美しさと異様さを醸し出す「針尾送信所」の遺構へ!

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こんにちわ!

日本中の知られざるスポットを掘り下げてブログにしている『知の冒険』。今回の記事は、長崎県にある太平洋戦争に関する施設というか遺構になります!

長崎県の西海市という場所には、「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)」という場所があり、ここは海軍の無線送信所だった過去がありました。しかも、その遺構が残されているだけでなく見学まで出来るのだから、こりゃまた大変ありがたい( ̄▽ ̄)

日本でもこうした無線送信所の遺構はここだけだと思いますので、その遺構の内部、そして無線送信所ができた背景などの歴史も踏まえて、以下で紹介したいと思います!

本記事のポイント

・海軍の佐世保基地の情報を無線で送信していた施設
・三本の無線塔が正三角形を成して建っております
・廃墟となってはいるものの、内部は鑑賞できます!

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高さ136m、三本の不気味な無線塔

今回訪問したのは、長崎県西海市という場所。世の中的には、九州を代表する人気観光スポット「ハウステンボス」があることで知られているわけですが、このブログでは、そうした場所は取りあげません(笑)

ということで、今回は「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)」という場所を取り上げるのですが、ここには大きな三本の塔が建っていることから、近くまで行けばその異様な光景が目に飛び込んできます。

ちょっと不気味な光景だ・・

こんな感じですよ。。

この写真はセブンイレブンの駐車場から撮った景色なんですが、コンビニの駐車場からこんな光景が見えるなんて、凄いですよね( ;∀;)

何の装飾もないだけに、何だか不気味に感じてしまうのは私だけでしょうか。。このスポットの存在を知らないでこの光景が飛び込んできたら、結構ビックリしますよね。

間近で見ると、結構デカイっす

遠くからでも結構デッカく見えるんですが、間下から見ると、もっとデッカく見えます。高さは136mと、東京タワーの1/3くらいで、スカイツリーの1/5くらい。東京によく行くのでスカイツリーのデカさは見慣れているものの、それでもこうして見ると136mでもデカく見えますわ!

そしていざ遺構へ!

ちなみに、この施設は佐世保市の持ち物とはなっていますが、遺構を維持管理しているのは針尾送信所保存会の方々。少数精鋭で維持されており、お願いすれば解説しながら案内もしてくれます。とはいえ、多くのお客さんが来ると厳しいかもしれないですが。。

早速、中に入ってみましょ~~

まずは塔の中に入ってみることにしましょ~。三本の塔のうち、三号塔だけはこうして入り口は開いてるので、勝手に出入りが出来ます!!

まさに廃墟

入るとこんな光景が飛び込んでくるわけですが、見上げるともっと凄いです!!

すげぇ光景だ・・

いや~~~、これまた異様な光景ですわ。。中には鉄骨が組まれているものの、最上部まで見えるんですよね。結構風が強いことも多く、風が吹くと「ゴォーーーーーーーッ」ってすごい音がします!

怪奇、異様、恐怖・・様々な感情を抱く空間ですが、写真だけでは絶対伝えられないので、ぜひ足を運んで現地で見てほしい光景っす。

怖すぎて、とてもじゃないけど登れません・・

ちなみにこの塔、今の保存会の会長さんが小さい頃は子供たちの遊び場だったそうで、男の子は皆、この梯子(はしご)を登って遊んでいたそうです。。マジで??

階段は全部で596段。一番上まで登って遊んでいたそうですが、命綱もなくよく登ってたと思いますわ。。

ちなみに、現在は上部に取り付けられている航空障害灯の点検のために、3ヶ月に1回の頻度でこの梯子が使われているそうです。大正の完成当時からそのままということで、壁から外れたりしないかと思っちゃいますけども。。^_^;

この塔の高さは136m。壁面をよ~く見ると、規則的に線が入ってるのが見えますでしょうか??

というのも、この塔は1mずつ、136段を積み上げる形で建てられています。佐賀県唐津からコンクリートの材料となる砂利を運んできたんですって!

点々と見える窓は、明かりとり

136段になるコンクリートは、上部に行くにつれて壁面を薄くしています。そして壁面の所々には四角い窓が開けられており、これは「通気口」「明りとり」のため。これがないと、中は真っ暗になってしまいますからね(*´▽`;)

そうして作られた塔は、完成状態のままずっとここに建ち続けています。1918(大正7)年に完成し、それから100年近くもの年月が経ってはいるものの、まだもう100年近く寿命は続くといわれているそうで、それほどこの塔は立派に建てられているんですな~。

まだ100年は大丈夫とのこと

三号塔を見たあとは、電信室へと向かいます!

電信室へ向かうさなか、スタッフの方からこの無線送信所が誕生した背景についていろいろ伺ったので、次はこの辺の話をしてみることにしましょー!

なぜ、三本の塔が必要なのか?

この送信所が誕生したキッカケは、日露戦争でした。というのも、日露戦争で無線の重要性を認識されたためです。そのため、千葉県の行田市、台湾の高雄(当時は日本の領土だった)に建てられ、佐世保は三番目。他の二箇所は鉄塔で下が、佐世保だけはコンクリートでした。

何で佐世保に作ったのかというのは、主に以下の二点!

今の場所に無線送信所が誕生した背景
・佐世保の軍港に近いため
・九州で一番地盤が硬かったため

以上の理由により、1918(大正7)年から4年の歳月をかけて誕生した旧佐世保無線送信所。現在は三本の無線塔、そして電信室が残されていますが、元々は三塔の上部は線で結ばれて、そこから三方向へと無線を送信していました。

と言われても、わかりにくいと思うので、以下でもう少し詳しく!

