おはこんばんちは。
七星 晶音です。
随分前に途中まで更新して
そのままになっていた
お諏訪さんのことなど。
そのうち書こう、書こう…
と思いながら
自分の中での旬を逃し
時間も経ってしまって。
友人達と過ごした時間の
楽しさや高揚感や
まさか自分がと思っていた
遠方の聖地に
訪れることができたことへの
嬉しさやありがたさは
未だ残っているものの…
現実的な旅のプロセスの
細かいところは
朧げになってしまったけれど。
自分がその場その場で感じた
これはどういう意味なんだろう?
何を表しているんだろう?
と、当時、推測・解釈
しきれなかったがゆえに
不思議で強く印象に残っている
スピリチュアルなイメージや感覚を
改めて記事として
記録しておくことにしました。
というのも しばらく前から
いつも楽しく読ませて頂いている
神社仏閣系記事の
ブロガーさんたちが
お諏訪さんへのお参りのご様子や
「鹿の国」という映画について
ご紹介されることが多く
お諏訪さんに重なる
信仰の歴史の中の
御室(みむろ)神事
というものを知って
みむろ、に涙反応も有
宇治上神社さんでの
みむろワードとも続いており…
少し調べてみたところ
あれ?そういえば…と
もしかしたら
私が諏訪で感じたことと
何かしら繋がっているのかも?
と思う部分があったからです。
なお、全ては私の
個人的な感覚にすぎません^^
そうかもしれないし
そうではないかもしれない…
目には視えない世界の
可能性の一つとして
お読みくださいね。
上社・前宮
諏訪大社を構成する
四社の中では
私はこの「前宮」の鎮座する
土地そのものの空氣感が
とても好きで
相性の良さを感じる
離れがたいものでした。
古い時代の悠久感の
名残というのか
のんびりとした
穏やかで素朴な空氣の中に
少し「影のようなもの」
があって
善と悪、とか
生や死、とか
陰と陽、とか
そういう二元論的な
価値や分類に縛られない
もやもやと入り混じる混沌を
ありのままに聖とするような
独特な空氣が
漂っているのです。
その空氣は
お宮の周りの森や
森の奥の遠いところに
繋がっているように思えました。
そんな中でひと際、その
清々しさが映えるのが
細い小川として
キリリと冷たく流れていた
「水眼」(すいが)
と呼ばれる清水の
清浄なご霊氣でした。
大好き。
前宮のお社は
正面で礼拝した時は
シンプルで素朴な衣を着た
大昔の巫女のような方々が
(※ご眷属さまかな?)
必要最低限の用件を
済ますような体で
出ていらしたけれど
神様は感じられず。
けれど
お社の裏手にまわると
社殿の裏の樹々の合間から
素朴な生成りの衣を着た
寡黙な印象の
背の高い男の神様が
無感情な雰囲氣で
佇んでいらっしゃるのが
感じられました。
裏手の杜の近くに寄って
友人と話していると
その男の神様の意識が
私と友人に
ご興味を寄せてこられたのが
伝わってきて。
でもね、そのときに
男の神様の姿が
大きな蛇の形になって
鎌首をにゅーっと伸ばして
私たちの顔を覗き込むように
確認なさったんですよ。
神様の意識が動くと蛇になり
元いた場所に意識を戻され
じっと佇まれると
男性のお姿になる
二つのお姿を移ろう
不思議な神様だったのです。
旅では、前宮には二度
参拝する機会がありました。
旅の途中で、思いがけず
視えない霊的な石ころ達が
とんと詰まった、
「袋」の預かり物をしてしまい…
二度目に前宮にお参りした時に
勝手に手が動き
拝殿の前に、いくつかの
視えない石達を供えたのが
わかったのだけど
その視えない石たちは
楕円形の円い形の石たちで
(ああ、これは蛇の卵に
見立ててあるのか…)
と感じたことを覚えています。
上社・本宮
本宮では、神様からの
歓迎のお気持ちや
そのおしるしのような
サインをたくさん頂きました^^
ブルーで囲んだ
勅願殿のあたりに
山や森を思わせる
自然のエネルギーを
豊かにまとった
力強く、腹の据わった印象の
いざという時の面倒見のよさや
頼もしさを感じさせる
大きな男の神様がいらして。
自らはその存在を
ご主張はされていないのに
エネルギーにハリがありすぎて。
存在感がドォンと
にじみでてしまっている感じが
印象的でした。
・・・でも
境内の作り的には
メインの神様ではない
ってことなのかな?謎でした。
パープルで囲んだ弊拝殿では
初宮参りのご祈祷を
見せていただいたのですが
ここはとっても優しく
穏やかな清らかなご神氣が
流れていて。
ご祈祷が始まったときに
社殿奥の黒と金の扉の
向こうから出ていらした
神様は…
私たちと変わらない
等身大サイズの
元・人間的な神様で。
とても綺麗な
白と、青みがかった紫の
グラデーションの色彩が
感じられるお召し物で。
あれは何色?
