遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

節 分

2023-02-03 15:43:51 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年2月3日(金)

節 分 


節分は本来は二十四節気の気候の移り変わる立春・立夏・立秋
立冬の前日の総称である。それが次第に立春の前日の年越しの
夜を指すようになったものである。
二十四節気は立春から始まり、大寒を持って一巡するが、その
大寒の最終日が節分である。 陽暦の2月3日頃にあたる。
翌日が立春なので待ちに待った新しい春を迎える喜びに浮立つ
気分がある。
岐阜・善行寺、

この夜は邪気を退散させるために、家々では戸口や窓に焼いた
鰯の頭と、柊の枝を挿したり、「鬼打豆」と称して炒った大豆
を撒き、自分の年の数だけ豆を食べる風習がある。
豆撒きは宮中で行われた「追儺式」に起源をもつと云われる。
追儺式では殿上人が鬼に扮した舎人を追い回し、桃の弓に葦の
矢を番えて射たという。 
元々大晦日に行われていたが、いつの頃からか追儺式と節分の
豆撒きが一体化して今日の形になったと云われている。
この豆撒きは近年、神社仏閣が大々的に取上げて、人気力士や
俳優等が年男となって裃(かみしも)を着け、参拝客に撒く。
立春に祝福の神々を招こうとするのである。

今年の恵方(古くは正月の神が来臨する方向、その年の何徳神
の居る方向、吉方)は、南南東である。
尾張四観音(名古屋城を中心にして四に方向甚目寺、龍泉寺、
笠寺観音、荒子観音を配した)のうち、今年の恵方(南南東)
は笠寺観音(真言宗天林山笠覆寺・名古屋市南区笠寺)である。



千年の昔から縁のある寺だ、笠を被った観音様が在り、これが
地名となったと云われる。木造の立派な本堂は、江戸時代建立
のもので、名古屋市の指定文化財である。
前夜祭、

コロナのため追儺神事を控えていたが、今年は3年ぶりに豆撒
き等の神事が行われた。前夜祭を含め多くの参拝客が訪れて、
この世の鬼(コロナ等の疫病退散や戦禍の終了等)を打ち払う
べく参拝、祈願していた。

大須観音

恵方巻

近年、節分に恵方巻を食べる(恵方に向かって丸かじり)のが
流行っている。起源は定かではないが、元々大阪で始まったと
考えられている。「船場の旦那衆が節分の日に遊女に巻き寿司
を丸かじりさせ、お大尽遊びをしていた」という話が伝わり、
これに大阪海苔問屋協同組合が寿司海苔を広めようと、恵方巻
を始めたという説がある。(大阪問屋街の船場には昔から色街
は存在しなかったというが、、?)
1970年頃に全国に広めたのは、大阪上本町の鮓店「美登利」
が、恵方巻の広告チラシを配布したのがキッカケで、全国規模
に発展したと云われている。
これも定かではないが、何れにしろ大阪商人の逞しさが起因し
ているように思われる。
毎年恵方巻はテレビや新聞のチラシ等、どんどん派手になって
居り、本来の節分・豆撒きよりこちらの方が賑々しいようだ。
ゴールド巻
ドッグ巻?
松阪牛ステーキ巻、


スイーツ、

ゴールド巻、松阪牛巻、三種巻、ドッグ巻き、、、、、中には
巻き寿司ではない物や、スイーツ等も登場(便乗)する。

カミさんから、「恵方巻買ってくる。?」「お願いします」
家では、あまり派手なもの(高価)ではなく、スタンダード、
さすがにかぶりつく事はできない(年の所為)ので、切って
貰い、半分ずつたべている(ご利益はないかも、、、)



今日の1句


節分や戦争の鬼打ちのめす   ヤギ爺



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