本州最南端の場所に眠る、白蝶貝に賭けた先人たちの物語とは!?

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こんにちわ!

日本中の知られざるスポットを発掘して、ブログにしている『知の冒険』。今回は、和歌山県の先端にある串本町がターゲットです。串本町は本州最南端の場所になるんですが、ここには「白蝶貝に人生を賭けた移民たち」の歴史があり、それが休憩所の建物に資料館の形で展示されているんですよね(*´▽`*)

めちゃくちゃマイナーな場所だとは思いますが、こういう場所こそ、このブログで紹介したいところになるので、この移民にまつわる知られざる物語を、資料館の内部と共に紹介していきますね~~。

本記事のポイント

・串本町からはオーストラリアに多くの移民が渡っていた
・それは、高級ボタンの素材に使われる白蝶貝を採取するため
・白蝶貝の採取は、過酷で潜水病になることもあった・・

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本州最南端の地に眠る移民の歴史

ということで、今回は和歌山県串本町にある「潮風の休憩所」という休憩所に展示されている物語のお話です!!

場所はココ!

本州の最南端ということで、なかなか行きにくい場所っすね。。

串本駅前にはこんなゲートがあります

串本町といえば、オスマン帝国(現:トルコ)のエルトゥールル号が難破して、海に投げ出された船員たちを地元住民が救った物語が有名!!

その物語を語り継ぐ「トルコ記念館」があることでも知られているほか、近年では民間のロケット発射場が誕生したことで、”ロケットの町”としても知られていたりしますわ。

初日の出には絶好のスポット

そんな串本町の先端には、潮岬という場所があります。ココこそ、本州最南端の場所であり、目の前には雄大な太平洋が広がっていて、この開放感がたまんないっすわ~~

この休憩所に知られざる物語が展示されとります

という感じで、雄大な景色を堪能したいところなんですが、今回の記事の目的はこちらの建物。ここは潮岬にある休憩所の建物なんですが、なぜか、この建物に知られざる貴重な歴史を語り継ぐスペースがあるんですよね!!

それがこちら!

休憩所に入った右手側にしれっと現れるこの空間。休憩所ということで、他の人であればちょっと暇つぶしに垣間見る程度で済ますかもしれませんが、私は結構時間かけて全ての展示物に目を通しました(笑)

あと、希望すれば休憩所のスタッフの方が解説もしてくれるんですよね。

ということで、ここからは館内の展示物と併せて、串本町に眠る「白蝶貝に賭けた先人たちの物語」を紹介していきますね~~!

白蝶貝を求めてオーストラリアへ!

串本町の移民に関する物語は、明治維新後にまで遡ります!

明治維新の後、日本は貨幣経済に転換し、税金が米納から金納となりました。これにより、自給自足していた農民にも急にお金が必要になってきたのです。

串本町の移民を率いた佐藤虎次郎

そうした串本町の方々を木曜島へと導いた背景には、”佐藤虎次郎”という人物がキーマンとなっています!

外務大臣である陸奥宗光の嘱託を受けてオーストラリアで移民の実態を調査し、町の青年たちを率いて木曜島へと移ったのです。彼が率いた人数は2,000以上にもなるようで、そうしたことから彼は”木曜島のキング”とも呼ばれています。

あとは、館内に展示されている資料を見ると、まだオーストラリアはイギリスの植民地だった際、極端な人手不足に悩まされたことも大きく関係していたようです。

こうして彼が紀南地方出身者の青年たちを木曜島へと引き連れたことが、串本町と木曜島を結ぶ大きなキッカケとなったみたいですね!

オーストラリアの先っぽっすね

その木曜島はどこにあるのかというと、ココっす!

この木曜島の目の前に広がるアラフラ海一帯は”真珠貝の宝庫”と言われていました。でも、そう言われていたものの潜水作業をする者が少なかったことから、多くの串本町民がココへと渡っていったのです!

館内に展示してあるこちらの資料は、その白蝶貝(真珠貝)を採集するための道具類などが多いですかね。ちょっと資料も一つ一つ見ていきますか!

世界一危険な職業だった?

ボッコボコに穴が空いとります

木曜島にわたった青年たちは、潜水することで、こちらの白蝶貝を採取していました。何でかというと、これらの貝は高級ボタンの素材に使われるからなんですね!!

白蝶貝(しろちょうがい)
透明感のある真珠光沢と虹色の輝きがある二枚貝で、真珠を作り出す貝でもある。プラスチック製のボタンが普及するまでは、高級ボタンの素材に使われていた。

展示されているこれらの貝は、遺族の方から寄贈していただいたもの。丸い穴がひたすら空けられているように見えますが、これは実際にボタンに使われたため!!

こちらもっすね!!

白蝶貝は、こうしたボタンになるようだ

これらの白蝶貝は、こちらに展示しているような道具や装備によって採取されていました!

重そうなダイバースーツですな・・

展示されているこのダイバースーツは、実際に木曜島で使われているものではなく、串本町周辺での潜水作業で使われたものとのことです。

でも、木曜島でもこんな感じのダイバースーツを着て潜水作業をしていたと考えられるとのこと。今ほど快適な装備でないと思いますし、いかんせん重そう。。

めっちゃ重そう・・

潜水というと、今では酸素ボンベがあるのでそれを背負えばいいですが、昔はそうはいきません。。そうしたボンベは無いことから、空気を送る役の人が必要だったんですね!

