「沖縄楽園生活」さよなら編 (10)「最終回」

2017年04月15日 18時00分00秒 | 沖縄の生活

※2017年4月15日早朝の6時30分、無事「大阪南港」に到着しました!

2006年4月15日「沖縄移住準備編」から始まった「沖縄楽園生活」も、奇しくも本日2017年4月15日、2103号をもって最終回になりました。

永く良く書けたなぁと、本人自身が驚いています。

毎日書いていた年もあり、今は亡き友人に感心されました(懐かしい思い出です)。

「沖縄病に罹り」大好きな沖縄へ、移住を計画するも訳あって、計画より2年遅れて「沖縄移住」が実現しました!

沖縄に来て、たくさんの新しい「縁」を頂きました(東京の原さんなど、たくさんの方にも応援して貰いました)。

前回も、書きましたが「観光移住」ではなく、若い仲間達との「仕事」や、「地元仲間との酒盛り」が、沖縄移住生活でした。

仕事も、たくさんさせて頂きました。

仕事には「守秘義務」があり、「ブログ」に書けない事がたくさんありました。「ブログ」では、毎日「飲んでばかり」になっていました(笑)。

沖縄でのご縁に「感謝感謝の嵐」です!


▲<大阪行きの「フェリー船室」で、「ブログ」を書く本人です>

皆様のご多幸とご健康を、大阪よりお祈り申し上げま~す!ありがとうございました!!

「沖縄楽園生活」さよなら編(9)「引っ越しの夜~フェリー乗船」

2017年04月13日 19時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<沖縄に移住した翌年、私の部屋のベランダに「イソヒヨドリ」が巣を造って4匹産んで一羽育った事もあった>

引っ越しの荷出し作業も深夜まで続く日々、4月12日、朝9時「ヤマト運輸」搬出スタッフ4名で作業が始まり、手際よく進み15時に終わった(過去のケースに比べ随分速かった)。

コンテナ2つの長いトレーラーをマンションのベランダから見送る(マンションの駐車場から、細い道路に一発で出た時は、あまりも上手で感動した!)。


▲<ある日、駐車場から見上げたら、ベランダに「シロクマ」がたたずんでいた!(クマのぬいぐるみが干してあったのだ、笑)>

少しだけ掃除をして、16時過ぎに、小禄駅前の「チャビラホテル」に、チェックイン(二人で、8420円。これで充分です)。

最後の夜は、ご近所の高良さんに声を掛け、ホテル近くの以前行けなかった「居酒屋」に行ってみた(おもしろい店だった)。


▲<おもしろい経営をしているようだ。今夜は、国場に2号店を出し、若い男女が2人だけで運営していた>

翌13日は、家人が6時くらいから部屋の掃除に行く(昨日、荷を出した後、台所の下に忘れ物を見つけショクを受けていた・・・)。

私は交代で、朝9時から11時過ぎまで清掃をする(大掃除にもやらなかったくらい磨き上げた)。

10時過ぎ不動産会社の立会確認を終え、部屋の鍵を返却した。家人と合流し車に荷物詰めが終わり、任して「沖縄最後」の散髪に行く(最初から一軒で終えた)。

14時、「沖縄そばの定食」を食べて那覇新港へ。

15時に「那覇新港」で受け付けをして、フェリーに乗船。16時定刻に出航した(沖縄の夫婦友達、久茂地の「たかちゃん夫婦」が、自転車に乗って那覇新港まで、見送りに来てくれた(感謝!)


▲<純粋な「輸送フエリー」です。食堂はありません!今回乗用車での乗船は、4台でした>

私達といえば、一昨日からの忘れ物や出て来た荷物で「天手古舞」が続いている。車に積め込めたが、船の客室に持ち込む物と車に置いて行くものの整理が追い付かず、「港の岸壁」で整理していたら持ち込む保冷物の発砲スチロールの蓋が海に飛ばされた!?(涙)。

