 

 すなわち人には一人一人目に見えない「道」がある。

 それは一見して偶然、偶有性に見えるが、それは果たして全くそうではない。

 ことに若くて、全く何も知らず、全く何も経験していなければ、理解できない領域である。

 若い頃の私は完全にそうだった。懐疑的だった。

 

 学校、会社、役所、テレビ、ネットなどの世界や、肩書、資格など、そうしたものは道とは全く関係ない場合が多い。

 道は他人から与えられるものでも、社会から与えられるものでもおよそない。

 逆に言えば、最初から生きるレールが決まっている世襲政治家や世襲タレントは道が見出せない。

 まして無宗教で、哲学に懐疑的な日本人ならなおさらだ。

 己の道を進んでいれば、他人をいじめることもないし、自殺もしない。

 やるべきことで頭がいっぱいだからだ。

 また、中学生くらいであれば、当然全く道が見出せていない年齢なので、悪いことばかりをしてしまう。

 

 

 

 

 

■美輪明宏さんが私の本を推薦!? 

 

 (朝日新聞  2021年11月27日)

 

 

 「哲学を学びましょう」と美輪明宏さんは言われるが、周知の通り、①日本のメディアには哲学を理解している人はほとんどいない

 また美輪明宏さんは、文化を重視する麗人にも関わらず、②「年に何百本という近年の映画やドラマを見るよりも、やさしい哲学の本を読むこと」を勧めている。

 私個人としては、それは哲学コーナーに置かれる私の著書「いま僕らに必要な道徳」しか思い浮かばない。

 なぜなら、美輪さんは「③アインシュタインですら、哲学を知らないから間違いを犯した」とも言っている。

 つまり、美輪さんが勧めている哲学の本とは、現実社会には全く還元できないものも多い個別的な哲学そのものではなく、道徳・倫理に関する普遍的な哲学を指している。

 

 よって①、②、③より、美輪さんが勧めている本の最たるものが私の本であると私は勝手に認識する。

 

 哲学特有の難解な専門用語を使わずに、わかりやすい言葉だけでの「一般書」として総合的に哲学を取り扱っている本は私の著書以外には極めて少なく、また、道徳であれば、「美輪さんと親しい江原啓之さんの本じゃないの?」と思われる人もいるかもしれないが、江原さんの本には哲学については書かれていないのである。

 

 「悩みのるつぼ」で、美輪さんは、メディア権力である朝日新聞に寄稿しているため、立憲民主党のような「多様性」という言葉を使われているが、人権主義によって社会秩序が解体され、新自由主義によって富が切り売りされている今の日本社会が、これ以上「多様性」を認めてしまえば、反日の外国人が参政権を持ってしまったり、中国人がさらに日本の土地を買い漁(あさ)ったり、外国人やマイノリティによって日本人が逆差別されて、日本の医療が奪われたり、えん罪にさせられるという時代になりかねない。

 

 美輪さんが、この道徳全否定の朝日新聞で語られている「多様性を認めましょう」の「多様性」の部分には「道徳の必要性」という言葉がそのまま入る。

 これを学校教育での国語や道徳の設問にしてもいいと私は思う。 

 

 5年前に自著を出版した時には、美輪明宏さんの事務所にも自著を献本したが、今年はダメ元で美輪明宏さんとの共演を目指していきたい―。

 また、哲学や道徳倫理はもちろん、美輪明宏さんが90年代に絶賛していたソフトバレエの森岡賢さんの死と、原爆投下を題材とした音楽作品について、お話したいことが山とある。

 

■追記   2月4日

 美輪明宏さんは、教育学者で、私と同じ明治大学の齋藤 孝さん(私は明大卒というだけだが)と仲が良く、コンサートに足繁く訪れる齋藤 孝さんと深い交流がある。
 しかし、それでも、美輪さんは普段からよく知る齋藤孝さんの本ではなくて、道徳倫理を学ぶために、「哲学書」を勧めている。

 美輪さんはハッキリ「哲学」と言っちゃっているから、齋藤孝さんは完全に門外漢となる。

 だが、先に述べたように、小林よしのり氏が熱中したハイデガーなど、メジャーな諸哲、哲学のほとんどが、現実世界にはほとんど還元できず、まして日本哲学会は、アカデミズムを極致まで究めた、日本で一番、社会生活に還元できないような学を研究している学会であり(しかも全共闘世代であるため、道徳に否定的なジェンダー志向…)、一般的な世俗とは完全に乖離した学会であり、かつ、道徳倫理も学べるような、日本人が書いたような哲学関連の書はほとんどないため、私の本のことを指しているか、あるいは私の著書のような本を指していると思われる。

