モモとさよならする日まで 100日目(後日アップ) | ありがとう、モモ。そして、さよなら…

ありがとう、モモ。そして、さよなら…

愛娘のモモ(Mダックス♀)が虹の橋へと旅立ち、本当に独りになったアラフォー独女のセンティアがペットロスとどう向き合うかを模索し、自分探しをしながら、モモとの思い出を綴るブログ。

※後日アップ

モモが旅立ってから100日が経ちました。

私は命日とか○回忌などの
供養に関する知識には、正直疎いです。

それは、今まで身近なところに
“死”がなかったからかもしれません。

ただ、100日目というのは、
私の中では節目の日だと思い、
こうして書いています。


49日までは、ほぼ毎日書いてきたこのブログも
その日を過ぎてから不定期に切り替えた。

それは、日が経てば経つほど、
モモの旅立ち直後とは違った感情が
押し寄せてきて書けなくなったから。

「モモがいないから悲しい」とか
「モモがいないから寂しい」
という感情は、当然想定していた。

でも、もっと掘り下げて考えてみると、
根本にあるのは、

「独りだから寂しい」

ということに気づいた。

20代後半まで、ずっと実家住まいだった私は、
実家を出て韓国にいたときに大学の寮に住み、
その後、長崎に移り住んでも社屋に住み込み。

だから、純粋な一人暮らしではなかったし、
一人の時間は寝るときぐらいしかなかった。

そして、その頃にはもう、そばにモモがいた。

今度は福岡に移り住んだときは同居人がいたこともあった。

今の家(東京)に引っ越して、仕事も家でするようになり、
人と接する機会も、それまでと比べたらかなり減り、
たまに話すのは同居していない家族か病院のみ。

気づくと、モモ以外に話す相手もいなくなった。

だから、モモは私からうだうだ愚痴を聞かされて、
すごく負担がかかっていたと思う。

モモは、当たり前だけど文句も言わず、
話を聞いてくれて、たまには噛みついて
叱咤激励をしてくれていた。

モモがいても“独り”だったし、
独身だし恋人とかもいないから、
独りは寂しいと思いながらも、
やっぱり、モモがいてくれたから
それでいいと思えた。

でも、できたらモモがいるあいだに、
私がモモを愛するように、私は誰かを愛し、
その誰かはモモを愛する…そんな存在が現れて、
2人+1匹という暮らしをするということに、
ひそかにあこがれていた。

まぁ、叶わなかったけど(爆)。


私は人に対して「愛する」
という感情を持ったことがない。

「愛してる」とも言ったこともない。

だから、恋人がいなくても結婚してなくても、
まぁ、いっかぁと思えたし。
(心の中では、ちと寂しかったけど)

そんな私に、モモは「愛する」ということを教えてくれた。

だから、私は毎日モモに「愛してるよ」と声をかけた。

きっと、これからの私は
「愛してる」と思っている相手には、いつか必ず、
「愛している」と言えるようになると思う。

モモは私に「愛する」ことを教えてくれたけど、
私はいまだに自分を愛することができない。


モモがいない今は、
モモがいないという寂しさと
独りという寂しさがある。

モモと話せなくなって、より一層
人と話す機会が減った。

その代わり、独り言が増えたけど。

本当に独りなんだなぁ、私。

独りがこんなに寂しいと思わなかったわさ。

そんな風に思うのは、歳のせいかな…(汗)。


追記(20:22)
去年からずっと後回しにしていたことが、
やっと少しずつ前に進めるかもしれない。

そんな機会が昨日あった。

モモのためにも私のためにも、
前を向いて生きていこうと思う。



最後まで読んでくれてありがとうございました。

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