乗船し車を固定した後、部屋に入って、忘れ物に気づき、あわてて取りに行く始末(相当疲れがピークに来ていた)。

16時定刻に「那覇新港」の岸壁を離れ、9年10カ月の『沖縄楽園生活』も終わったと感慨にふけっていたら。

横で、家人が「乗船チケット」が無いと大騒ぎ!少したって客室サービス係に、確認したら「ハイ頂いてますよ」との事(笑)。


▲<「伊江島」を過ぎた頃から、夕焼けなった(客船ではないので、窓が開かずデッキにも出る事は出来ない)>

次の停泊港は、20時「与論港」らしい・・・。

海の上で、「ブログ」が書けるとは思わなかった(スマホは、偉い!!ただし、港や島に近い所のみ)

【移住成功の秘訣】沖縄移住のポイントは、風景ではない。一番おもしろいのは、地元の人です。夕陽を見ていても一年で飽きるが、沖縄の人は、面白い。


「沖縄楽園生活」さよなら編(8)「沖縄のまつりに参加」

2017年04月11日 11時00分00秒 | 仕事

▲<「那覇大綱曳き」の始まる直前、久茂地交差点で那覇の旗頭が、すべてが集まって「旗頭ガーエー」が行われる>

我が家の引っ越し荷物詰めも佳境です!
「沖縄の祭り」は、たくさんあり「参加型」も多いです。
一番有名なのは、「那覇の大綱曳き」。私も初めて参加した時、綱(細い手綱を引く)を引いた時、感動した。大さは世界ギネス認定で、国道58号線の分離帯を外して、交通を一昼夜遮断して行われる(途中から、米軍関係者が多くなり過ぎて決着がつかなくなり、観にも行かなくなった)。


▲<ゆいレール「赤嶺駅」前の「赤嶺団地」でも行われている「夏まつり」。「獅子舞」中に入っていたのは、中学生男子だった>

各町にも、「綱引き」の儀式があります(「五穀豊穣」「家内安全」など)。「糸満」「与那原」「真栄里」など、書ききれないくらいあります(特に、「真栄里」は、本気の喧嘩になるほど真剣です)。

ほかに、「ハリー」。代表は、「那覇ハレー」ですが、「糸満」「奥武島」など各地に、いっぱいあります。沖縄の各港毎に、今も伝統的に続けられている。漕ぎ手は、数か月前から練習を重ね、字(あざ)対抗で盛り上がります。


▲<「那覇ハリー」の最後は、「3字対抗ハリー」で最高潮になる(2年間「企業対抗ハリー」に出場した)漕ぐ時間は、あっという間だが、なかなか縦に漕げないし10数名の力が揃わない>

あと1つ紹介したいのは、「旗頭」です。旧盆に行われる「エイサー」と競うくらいだが、何しろカッコいい。各地区の青年団が、先輩から指導して貰い、夜に「持ち方」や「腰の入れ方」の練習積み重ねて、重たい柱を挙げる姿に、男の美学を感じます‼


▲<旗の下の一人が支えて上げている(数分ごとに交代する)。町内の「旗揚げ(ガーエー)」では、街角の空き地や駐車場などで行う。その時、町内の方々から「寸志」を頂く(その方のお名前を読み上げる係がいる)>


▲<午前中は町内を練り歩き、午後からは本番の「首里まつり」で首里城下を道ジュネ―する。一日で2万数千歩、歩いた>


▲<糸満の「旗頭行列」で撮影した、「チョンダラー」(先導役)左側は女性です(可愛い)>

私は、「首里久場川」の「旗頭行列」に加えてもらい。「首里まつりに」3年参加しました。いつも見ている側の人間が、観る側にまわる貴重な体験する事が出来ました(特に、初参加した年、久場川が首里地区から選ばれて「国際通り」で行われる「琉球時代まつり行列」に参加出来た!(十年に一度の当番でした)。県庁前~牧志駅まで、「道ジュネ―」した時は、最高に気分が良かった!