 唯一、私もリスペクトしていて、NHKにも出演している西 研さんがいるが、あくまで哲学だけがメインであり、私のように道徳倫理を強調しているというわけでは全くない。

 

 

 

 

 

■ソクラテスの対話法と、少年による振り込め詐欺・学校でのセクハラ・カスハラの原因は朝日新聞。

 

 (朝日新聞  2022年1月7日)

 

 残念ながら日本の義務教育課程には、「道徳科」という名こそ冠しているものの、本当の意味での道徳教育は全く存在しない

 無論、小学校で数学の基礎である算数を学ぶように、それは最低でも、高校の倫理科を易しくしたものでなければ普遍的な道徳とは到底呼べない。

 そこで私は今、哲学・社会学・社会思想で論じられる普遍的な道徳・倫理を、100回ほどに凝縮した道徳講習会を企画している。

 それはいずれ動画を作成して、YouTubeにアップロードしていく予定だが、YouTubeは新規参入がほとんど無意味であるため、動画がアップロードできるなら、フェイスブックやInstagram、本アメブロなど他のSNSに移行していくことを前提にしている。

 

    

(大島康正 著 「精説 倫理・社会」  数研出版(私の親族より「下賜」された高校倫理の参考書))
 

ソクラテス「道徳全否定の朝日新聞さん。あなたがたが問題視しているカスハラ、つまり公務員に対して暴言を吐いたり、説教をしたり、居座ったり、脅迫したりするなど、『悪質なクレームをする顧客』は、道徳的な人たちだと思いますか? 」

朝日新聞 「いや。」

ソクラテス「でも、あなたがたはありとあらゆる手段を使って、戦後一貫して道徳そのものを全否定してきましたよね? その結果、日本人はどうなったと思いますか?」

朝日新聞 「当然、道徳的ではなくなっていく。」

ソクラテス 「では、日本で悪質なクレームをする顧客が社会問題となっている原因は、どういった人たちによるものだと思いますか? 」

朝日新聞 「それは道徳を全否定して、日本のメディアから道徳を排斥(はいせき)してきた私たちマスコミだ。」

ソクラテス 「するとあなたがた左派マスコミは、日本人の道徳を破壊して道徳のない人たちを生み出し、社会問題を起こさせて、さらにそれをあなたがたがテレビや新聞で報道して、自分たちの飯の種にするために、日本の道徳を破壊してきたんだね?」

 

このような「対話法」によって、理論的に普遍的な道徳を導き出したのがソクラテスである。

 

「ソクラテスは…道徳の相対化を克服し、社会の混乱を救おうとしたのである。
そのために、彼は…真の道徳の規準・根拠を求めようとした。
ソクラテスは道徳を人々の思わくや社会の変化によって左右されることのない、絶対・普遍のものにし、そのうえに、真によいポリスの生活を築こうとしたのである。」
(大島康正 著 「精説 倫理・社会」  数研出版)

 

 

 

■道徳には教えられる道徳と教えられない道徳がある。

 

※ このテーマにつきましては、テーマが多すぎる本記事では書ききれませんので、道徳講習会や近著でお話します。

 

 

 

■少年必見のブログ 「きれいごとだけを言う日本のマスコミにだまされないで。」 

 日本のメディアの大罪と、改めて伝えたい「道徳の必要性」 

 

    

  (朝日新聞  2022年1月5日)

 

 ジェンダーやLGBTなど、人権主義のきれいごとで自己正当化して、道徳環境を破壊した戦後マスコミの罪は重い。

 たとえば、格闘家であり、YouTubeでも有名な朝倉未来(みくる)さんも、暴走族だった少年時代に無免許運転で少年院に入り、その後更生して格闘家として大成したのち、YouTubeに母親孝行の動画をいくつも投稿して多くの再生数を記録しているが、立川で男女殺傷事件を起こした私の地元あきる野市に住む19歳の若者は、殺人を犯してしまっているため、もはや取り返しがつかない―。

 

(私のブログ読者には耳にタコであるが…)

 

「社会の比較的弱い成員たちを教育して理性的行為の…水準にまで高めるためには、彼らが…無分別な行為を為すのを待って、…その後にこの行為を理由として法律上…の刑罰を加えるという方法以外には、方法がないかのように論ずることには、賛成することができない。」

(J.S.ミル著 塩尻・木村 訳 「自由論」)
 

→ 要約すると「犯罪を犯してから道徳を教えるのでは遅すぎる。」

 