このポンプでダイバーに空気を送ってました

ということで、ダイバーへは、このポンプを使うことで空気を送っていたわけです。つまり、潜水作業をするには潜水する人に空気を送る人(この人をテンダーと言うそうです)が必要であり、ダイバーとテンダーは信頼関係が必要でした!

当然ではありますが、テンダーが空気を送るのをサボってしまうと、ダイバーは死んでしまいますからね。。

空気は、この管で送られていたようです
白蝶貝以外の貝も展示されているヨ
船員たちの手帳
串本町から木曜島への寄付送金に関する感謝状

病気や迫害との闘いも・・

高い賃金を求めてオーストラリアへと渡り、卓越した潜水能力を持って白蝶貝採取で活躍しました。技術革新によって白蝶貝採取を一つの産業として確立していき、木曜島では、人口の60%を日本人が占め、日本人街や日本人の経営による造船所や雑貨屋が出来たのです。

ただし、暗くて寒い海底での潜水作業はとにかく過酷でした。

1回で30~60分の潜水を何度も繰り返し、長い時には2週間休みが無い日が続くこともありました。運が悪ければ潜水病となり、重度の障害や死を招くこともありました。

また、日本人の台頭に脅威を感じた現地政府による「移民制限法」により、海上でしか生活できないなどの迫害を受けることにもなったそうです。。

木曜島には、日本人墓地も作られた

さらにはマラリアなどの伝染病で亡くなる方も多く、木曜島には、上のパネルにも書かれているように日本人墓地が作られました。

さらにさらに、1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発すると、木曜島の日本人は抑留、収容所に送られてしまうのです。オーストラリアの南部には、上の地図で示した場所に収容所があり、こちらに送られたようですが、木曜島からかなり離れてますな・・。

こうした収容によって木曜島での出漁は終焉を迎えることになります。その後は、串本町からアラフラ海に向けて出航することもあったそうですが、1961(昭和36)年になると、資源保護という点や、安価なプラスチック製ボタンの普及によって真珠貝の価格下落。ここで、アラフラ海への出漁の歴史は終焉を迎えました。

下に、簡単にですが抜粋した年表も載せておきます。

串本町と木曜島にまつわる年表
1878(明治11)年
島根県人・野波小次郎が、日本人で初めて木曜島の採貝業に従事する。
1892(明治25)年
木曜島(オーストラリア)の日本人は500人ほどになる。うち、和歌山県民は254人。
1893(明治26)年
佐藤虎次郎が、紀南地方出身者300人ほどを呼び寄せ”木曜島のキング”と呼ばれるようになる。
1913(大正2)年
オーストラリア・日本人会結成。
1941(昭和16)年12月8日
太平洋戦争が開戦。オーストラリアの在留日本人は各地で抑留され、三箇所の収容所に送られる。アラフラ海の関係者は、準戦闘員とみなされていた。ここで、実質現地での白蝶貝採取は終了。
1945(昭和20)年8月15日
太平洋戦争終戦後、オーストラリアの収容所に抑留されていた日本人は、浦賀港にて引揚。
1953(昭和36)年5月14日
戦後第一回の出漁採貝船25隻がアラフラ海に向けて串本町を出航。
1961(昭和36)年
資源保護、安価なプラスチック製ボタンの普及によって真珠貝の価格下落などにより、アラフラ海への出漁を終了。

昔の写真で歴史に触れることが出来ますよん

以上のような歴史は、映像で学ぶことも出来ます。時間は5分程度で長くないので、もし来館した場合は、見てみて下さいね!

映像は2パターンあります
司馬遼太郎の

という感じで、ざっくりですが串本町と木曜島の物語を紹介させていただきました。館内には、以上のように遺族から寄贈された関連資料やパネルなどで物語を紹介していますが、外にも見てほしいものがありまして、、

それがこちらの慰霊碑。

そして、この顕彰碑が向いてる方向の先には、、

はるか先には木曜島があるんすね・・

このはるか先には、オーストラリアの木曜島があるんですね。

現在、木曜島はオーストラリアのトレス市に属していますが、串本町はトレス市と姉妹都市を結んでいます。あ、あともちろんですが、串本町はトルコ共和国のメルシン市とも姉妹都市になっています。

平成23年にはトレス市をはじめとする代表団が来日し、友好都市宣言合意書の調印式も行われました。いや~、串本町はトルコだけでなくオーストラリアとも友好関係にあったとは!!

おわりに

はい、以上になります!

めっちゃくちゃマニアックな話ではあると思いますが、こうして全国を探してみると、いろんな物語が眠っているものなんですね!!

ここはとにかく行くのが大変ですし、わざわざこのスポットのために潮岬まで行く人はまずいないとは思いますが、年中無休で開館してますし、潮岬は初日の出や夕日を見に行くなど景色は抜群です(*´▽`*)

この辺に来た時には、ぜひぜひ立ち寄ってみて下さいね~

ではでは、また次の記事でお会いしましょー!!

詳細・地図

住所 和歌山県東牟婁郡 串本町潮岬2865-1
営業時間 09:00~17:00
営業日 年中無休
電話番号 0735-62-5750
駐車場 無料
アクセス 遠いです。。
リンク https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/shionomisaki/shiokaze.html

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