▲<「打上げ」は、数か所で「ガーエー」を終えてすべてが終わった後、「公民館」で、夜20時くらいから始まり朝まで続く・・・>

【移住成功の秘訣】地元の人だけが参加する飲み会に入れ。
 そこで地元の人と仲良くなれば、地元の人しか出れない「地域まつり」に参加出来、「打上げの飲み会」にも参加させてもらえる機会に巡り合える。

「沖縄楽園生活」さよなら編(7)沖縄の気候と自然遊び

2017年04月09日 00時05分00秒 | 仕事

▲<4月に入ってからのご近所の風景(このハイビスカスは、花弁の大きさが20cm以上もあった!)>

沖縄は、亜熱帯気候だから冬がないと思われているが、2年も住むと「20度」を切ると「少し寒い」と言い、「15度を切ると「寒くて風邪をひく」ようになる

私が、移住した6月は、「梅雨後半」だった。持って来た、「皮製品」や「式服」に、「カビが生えた」。それ以来、靴も含めて革製品は購入していない。驚いて電気屋に行って大きな「徐湿機」を購入した。数時稼働させたら「タンク」に水が2リットルくらい溜まったのを見て驚いた。


▲<小禄南公民館の駐車場に咲いていた「くちなしの花」>

台風の強さにも驚いた。初めての年が「台風の当たり年」みたいだった。先島(宮古・八重山)は、よく「台風の通り道」になるが、那覇は10年住んだが、当たり年は2回くらいだった。


▲<3月~4月の一斉に咲き始める「イッペー」最初は、葉が無いので良く目立つ>

台風が、那覇の上空を通る事はめったにないが、西海岸の近くを通過した時は、マンションの窓が風で割れるのではないかと思うくらい軋み、雨が隙間から吹き上がって来た。翌日、近所を歩いたら「信号機」は、風でゆがんでいいて「消えていたり点滅中」。幹が20cm以上の街路樹が、横に折れていた!(本州に上陸する台風と威力が桁違い!)。家人は、沖縄に来る前は「海辺で住みたい」と言っていたが、一切言わなくなった(笑)。


▲<こちらの白い小さな花は「シークワサー」ミツバチが必死に蜜を吸っていた>

沖縄では「キャンプ遊び」は、夏にやらず「冬」にする。その方が、夜「蚊」や「虫」が来ないし、たき火を焚きながら、飲む酒が美味しい事を、キャンプに命を懸けている「高良さん」に、教えてもらった。

夏は暑過ぎて、外を歩く気がしなくなる。その点、「秋や春」は、太陽や紫外線もやさしくて、過ごしやすい。泳がないならホテルが安くてすいている、この時期に沖縄に来た方がいいです(台風で足止めされる事もない)。


▲<猫は、沖縄では、冬も外で野たれ死ぬ事もなくノンビリと生きている>

膝くらいの遠浅の海に入って「手掴み」で、「モズク」を採ったり、沖縄での楽しい遊び方は、たくさんあるが、地元の人と付き合えば、教えてくれます。


▲<こんな渋い家が、那覇の住宅街にまだ健在です>

【移住成功の秘訣】自然の遊びは、地元の人に聞け!(スキューバーなどマリンスポーツは、県外者がはやらしたのでプロに聞く事がお勧め)。

「リーダーシップを身に付ければ、人生を自分で切り開いて行ける」

2017年04月07日 00時05分00秒 | 仕事


4月3日の夕方、那覇市久茂地「沖縄タイムスビルホール」で、顧問先企業の「18期キックオフ」があり、全国からメンバーが沖縄に集結した。

「前年度の業績報告」や「優秀パートナー表彰」が行われ、その後、社長と各グループMgrから、「今期の方針」が発表された。

キックオフの後半は、「パーティ」があった。

毎回、「乾杯音頭」は、私の仕事です。今回は、沖縄を離れるので、いつもより時間を頂いて「私の思い」を語った

先月の「人財委員会」で、昨今の若者傾向である、「リーダーを目指さない人が当社にも少なからずいる」と聞いて、ショックを受けたので、「リーダーシップを身に付ければ、人生を自分で切り開いて行ける」 をテーマで話した。

この言葉は、マッキンゼー日本法人で長年人事課長をした、伊賀泰代氏の著書「採用基準」に書かれている言葉です。

さらに、「リーダーシップはこれからの世界を生き抜く人達のパスポートです」とも述べています。


▲<こんな事も言っている>

▲<リーダーシップを目指す人は、間違いなく「日々成長している」

▲<仕事とは、銭を稼ぐだけではない!「仕事の報酬は、仕事だと勤めた会社で教わった」その後、「最高の報酬は人間の成長だ」と田坂広志の著書「仕事の思想」から教わった。私もそう思う>