 そして道徳とは、未来さんが「少年院に入った」などという経歴、属性ではなく、善へと向かうベクトル、運動、方向性である。

 道徳とは、「be動詞」でいう身分や存在ではない。

 ヘーゲル哲学的に言っても、「Aさん = 道徳的」という同一律や絶対律にはならない。

 

 事実、日本には立派な肩書きの人でも、非道徳な人がいっぱいいる。

 

 全共闘世代が上層部にいるマスコミ、財界、学界が、それら愚かしい文系の人たちが(日本の理系は世界的に優れているとしても)、ない頭で、哲学を知らず、道徳を全否定してきたことによって今日(こんにち)の日本の社会衰退がある。

 

 

 

 

 

(朝日新聞  2022年1月11日)

 

 朝日新聞が恥ずかしげもなく、一面に堂々、「学内セクハラ」って。

 

 どう考えても、戦後一貫して日本のメディアから「道徳」を排斥(はいせき)したあなたがた朝日新聞が原因じゃないの?

 朝日新聞などの、論理矛盾した、「1+1=2」であることもわからないし、それが真理であるとも認めたくない、ただやみくもに、駄々っ子のように、「道徳はいらない」と、分別のつかない子どものように雄叫びを上げる「だけ」の左派メディアがなくなって、道徳の必要性を伝える理論的なメディアが醸成されれば、このような社会問題は間違いなく激減していく。

 だが、中国やロシアのように人権が抑圧されている国では左派メディアは必要である。

 

 

 

■非道徳の嵐2022 立憲のCLP問題

 

 野党、立憲民主党が完全に「狂っている」。

 

 立憲民主党は反日・性犯罪者と、ネットの誹謗中傷者たちの資金源なのだろうか? 

 

 立憲民主党からCLPへの非公開での資金提供が社会問題となっているが、さまざまな性的犯罪や不祥事が報じられてきた「朝まで生テレビ」や「AbemaTV」のパネリストとしても知られる菅野 完(すがの たもつ)氏が運営する「コーポレーション」にも750万円余りが流れているという。

 

(朝日新聞  2022年1月13日)

 

(2022年1月12日  ツイッター 門田隆将)

 

 

  

(週刊女性PRIME 2021/5/31  『週刊女性』編集部 週刊女性2021年6月15日号、
2022年1月7日  ツイッター ピーチ太郎2nd)

 

  私は今まで、あいちトリエンナーレの問題で津田大介氏を、ナイナイ岡村さんの失言に対する個人糾弾の問題で望月衣塑子さんをそれぞれ批判してきたが、津田大介氏、小島慶子さん、望月衣塑子さんらが連名で―、

「立憲民主党から『番組制作費』として1000万円以上の資金提供があったことが確認されました。報道機関でありながら、特定政党から番組制作に関する資金提供を受けていたことは、報道倫理に反するものです」

 ―として、ネットメディアであるCLPと、彼らに近いスタンスの政党に対して、倫理的な抗議文を出したことは評価できる。

 しかし、私と同郷で(北海道には左翼が多い)、同世代の泉健太氏が党首を務める立憲民主党は早期の幕引きを図ろうとしているが、今すぐ真相解明して、国民に説明するしかないし、場合によっては関係者の処分や解党もあり得る。

 CLPの問題は、門田隆将さんのツイートなどでも話題になっていたので、私も初めて知ったが、立憲民主党から、強制わいせつ、女性暴行、着服、石垣のり子議員との不倫などが報じられている菅野完氏が代表の「コーポレーション」にも750万円余りが行っているという。

 この国は「反日」、 「非道徳」というだけで「朝まで生テレビ」にも出れるし、不倫もできるし、公党から大金ももらえる。

 完全に狂っている。

 私とほぼ同世代の菅野完氏は、かつての津田大介氏と同様、「道徳全否定」の田原総一朗氏に愛され、「朝まで生テレビ」にも出演するなど、私とは極めて対照的で、正反対の立場の人だ。

 逆に哲学、社会学、社会思想に精通して、20年来道徳の必要性を主張して、新自由主義にも反対するなどして、都議選にも立候補し、古くは2000年の宏池会の公募に応募するなど、日本の保守として活動してきた私は、マスコミ、内ゲバを繰り返している道徳のないビジネス保守、維新寄りの新自由主義者、道徳のないNHK党の支持者、菅野完氏に近い自称「取材者」など、ありとあらゆる層の人たちから攻撃され、また、ネットで孤立し続けている―。

 反日マスコミ、反日活動家、保守を装う新自由主義者、アトム化した(バラバラになった)ビジネス保守、中国の脅威、オミクロン株、天災、原発廃炉の問題、皇統の危機…と、このまま行けば日本は完全に滅び行く国である。