と思った時に「藤色」
と浮かび涙反応が。
黒々とした若々しい長い髪に
髭を生やされた
どちらかといえば細身で
華奢な体格の
30~40代くらいに見える
男の神様です。
御祭神である
建御名方神のイメージとは
まったく違うし
記紀で描かれている時代ほど
古いお生まれではなさそうな
印象だったんです。
初宮参りのご祈祷中、
その神様は
気取りのない自然なご様子で
てくてくと歩かれて
お母さまが抱いている
赤ちゃんのすぐ前に進まれました。
そうして床に膝をつかれて
丹念な、丹念な…
こよなく丁寧な手つきで。
何度も何度も、赤ちゃんを
撫でていらっしゃいました。
赤ちゃんを見つめる
眼差しの雰囲気が
真剣で、優しくて。
ひと撫でひと撫でが
ひたむきで一生けんめいで…
そのご様子に
私の瞳に、だんだんと
涙がこみあがってきました。
なんていうか…
見た目には繊細そうな
中年男性の姿の神様の
その一連の仕草が
私には
とても尊くて清らかな
純真無垢な少年のように
感じられたのです。
もしかしたら
建御名方神として
祀られている神様とは
全く別の
神様なのかもしれないけれど…
清らかな子どものようなお心
を持った、尊い神様なんだろうな…
そう思ったのでした。
蛇神、石、少年のような神様
お諏訪さんのお参りでは
他にも色々と素敵なことや
不思議な感覚があったけれど
以上が、私の中で
特に印象深かったものです。
御室神事のことや
複雑な諏訪信仰について
調べてみて…
人と蛇の二つの姿をされた
男の神様や
蛇の卵に見立てた
お供え物の石、
藤(不死?)を象徴した衣を着る
無垢な少年の神性を感じるような
男の神様、
これらのイメージが
直接、御室神事に結びつくわけでは
ないのだけれど
なんとなく符合している部分が
あるような
そんな気がして。
もしや私があの前宮で感じた
寡黙な男の神様も
本宮の弊拝殿で感じた
お姿は大人だけれど
幼い少年のように
純粋に感じた男の神様も
諏訪信仰の歴史の中で
もしかしたら「御室神事」でいう
「大祝」という
現人神の役割をされる中で
本当に神様になられた
そんな方たちだったのではと。
前宮の神様は
御室神事の前身と
なるような儀式が
行われていたかもしれない
もっともっと古い時代の
そういう方で
本宮の弊拝殿にいらした神様は
それこそいつしかの時代の
「大祝」であった方なのでは
と思ったのです。
本宮の境内のつくりは変わっていて
諏訪大社の御神体は
守屋山だとされているものの
参拝所から礼拝する時
参拝者は守屋山の方向には
向き合わない形になっています。
では、どこを向く形になるのか?
とグーグルマップで確認してみると
偶然なのか
秘密裏にそうされているのか
私たちが礼拝しているのは
かつて大祝が生活していた
前宮の方向であることも
何か関わりがあるのかな?
くらすわ諏訪本店
お野菜が美味しかった♪
あの金と黒の扉の奥に
古い時代に大祝として生きた
神様たちが
さらなるご修行を積みながら、
諏訪の地で暮らす人々の
幸せや平安を願いながら…、
穏やかに暮らしていらっしゃる。
そんな世界があるのかも。
想像のふくらむ私でした。