完成当時はどうだったのかを、針尾送信所保存会の会長さんに伺うと以下のような姿だったことがわかりました。

超簡単な図で表してみます

三塔は、300m間隔で正三角形になるように建てられ、塔の上部には1辺が18mの正三角形で重さ9トンの鉄骨が乗っていたそうです(鉄骨は上の絵には描かれていませんが・・)。その鉄骨の間に線が張られ、正三角形の中心に位置する電信室からは、塔と塔の間の三方向に電波を送る線が張られていたのです。

そう、無線を送るには「電波を送る線」「高さ」が必要であり、三本の塔はこの電線を張るために高さが必要だったから建てられたわけです。

そして、三方向とは「中国大陸」「東京」「沖縄・南太平洋」でした。なるほど、これらの方向に無線を送る必要があるため、塔が三本必要だったというわけですね!

塔の上部にあった鉄骨

ということで、この針尾送信所に何で三本の塔が必要だったのか、そしてどうやって無線を送信していたかは、簡単ですが以上です。

下に簡単にまとめますね!

無線塔についてのまとめ
・高さは三本とも136m
・300m間隔で、正三角形を成す形で建てられていた
・三本の塔は、無線を送る線を吊るすための線を張るために必要だった

海上保安庁と地元民は仲良かったそうです

終戦後はGHQによって接収され、満州などから引揚に来た方の復員業務と海軍の財務処理をしていました。そうそう、長崎って外地から引揚された方が帰還した港としても有名なんですよね。

んで、この施設はその歴史を引き継いで、今では海上保安庁が使っています。とはいえ、戦後からは三本の塔や旧電信室は子供たちの遊び場になり(敷地の一部が海上保安庁の施設となってます)、他の敷地では桜が咲くことから花見をしたりしてたりと、今みたいに施設として一般公開されるまでは、いわゆる地元の方々の憩いの場となっていたそうです。

海上保安庁の方たちと地元住民の方も仲がよく、青を合わせるたびに挨拶を交わす感じだったんですって!

その後、2013(平成25)年の6月に塔を公開し、2016(平成28)年には電信室も公開して現在に至るそうです。一般に公開したのは、割と最近なんですね!

ここは入っちゃダメヨ

敷地の一部である、ここが現役の無線送信所っす。

電信室では、コウモリが冬眠中・・

ツタで覆われた素晴らしい光景

続いては電信室の中に入っていきます!

さっきも書いたように、この電信室は三本の無線塔の中心に位置しており、ここから中国大陸、東京、沖縄・南洋諸島の三方向に無線を飛ばしていました。

左側の場所から、中に入っていきます。

頭、ぶつけないようにね!

ヘルメットを装着して、入りましょ~~。

電気を交流から直流に変換するための部屋

マス現れるこちらの部屋は「整流器室」で、これから行く機械室にあった発電機で発電した電気を交流から直流に変換していたそうです。今は何も無い状態ですが、当時はどんな雰囲気だったんでしょうね〜〜?

ちなみにココ、普段はコウモリが飛び回っていて、結構来場者をビビらせているようなんですね。とはいえ、冬の時期になると彼らは冬眠するので大丈夫っす!!

冬眠中なので、触っちゃダメヨ

私が訪問したのは冬の時期。飛び回りはしないものの、中をよーく見渡すと、こうして冬眠している姿をちらほら見かけます。

しかし、こんな小さい足で、よく体を支えれてるな・・。

またいた・・
朽ちていく配電盤
廊下を進んでいきます
ボッロボロに朽ちてます・・

ここは硫酸倉庫。二次電池(バッテリー)に使うために劇薬の硫酸が必要であり、ここに貯蔵していたみたいです。

とはいえ、硫酸は揮発性が高くてコンクリート壁を侵す性質があるため、この部屋だけは煉瓦造りになっています。

さらに廊下を進むと、こうした広い部屋にたどり着きます。

ここは電信室の中で一番広い部屋で、「機械室」だったそうです。今は物は少なくガランとしてますが、当初はたくさんの発電機類が並んでいたそうです!

クレーンですな
隅に何かあります

物は少ないものの、隅にはこんなものがありました。

左側の建物は宿直室で、右にあるジャングルジムみたいなやつは、発電した電気を送る電線的なやつでしょうか??

宿直室の中は崩壊状態。。
ここは何だったんでしょう??
たくさんの碍子(がいし)が見られます
この汚れ具合が美しい

という感じですかね、ここは敷地は広いものの、見る場所は「三号塔」「電信室」の二か所になるので、そこまで時間はかからないかと思います。とはいえ、めっちゃくちゃ希少で貴重な場所なので。興味ある方には本当にオススメです!

おわりに

以上になります!

西海市は長崎空港から車で2時間もかからない場所ですし、飛行機を使えばそこまで遠くはない場所かなと思います。近くにはハウステンボスもありますし、あとは戦争関連の遺構なども多く、

手掘りの防空壕である「無窮洞」、浦頭引揚記念館など戦争関連の施設などニッチな場所も多いので、この辺りも合わせて是非足を運んでみていただければと思います!!

ではでは、また次の記事でお会いしましょーー!

参考文献

詳細・地図

住所 長崎県佐世保市針尾中町382
営業時間 9:00~12:00、13:00~16:00
入館料 無料
休館日 年末年始
電話番号 0956-58-2718(針尾無線塔保存会)
駐車場 無料
アクセス 長崎空港から車で1時間ほど
リンク https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/268

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コメント

  1. こばたい より:

    所在地は西海市ではなく、佐世保市です。

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