 だがマスコミやネットに全く味方のいない私でも、昨年の都議選では、羽村市役所の選管の皆さんが大変良くして下さったし、連日の大雨などで全く何もできなかったその羽村市でも3%を得票することができた。

 事実に基づかないことを書いたうえで、私を「泡沫」として誹謗中傷している人もネット上にいるが、事実としては、私の実家は地元とのつながりが非常に強く、あきる野市、福生市、羽村市などでは、国政政党である国民民主党の候補などを上回る得票率を取ったのである―。

 TOKYO MXの「ニュース女子」が打ち切りに追い込まれた問題や、あいちトリエンナーレの問題、さらにはテレ朝が国家公務員法を顧みず、美人記者を財務次官に個人的に接触させて、セクハラ騒動を誘発させた問題や、昨今の菅野完氏など、「反日」というだけでマスコミがやりたい放題で、犯罪者でも有名になって何でもできるという国。

 全マスコミが「1+1=2」という普遍的な真理を曲げてでも、道徳を全否定しようとする以上、メディア権力には民主主義が及ばないので、私が日本で道徳の必要性を広めるには、政治家になる以外ない。

 

 昨年の都議選では、立候補を決めたのがわずか2週間前であり、全く何もできなかったが、あきる野市だけに、たった480部のビラを頒布しただけで、福生市と羽村市よりも、なんと250票も多く得票することができた。

 マスコミや左派取材者がどんな悪らつな誹謗中傷や印象操作を仕掛けて来ようと、地元からこの国を守るために、地方選挙にはことごとく立候補していく予定である―。

 「道徳全否定」である立憲、共産、反日の類は、日本の政界より完全に駆逐されなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

■「ネット、YouTubeを今すぐやめよう。」

 

 テレビにも十分出れる超有名人が、有害広告がドシドシ出てくるYouTubeにまで進出して、民業を圧迫しつつ収益化しているのはいかがなものか? 

 

 

 (YouTubeに出てくる広告)

 

 正直、私自身も多くのYouTubeを見てしまっているので、私自身を戒めるメッセージでもあるが、「YouTubeを今すぐやめよう」。
 

 それはまず第一に、何と言っても、テレビとも異質の有害広告が、動画の再生前に差し挟まれるためである。
 

 私は1998年の時点で、知り合いの公認会計士の方に、「ネットには広告を入れた方がいい」と言っていたことがあった。
 1998年の私は、まだ道徳の「ど」の字もない時期であり、明治大学ではマーケティングを専攻していた。
 

 しかし、24年経ってこの状況である。
 今日のコロナの新規感染者数を見ようと民放キー局の数分のニュースを見ようとしたら、再生する前に性描写の音声土砂降りのバカアニメ広告が入った時には正直頭に来た。
 

 昔は「朝まで生テレビ」のような民放の討論番組があったが、残念なことに道徳倫理の必要性を全く理解できない、左のジャーナリストの田原総一朗が牛耳ってしまっているため、まして2004年以降は韓国系の電通がテレビで支配的となり、元より韓国資本が株主となっている日本のテレビ民放では、反日や左以外の討論の場がなくなってしまった―。

「国際情勢や安全保障問題などを取り上げる番組の多くが地上波放送から姿を消し、グルメ番組、お笑い番組、スポーツ中継、ワイドショーばかりが放送されている。」
(「フジと日テレ」の外資比率が、東北新社を超えても許される理由 平井宏治:株式会社アシスト社長)


 よって、今の時代に討論の場はなく、それぞれがYouTubeで、自らの収益化のためだけにそれぞれの意見を一方的に言う事になる―。

 

 ホリエモンのチャンネルに小林よしのりさんが出演して議論する「コラボ」というかたちもあるが、基本、良好な関係でなければコラボはあり得ず、道徳を重視する反・新自由主義の旗手だった小林よしのりさんが、コロナの問題では孤立しているため、「コロナで意見が近い」というだけで、道徳に否定的で新自由主義のホリエモンにおもねっていて、正直情けなかった。

 

 またコラボとは逆に、水島総さんと我那覇真子さんとの対立や、立花孝志さんと籠池夫婦との対立、KAZUYAさんの参政党離脱など、ネットで近すぎる関係だったがゆえにお互いの差異を認められず、討論番組ではありえないような、裁判沙汰に発展してしまう、個人的で不毛な対立も生まれた。

 

 三橋貴明さんクラスでも、最近では共著を出したり、方向性が同じ論客や盟友とされる論客を批判して、そのまま疎遠になるなど、「和を以て貴しとなす」という日本人の最低限の美徳が程遠い時代となった。