▲<沖縄を離れるにあたり、「レンタルおじいのメール相談室」を紹介して締めくくった>

「古民家食堂4月例会」に参加

2017年04月05日 00時15分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月4日の古民家食堂の夕景>
4月4日の夜、「古民家食堂4月例会」に参加した。いつもは第二週の定例会を私の都合で、今回は第一週にしてくれた。













▲<いつも渋い、友利さん>

例年4月から外で「BBQ」を行いますでも、今年4月の夜は寒い!(夕方16度)参加者みんなが厚着して震えていた(笑)。

私は、「古民家食堂例会」で、たくさんのいい縁を頂いました。

「古民家食堂」が出来た時の話を聞かせて貰った・・・。


▲<高良さんと又吉さん。ありがとうねー!!

ここを造った(創った)、「おやじ達」の活動は、NHKで「プロジェクトX」を創りたいくらいに凄くいい話だった。

「古民家食堂」づくりに参加した魅力的な人に逢えて、幸せだった!!

そして、ここ集まる人も、魅力的な人がたくさんいた。、「喜業会」の講師を依頼して刺激を頂いた。

そんな中でも、瀬崎君は、(喜業会メンバー)酒が飲めないのに「古民家食堂会」に、誘ったら喜んで参加してくれ、数年後には、実家(伊勢志摩)の牡蠣を沖縄に空輸してくれ、「古民家食堂蠣食べ放題」を実現してくれ、今では、「古民家食堂」の名物イベントになった。


▲<皆さん、一週間繰り上げの「古民家食堂会」。忙しい中、寒い中、来てくれて!!ありがとうーー!



「沖縄楽園生活」さよなら編(6)地元の仲間は、「公民館活動」から

2017年04月03日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<9回目、2017.2.5の「小禄南公民館舞台発表会」>

207年の6月に沖縄に移住した。一ヶ月あとに来た家人は、9月に公民館の「琉舞サークル」に入会した。私も負けじと、10月に「三線サークル」に入会した。

沖縄に永く住むつもりだったので、楽器経験がないのに、何か沖縄らしいものを身に付けたかった
三線は、牧志公設市場周辺にあった「三線製作所」に、飛び込んで、ワンセット25,000円くらいで購入した。

講師の小野さんは、宮城県出身で沖縄に移住して30年、三線歴も30年らしい。流派にとらわれず、古典・民謡・BEGINまで、日本語で歌う曲もあり馴染みやすかった。


▲<2017年の「舞台発表」前の記念撮影(初めてお揃いのTシャツを創った)>

生徒は、20名位いるが練習に出て来るのは10名程度。県外者と「うちなんちゅー」が半々、しかし、「うちなんちゅー」のおじいぃと、おばぁが、話出したら方言でまったく意味不明(笑)。


▲<2月22日の「舞台発表打上げ会」>

最初の頃は、弾く曲の順序が決まってなかったので言われた譜面も探せず、弾き方も解らず、先生のカスレ声も聞きとりにくく、最初の2カ月くらいは、ついて行くだけで、毎回泣きそうだった・・・。今でもそうだが、2時間の練習が終わって家に帰ると、ぐったりしていた(泣・・・)。


▲<2月22日、打上げ後の「カラオケ」>

翌年の2月に「公民館まつり(舞台発表)」があり、3カ月で舞台に上げられた(初舞台)。「渡りぞう滝落とし」は、何とか弾く事が出来たが、「ひやみかち節」は、まったく弾けず(今も上手く弾けない)、三線を手から離して、歌だけで参加した。

練習日に、仕事が入った日は休んだが、引っ越すまで、辞めず9年続けた。一昨年度は、「会計&広報」を担当し、昨年度は「会長」を担当した。今回3月末、沖縄を離れるにあたり卒業した。


▲<3月25日の「大送別会」(今年にの春は、私を含めて4名の県外引越者が出た)>

ご近所の人と、同じ趣味で席を同じくして、上も下もない付き合いが出来た(20代後半~95歳まで)

