終活としての、書籍自炊代行業者の利用 | 本当の日本の歴史と、日本人を知って、自信を持つ日本人になるためのブログ

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日本の若者に、我々の先祖は、今を築いた立派な人達であることを理解してもらい、未来を切り開く自信を持ってもらうためのブログです。

閉塞した現代日本社会を打開するためにも、日本人としての自信を取り戻す必要があると考えており、そのための分析も試みています。

僕の父は、もう、30年近く前に他界していて、

母は、かれこれ25年くらい、いわゆる僕の実家となる自宅で一人暮らしをして来ていた。

僕は、熊本に転勤していた、ごく一時期を除いて、

実家から車、あるいは電車で数十分以内の近所に自分の家族と住んできている。

そして男手のいる仕事、あるいは相談事対応等をしてきた。


3年くらい前に、母、大分弱ってきたこともあり、

僕は、そしておそらく本人も、

一人暮らしは不安を感じ始めきたので、

介護付きの老人ホームに移ってもらった。


現在実家は、事実上は空き家、

母の家財道具や、洋服に代表される、あふれかえる物を格納する倉庫になっている。

そして、その維持管理をするために、僕がときどき通っている。


と言うか、そこの方が、僕の本宅よりもちょっとだけ都心に近いこともあり、

平日はそこで寝泊まりすることが多くなっている。


最近の母は、本当に弱ってきていて、

歩行機を使っても自力だけで歩くのは困難で、

車椅子を使うようになっている。


それはともかく、

この人、典型的な昭和一桁生まれの人で、とにかく物を捨てられない。

実家は、本当に物であふれかえっていた。


何かが入っていた段ボールや、物を買った時にもらった紙袋等々、

あげく、ここ最近、おせち料理は作らず、デパートで買っていたんですが、

それが入っていた、プラスチック製の使い捨ての重箱とか!

そんなのまで、数年分、

片っ端から取ってあった。


まあ、「残飯が放置してあって、汚臭がする」ってほどでは、ありませんでしたが、

かなりゴミ屋敷に近い状態でした。


だから、空き家になってから、ここ2〜3年、

僕はそこに泊まり込んでは、せっせと物を捨てて来ていました。


部屋の中に置きっぱなしになっていた袋、箱なんかは、ほとんど捨てました。

賞味期限切れの調味料等々、食料品関係もほぼ全部捨てました。

もう、母が使うことはないであろう、古びた調理器具もほとんど捨てました。

(母が作ってくれた最後の手料理は、結果的に2年くらい前に作ってくれた、

ハムエッグの野菜サラダ添えになりました。)

今の体調を勘案すれば、今後、母が料理を作ることはないでしょう。


さらに、そこにそのままとってあった、

僕たち子供たちの子どもの頃の古びたおもちゃも、ほぼほぼ捨てました。


父の蔵書も、サスペンスものっぽい文庫本始め、

日本文学全集、日本の歴史全集等、ほぼほぼ処分しました。


母の洋服、人形その他、母の物は、何かの拍子に、

「欲しい。見たい。」と言いかねませんし、

その時に、「捨てた。」では可哀想なので、そのまま取ってあります。


で、問題は、その昔読んだ僕自身の本なのです。

大学生の時、授業で使った、物理、数学等の専門書、

当時読んだ本、

そんなのが、置きっぱなしになっているわけです。


物理の教科書なんかは、

現役当時、その力を最高に持っていた時ですら、ちんぷんかんぷんだったわけで、

今さら、読んで理解できるはずもありません。


ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」なんか、上中下、全部で1514ページもあります。

こんな大長編、もはや、読む根気も気力も時間もないでしょう。


また、三島由紀夫なんかも、何十冊も持っています。


父の蔵書は、情け容赦なく捨てた僕ですが、

読むはずはないのは分かっているのに、自分のものは捨てられません。


いずれも、現在の僕の基底となる思想を形作る一助となった書籍です。

参考「物理学では世の中は良くならない」

参考「三島由紀夫ならこれ」


と言うことで、

それを裁断し、スキャンして電子化した上で、廃棄してくれる業者


に依頼して、手放すことにしました。


私的なコピーではあっても、それを業者に頼んですること、

これ著作権がらみでは、少し危ない行為です。

それをしたうえで、

そのコピーを不特定多数の人にばら撒けば、完全に著作権法違反です。

また、お金をもらってコピーをするのも、危ないです。


でも、これ、業者からすれば、

「原本を引き取って、かわりに電子化データを渡している。

つまり所持する所有権の、保持する媒体の移行を代行しているのであって、

コピーをしているわけではありません。

なんとなれば、原本は返却していません。」

という扱いです。


そして、僕からすれば、

「電子化することで、踏ん切りをつけさせてもらって、廃棄してもらっている。」

という感覚です。

そうでもしないと、

青春の思い出がつまる。

僕の思想の基底を作るベースとなった

これらの書籍を、僕は捨てられません。


時々気まぐれで眺めることはあっても、本格的に読むことは、この先もないでしょう。

まして、人に配ることなんか、決してしません!


koboの中でこんな風に並んでいるのが見られるのが、嬉しいのです。
 

 

 

時々表紙を眺めて、

 

 

思い出に浸るだけでしょう。

 



とりあえず、

父母の終活の代行として、実家に置きっぱなしになっている古い僕の書籍を、

順次、こんな感じで処分しようと思っています。


そのうち、自分の終活として自宅にある書籍も、順次電子化するかも知れません。


完全に著作権の問題をクリアした上で電子化するには、

単純に電子書籍を買い直した方が良いのが、現在の法律絡みの状況です。


また、実際に、読み直すために、

紙本を持っているのにも関わらず、買い直した本もあります。


これは、僕の順法意識が高かったわけではなく、

押入れのどこか奥深くにある紙本を探し出すためにかかる時間と労力を考えて、

買った方が早いと判断したからです^_^


しかし、現在の電子書籍、主な供給元は、楽天か、Amazonですけど、

それを読めるのは、そこが供給している書籍リーダーだけです。

(pdfの形の電子データであれば、どちらのリーダーでも読めはします。)


しかも、そのコピーロックを外してpdf化すると、

規約違反で、クラウドでもつアカウントを、剥奪されかねない状況です。


そんな、使いにくくて、将来が不安な形のデータ買いたく無いですよね?

どれでも読めるpdfで欲しいですよね?


著作権がらみで、ユーザーを締め上げるのではなく、

紙本同様、電子書籍も、お金を払ってそれを持つ価値がある資産となるべく、

規格を統一してもらいたいものです。


書籍というのは、人形やぬいぐるみなんか以上に、

それに接した個人は、愛着を持つ物なんですから。


一民間企業が、勝手にその権利を剥奪出来る現在の状況が、

あるべき著作権法の姿であるとは、僕には思えません。

 



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