 

 そしてネットにも関わらず、元スポーツ選手OBや格闘家などの著名人から三橋貴明に至る評論家ユーチューバーまで、双方向的には一切進行せず、どのYouTubeも、テレビと同じく完全に「一方方向」である。

 

 それでいて、一切の客観的な外部の意見や検証が入らない。

 「言いっ放し」なのである。


 よって、今の日本は古代ギリシャのソクラテスの時代以前の、相対主義の混乱に陥る状況となってしまった。

 さらには多くの著名人の意見を聞くためには、その人たちの数だけ、多くの有害広告を食らわなければならない計算になる。
 また、YouTubeの場合は、テレビ番組を録画した時のようには、CMを早送り、スキップすることができない。
 最近では、一番最初に二つの長い広告を完全に全部見てしまわなければ、動画が再生できないようになってしまっている。※ 但し、三橋貴明さんの動画には広告が入らないため見やすいが。
 

 どんな著名人のYouTubeであっても、有害広告の入る一方方向的なYouTubeは今スグ見るのをやめるべきである。
 

 そして道徳的な霊視芸人であるシークエンスはやともくんが言うように、人はネガティブな情報だったり、あるいは非道徳な情報に、まして未熟な若者であれば、より多く飛びついてしまうため、AbemaTV(菅野完、橋下)、シバター、ホリエモン、へずまりゅう、立花…と、日本のネット社会の道徳退廃はとどまるところを知らない。

 永ちゃんの「アリよ、さらば」ならぬ、「YouTube乞食よ、さらば」である。

 「ネット、SNSはバカのための拡声器」(ビートたけし)

 私個人は「ネットがない時代に戻りたい」と希求する。

 あの頃は無名の一私人が公然と誹謗中傷されるシステムなんて存在しなかった。
 インターネットは各人同士でメールでやりとりしたり、ホームページやブログを持てればよく、匿名で私人を誹謗中傷する温床である「2ちゃんねる」を法律で禁止すれば済む話だったのである。

【1月20日 追記 

 但し、貴重な情報共有の場であった功績も大きいため、特定できる私人の誹謗中傷、名誉棄損に特化して何らかの形で規制すべきだった。

 しかしながら、ほとんどの人が無宗教で、道徳倫理に関心のない日本で、人はネットで他人を褒めないし、「匿名で悪口を書くのが当たり前」という風潮も残念ながらある。

 そしてそうした自分の「道」を見いだせない人たちによる、悪感情を意識できない幼稚性もまたこの国の病巣だろう。
 2000年代の、そうした悪感情の格好のはけ口が2ちゃんねるである。
 だが、日蓮上人の言う「還著於本人(げんじゃくお ほんにん)」のように、「人を攻撃すれば、必ず自分に返ってくる(三木大雲)」し、そうした悪意ある精神性では、神道の清き明き心やキリスト教の清らかな心とは正反対で、人様の足を引っ張るだけであり、決して己の道を永遠に見い出せないのである。
 

 つまり「人を呪わば穴二つ」で、自分が自分の首を絞めて道徳的な罪(sin)を重ねて、地獄へ行くだけの悪循環。
 
 そうした地獄行きの日本人に一筋の光明をと。】
 

 また、事実、昔にはなかった、未熟な若者によるネットの大衆掲示板での脅迫による犯罪、検挙もなくなる。
 だが左派メディアの後押しもあり、今でもAbemaTVなどに出まくっているひろゆきや、田原総一朗に擁護されていたホリエモンといった道徳に極めて否定的な、いわゆる「脱法組」が勢いを増していくことになる。

 事実、私の支持者に若い男性は一人もいない。

 

 無知の悪逆と、拝金主義とが人間の尊厳をあざ笑うかのように、日本人の心を卑しく舐める。

 

 「『北斗の拳』でいう悪役しかいない、道徳全否定の国、日本」。

 

 東京23区でも新型コロナが再拡大して、再び暗雲が立ち込めつつある。

 

 道徳的な岸田文雄氏が就任したものの、マスコミの反日勢力主導による日本人の道徳のなさが再び、コロナという厄災(やくさい)に反映されるかたちとなった。


 


 (戦後日本の道徳退廃と社会衰退 2022  哲学者 高澤一成)


 日本を救済するために、上の社会衰退の図を作成しました。

 新型コロナの収束と共に、全国で発生している深刻な児童虐待、いじめ自殺を一刻も早くなくすため、一人でも多くの国民がこの画像を拡散することを望みます。                                           
 

                                        2022年1月23日 哲学者 高澤 一成




 

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