私の提案で、年に一度の「飲み会&カラオケ会」を始めた(三線好きは、カラオケも好き。特に、沖縄の人は、昭和歌謡が大好きです)。

今年は、2月22日に「舞台発表打上げ会」を行い。3月27日に「4名の送別会」と、2カ月連続の「飲み会&カラオケ会」があった(今までになく、イベントが多い)。


▲<3月25日の「大送別会」後の「カラオケ」。私は、一曲歌って寝てしまい。終了時までの記憶がない(笑)>

【移住成功の秘訣】近所付き合いを始めるなら、公民館のサークルに入れ!そうすれば、ご近所の同じ趣味仲間と知り合える(地域の伝統芸能が狙い目だ)。

琉球料理の店「心花(ここはな)」で送別会

2017年04月02日 12時00分00秒 | 仕事

▲<メイン料理の数々(男性でも十分の量です)>

4月1日のお昼、北中城にある琉球料理の店「心花(ここはな)」で送別会をして頂きました。

住宅街の高台にあり、窓の外には「泡瀬」の海が観えます(沖縄本島の東海岸です)。



事前予約すれば、沖縄の家庭料理が1,500円で食べられます。


▲<「前菜」です>

4家族の夫婦で美味しい料理を頂きながら、会話を楽しみました。


▲<「龍泉洞」を運営している㈱南都が造っている「地ビール」を頂きました>

実を言うと、この店はわれらの「高良さん」の奥様のお姉さんが、一日一組予約客限定で開く店なのです。

隠れ家的な店で、こんな料金で大丈夫かと思われる「品数」と「クオリティ」の料理は、女性に大うけするのは間違いない。



「主婦の女子会」向きの店です。



※「心花」北中城村字仲順54-2 TEL/FAX 098-935-0187

「肉御殿」(イオンタウン豊見城)

2017年04月01日 00時05分00秒 | 沖縄グルメ


3月30日の夜、大人7人で「肉御殿」へ行って来ました。

この店は、われらの仲間の高良さんが、ここ数カ月リューアルOPENに、取り組んでいた店です。
店の仕上がりは、以前の店よりもデラックスになっていた(「古民家食堂」の仲間3名の仕事です)。

オープン記念期間で、「食べ放題90分」のメニューもあったが、われわれは単品のコースを選んだ。
以下、肉のオンパレードです(一部)。















「食べ放題90分」のメニュー(飲み物別料金)は、以下の通り。

(1)「50品目満腹プラン」中学生以上2,430円(税込み)
(2)「65品目牛庵プラン」中学生以上2,862円(税込み)
(3)「80品目プレミアムプラン」中学生以上4,2980円(税込み)


すべて柔らかい肉で、美味しかったが私には、「肩ハラミ」が一番気に入った。

私は、ビール飲み放題くらい飲み。他の人はワイン2本飲み干して、一人5,000円でした。


▲<「那覇空港」から10分くらい。高速道路空港線の入り口手前左折「イオンタウン豊見城」が目印。100人近く入る大きな店です>

「沖縄楽園生活」さよなら編(5)ビジネスの接点は「那覇商工会議所の起業塾」から

2017年03月31日 00時10分00秒 | 仕事
 
▲<3月28日、久し振りに、那覇市具志の住宅地の高台にある「印部石」(ここの石には、“ふ”の文字書が刻まれている)を観て、「スカイスポーツ」へ行く(「印部石(しるべいし)」とは、琉球王朝時代の1737~1750年に行われた大規模な検地で設置した「測量石」です。当時の「大字、小字(あざ)」に、相当する地名を「原(はる)」と呼んでいたので、「ハル石」とも呼ぶ。石に刻んでいる文字は「いろは・・・」と、平仮名とカタカナで、設置順を表した)>

移住した2007年の夏、「琉球新報」に「那覇商工会議所起業塾6期生」の募集広告が出ていた。8月から3カ月間の講習で、5,000円だった。すぐ電話で申し込んだ。

講習は、那覇商工会議所の大会議室で、講演会のような講義だった。講師は地元地方銀行OBで、内容は銀行時代の自慢話であまり参考にならなかったが、地元起業家の職場を訪問する企画は面白かった。


▲<道路際の個人住宅の手入れされた「草の塀」が美しい>

受講生はスタート時、50名くらいいたが卒業出来たのは20名位だった(卒業生には、県産業支援センターからの開業資金の融資権利があった)。

我々6期生のまとまり良かったらしく、事務局から卒業後も「勉強会」を続けたら?と言われた。「いいですね」と話していたら、知らぬ間に私が幹事になっていた。その後「起業塾OB喜業会」を2008年2月から6年間続ける事になった(最初の2年は那覇商工会議所の小会議室で行ってた)。


▲<具志の住宅地の小道がすごく気持ちがいい>

3カ月に一度、私が講師を探し、2014年12月まで28回続けた・・・

講師は、「りゅうせき」の尚取締役やLCCピーチ沖縄所長仲村さんを始め、NHK沖縄局長向江氏、マリンコムズ上間取締役、沖縄特産販売代表取締役社長與那覇氏。今も大活躍中の人達が、無償にも関わらず講師を快く引き受けて頂いた。他にも、大西広告制作所代表大西氏、堀田満氏、松本直人氏、オフイスタカスギ代表高杉氏、ファイヴプロジェクト永井代表、又吉マネジメント代表又吉氏、沖縄ロングスティ代表円尾氏、イクシム代表石山氏、まる吉そば代表宮里氏、小金丸氏、沖縄の風合同会社代表上原氏、和磊店長古舘氏、ベロタクシー高江洲氏、日野氏、BARIKI代表矢島氏、コミチャン代表島袋氏、ビザップ代表砂川氏、ヴードゥラウンジリミテッド代表稲福氏、農園計画部長水落氏、レビオ代表上原氏、J-アヴァンス取締役田中氏、アセローラフレッシュ取締役並里氏、パムちゅらグルメグルメマップ編集長下地氏。皆様に感謝申し上げます!

登録メンバーは、6期を中心に5期と7期の約30名。勉強会の参加者は15名くらい。終わった後の「飲み会」も毎回店を変えて大いに飲み、たくさん話をして、たくさんの縁を頂いた。


▲<「具志の印部石」に続く、小さな小道。「印部石」は、小高い丘の個性的な枝ぶりの松の下にある>

この縁から、「中小企業庁」主催の「新現役チャレンジ事業」に誘われて登録し「沖縄県中小企業経営支援コンサル」を行う事に繋がって行く。


▲<珍しい、「一本の木なのに3色のブーゲンビレア」>

この政府予算プロジェクトは、形を変えて5年くらい続く。私は、延べ7社にコンサルを行った。その中には、契約更新して7年続いた会社もあった。

誰でも移住当初は、地元企業とのパイプや信用も無いのは当然なので、「商工会議所」や「県産業支援センター」などの力を利用して地元企業の縁を得る事はとても有効な事だと思う。


▲<「マンゴー」の花が咲き始めています>

【移住成功の秘訣】仕事をするなら、まず「商工会議所」や「県産業支援センター」などの力を有効活用する。接触するためには、情報を入手し、「セミナー」や「講習会」に参加して現場の担当職員に聞けば良い。

「沖縄楽園生活」さよなら編(4)ビジネス接点は「勉強会」から

2017年03月30日 00時05分00秒 | 仕事

▲<年中咲いている「ハイビスカス」>

沖縄に移住した直後、近くの「公民館&図書館」で、「地元情報誌」(ローカル新聞・タウン誌・経済誌)をたくさん読んだ。その中に、「オキナワグラフ」という地元経済誌と地域情報を兼ねたグラビア月刊誌があった。

記事の中に、「サークル・勉強会紹介」があり、「沖縄観光研究会」(主宰NPO沖縄人財クラスタ研究会)という会を取り上げていた。毎月勉強会を兼ねた飲み会を行っているらしい、長嶺社長に聞いたら、主催者の「白井さん」を紹介してくれた。



▲<住宅街の中でこっそり色づいている「島唐辛子」>

毎月参加した、会費は飲み会代の3,000円だけ。沖縄の旅行業界の役職者~新入社員まで、毎回10~15人と出会えた。この縁で、白井さんが行う「大学生向け観光業界就職セミナー」の講師を引き受ける事になる。

大学生に「働く事の素晴らしさや生き甲斐」を話す場を得て、沖縄県の若い人材を育成する講師を行った。沖縄に移住して、沖縄に貢献出来て嬉しかった。


▲<こちらも色づき始めている「ピパーツ(島胡椒)」>

4年ほど講師を引き受けた。その中で、沖縄国際大学の大講堂で「沖縄の観光業界を語る」パネラーに選ばれて、星野リゾートの星野社長と一緒に登壇させて頂き、打ち上げでも直に話が出来て、素晴らしい経営者に良い刺激を頂いた。

また、沖縄の旅行業界で頑張っている教え子が、たくさん出来た事も嬉しい。

この仕事をしていたお蔭で、「ハローワーク」でも、「第二新卒就活セミナー」や「沖縄高専」での講師をさせて頂く機会を得た

そして講師を続ける中で、今までの経験や知識を整理したり、新しく本を買って知識を増やすなどして、脳や身体が活性するのを実感した。



【移住成功の秘訣】地元情報を最初に徹底研究しろ!そこで見つけた人や組織には遠慮なく飛び込め。

「沖縄楽園生活」さよなら編(3)ビジネス人脈は「OB」から

2017年03月28日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<最近は、23~21度の日が続き暖かい。3月27日は、最高気温19度で、少し寒い(笑)>

2007年6月に移住して、知り合いもほとんどいなくて、毎日、那覇市内「ゆいレール沿線探索」の日々・・・。
秋にさしかかったある日、携帯に、一本の電話が入る。相手は、那覇市内で旅行情報誌を出している株式会社パムに勤める東濱(ありはま)さんからだった。

彼とは、面識がないので尋ねたら、元の会社上司に「今度、こんな人が沖縄に移住したから会ってみたら?」と紹介されたらしい。私を紹介してくれた「原さん」は、元の会社の他部署の部長だ。

東濱さんが「今勤めている会社の社長も、同じOBなので合わせたいがいいですか?」と言われた。聞けば「ゆいレールの駅」などで、いつも手に入れていたフリーペーパー2誌を発行している会社だった。「タビンチュウ」は、しっかりした編集だが、もう一誌の「タウンチュウ」は、正直言って残念な編集だった。

後日、社長の「長嶺さん」と、他のメンバーを加えた会食に誘って貰った。その場に、紹介者の「東濱さん」の他に、「Gさん」がいた!彼は前の会社の後輩(世間は狭いなぁと思った)。

長嶺社長とは、年齢や勤務地も違っていたので、まったく面識はなかったが、同じ会社に勤めた者同士、卒業したOB感覚を覚え、すぐに打ち解けた。

その場で、「タウンチュウ」をけなしていたら、リニューアルをする事を依頼されてので、その場の流れで期間限定で引き受けてしまった(笑)。

4カ月かけて、「ちゅら+」という「グルメフリーペーパー」に、変身させるために「営業マンの採用」「教育」「営業指導」を行い2008年3月に創刊した。


▲<営業期間約2ヵ月、4名の営業担当の内3名の女性は営業未経験。32P掲載107社(全て有料掲載)

創刊で仕事を終える予定だったが、3年ほど「編集&営業顧問」を引き受け、その後、「取締役」も引き受け現在に至る。

その会社は、その後9年間、毎年30~25%成長し、従業員も約30名~150名に雇用を拡げている。

※【移住成功の秘訣】どこに人脈が潜んでいるか解らないので、OBの縁を大切にしょう!
私は、住所変更通知を沖縄に来る前に、約200枚出した。

映画「アシュラ」(R15指定)

2017年03月25日 00時05分00秒 | 映画・DVD

▲<3月4日より全国ロードショー中の韓国映画「アシュラ」>

主人公の刑事は、現職の刑事でありながら副業で、街の利権を独り占めする事には、手段を選ばない極悪人市長の裏仕事を引き受けていた。

そこに、市長逮捕に燃える検事が、刑事の弱みを掴んで脅かし、市長の不正証拠を出させようと画策する。

進むも地獄、引くも地獄。刑事の苦悩が続く・・・。

後輩の刑事も巻き込み、「同僚刑事殺し」、「市長の兄の殺害」、「市長室長の犯罪」等々がて立て続けに起きる。

息もつけないくらいに次々と事件が勃発!早い展開して行く。

高速道路での「カーチェイス」~「最後の40分間」へ、予測不能になる・・・。

観賞後、力が入り過ぎて疲れた。

正義は、ひとつもないく、悪・悪・悪・・・。人間の怖さをこの映画で観た。


監督・脚本:キム・ソンス 出演:チョン・ウソン(刑事)、ファン・ジョンミン(市長)、クァク・ドウォン(検事)、チュ・ジフン(後輩刑事)

【評価】★★★

「偶然に対して、能動的な人のみに、幸運が訪れる」

2017年03月23日 09時05分00秒 | 仕事

▲<いつもの通り、パワーポイントを使って話しをした>

3月21日、顧問先の朝礼で「講話」を行った。約3年前から、月一回続いている「講話」も、今回で終了です。

月に一回とはいえ、平均年齢29歳の全国150人に対して、どんなテーマを選ぶか?何を話なせば、仕事やキャリアに役立つか?を考え続けた。

この事は、私にとって凄く勉強になった。本もよく読んだ(「教える方が良く学ぶ」という事を実感した)。

今回は、4月大異動があると聞いていたので、「異動」「転勤」にまつわる、「キャリア形成における“山登り型”と“川下り型”」の違いを話した。

元になっているのは、スタンフォード大学のクランボルツ教授の「計画された偶発性理論」だが、普通に解説すると難しくなるので、学説の紹介は省略し、「山登り型」「川下り型」に例えた。


▲<「山登り型」の方がいい感じに見えますが・・・

調査によると、8割の人は「川下り型」でキャリアを形成していた事が解りました


▲<とは言っても、キャリアを偶然に任せておけばいいという意味ではありませんよ。日頃から、自分が出来る事を一生懸命にやっている能動的な人のみに、「幸運」はやって来ます


▲<偶然に幸運が訪れる人の5つの行動特性とは?

最後に、この一言で締めくくった。


「沖縄楽園生活」さよなら編(2)人の始まりは「ジュリ馬」から

2017年03月21日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<旧二十日正月に那覇市で行われる「ジュリ馬祭り」>

【那覇の三大祭り】は、「大綱曳き」「ハーリー」「ジュリ馬」である。
その中でも「ジュリ馬」だけは、那覇市民は、ほとんど知らない。

その理由は、戦前辻にあった女性達は【じゅり】と言われた。「花街の祭り」です(花街は廃止された)。
一般市民が、足の踏み入れない地区の祭りだから、今でもいつどこであるかも地元新聞でも事前に伝えない。


▲<建物の中に「祭壇」があった>


▲<踊っている人は、【じゅり】ではなく、すべて「琉球舞踊」免許皆伝、プロの踊り手です>


▲<2010年は、途中から雨になり、「ふるまい御膳」を頂きながら室内で舞を観た>

私は、沖縄に移住した翌年に、偶然観て感動し、その後毎年観に行き、このブログでも盛んに取り上げた。


▲<「ジュリ塚」での奉納の舞(写真は、すべて2010年3月2日のものです)>

初めて観た、2008年の「旧二十日正月」(その年は3月2日だった)、辻で「ジュリ馬」が始まるのを、おっさんが3人一つのベンチに座って待っていた。

一人は、北海道から「ジュリ馬」を観るために間違って新暦の1月20日から来ていた人(笑)。
もう一人は、仕事の転勤で那覇に住んで数年目の人(偶然、同じ赤嶺駅周辺に住んでいた)。

この那覇移住先輩(小出さん)と知り合い、会社を訪ねたリしているうちに、年末の「壺屋育陶園忘年会」に招待してもらった。

そこで、地元の人達と出会える場所【古民家食堂】仲間の、又吉さん、髙良さん、川満さんに出会い現在に続いている・・・。、

※【移住成功の秘訣】飲みに誘われたら断らずに参加する事。