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yucco*のひとりごと

【人生を見つめ直して】居合道の道歌について、私の作文

Om swastyastu☆ 
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今日はバリ島の事とは、全く関係ない36歳の私の作文になります(笑)
居合道では、稽古の前に40首ある、流祖辻月旦が道歌としてかいた和歌?をみんなで読みます。その中から1つ選んで、自分の経験や感じたことを各作文のコンクール?が任意で行われ中なので、稽古にも参加できないし、せっかくの機会。なので、人生をちょっとだけ道歌を通して見つめ直してみました。自分の記録でもあるブログなので恥ずかしいですが、残しておこうと思います。

yucco
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大人になって作文とかこんな事なかなかないですしね!

ブログだと色々と文章や構成を考えたり手間がかかるのでアップが遅れていますが…(汗)インスタグラムの方がもうすでに色々とアップしてます!

インスタグラム ID:@yucco_bali
インスタグラム ID : @airwira

インスタグラムの方(ストーリーアップ数は多いです)がバリ島のワルン、スパ、色々ことなど、詳しく説明してアップしております!サロン用と、個人用は使い分けており、アップすることが違う時があるので、どちらもご覧いただけると嬉しいです♪

無外流百足伝とは

百足伝は居合の多賀自鏡軒の歌
「(百足伝は)多賀自鏡軒が門人に対して、稽古のたびに相手の人間を見て
指南をしたものです。」と中川士竜先生は残しています。(敬称略)

百足伝が平易な言葉で書かれた裏にあるものは平易な言葉で歌として表現された百足伝を解きほぐす鍵はおそらく二つ。それは

1) 平易な道歌として描かれたのは、どのレベルの門人にも口授できるように。
言わば、教える側の「修行上の心構え」の共有
2) 禅語を駆使でき、そして駆使する流租辻月丹が、それでもこの歌を後世の門人達に残したのは、平易なその内容が普遍のものであったから
というようなものではないでしょうか。
参考:https://mugai.org/hyakusokuden/

百足伝も我が物にして気剣体を一致させよ
百足(むかで)という虫は、百本足はありますが、歩くのに(足が絡むことがなく)不自由はありません。剣術もまた同じように、気と剣と体が一致して無意識で行うようにならないといけません。」と中川士竜は残しています。
私たちは凡人であることを胸に刻み、百足伝の心構えで修行に望まなければならないのでしょう。

40ある道歌から私が選んだもの。

8、わけ登る 麓(ふもと)の道は 多けれど 同じ雲井(くもい)の 月をこそ 見れ

山に登る麓からの登山口は幾つもあるけれど、何処から登っても頂上で見る雲井の月は同じだ。と歌っています。武術で云えばどの流派から稽古をしても修行の行き着く処は同じだろう、と云うのでしょう。更に其の流の業技法ではどの業から始めても修行を重ねれば同じ奥義に達するよ、とでも云うのでしょう。

ここからが私の作文。

『それを追求していけば、この仕事の行き着く先も同じではないか?』

とある企業の就職面談を受けた時に人事の人に言われた言葉である。その一言で、興味がなかった某企業を受けようと思い、無事に就職。その企業での2年間半は、私の人生を変える出来事が色々と起こりました。(脳の手術、結婚、引っ越し、海外へetc…)

芸術大学を志していた私は、中途半端に仮面浪人をし続け、頑固に就職時にもそれを引っ張り

、就職も仮面浪人も中途半端に。就職は決まったけれども、辞退し、大学を出てすぐに「無職」になりました。

全部自分の責任だけど、情けなく感じる毎日。このまま引きづり続けるのはよくないと、最後のチャレンジで再受験をすることにした。ダメだったらキッパリ諦めるという覚悟をした。
そうして私の中で最後の大学受験をし、結果は不合格。でもやり切った。思い残した事はない。でもなんだか空っぽになった。

第二新卒として就職を開始。就職エージェントに『会社説明会の人数が足りないから興味がないかもしれないけど出席だけしてくれ』と頼まれた。心臓のペースメーカー、心臓血管などの循環器系の医療機器の業者の会社だった。説明会に行ったら、何人かいると聞いていた出席者は私だけ。人事の人と私が1対1。

会社の仕事のこと、直接的ではないが、人の生命にかかわる仕事であることの話、初めて知ったカテーテルという医療機器の話にそんな技術があるのかと驚いていた。今までの私のことを話す。私の芸術に対する思いを人事の人に伝えた時。

彼はこう言った。

『芸術を追求していくことも、この仕事も行き着く先は同じではないか?』

なんだかぱっと見えない壁がとっぱらわれた気がした。それからどんどん色々と私の中の身体上、人生上の問題が解決していった。

話は変わるが、
バリ島はバリ・ヒンドゥー教(バリ島独自のヒンドゥー教)である。
日々の生活に宗教が存在する。でも、日本と共通するように感じることは多々ある。なんだか懐かしい。きっと日本もちょっと前まではこんな風だったんだろう。いや、今でもあるな?お祈りの事、宗教行事etc…
マレーシア旅行でモスクに観光に行った。

イスラム教の教育施設にトイレを借りた際に、せっかくだからイスラム教の説明を聞いて行きませんか?と言われ現地ボランティアの人の話をうんうんと聞いていました。

神様に対する考え方の説明が、バリ人の友人が私にしてくれた話と全く同じ説明ので(全ての源は一つ。姿形、見る人の見方が違うだけで一緒なのだ)宗教も言葉も違ったが、その瞬間ものすごく驚き、この時も何か見えない壁がパーンと割れたような感覚だった。

 

違う人種、宗教、追求したい分野、物事。入り口はバラバラで全く違うようだけど、
たどっていけば全て1つの源に。

そんな漠然としているけど、確信に近いこの感覚に気付いたことで、
私の中でバラバラだった物事は繋がり、より強いものになっていくように感じている。
バリ島なのに?なんだかあなたのやっている事は突拍子もない。

なんで武道の居合道やっているの?大変不思議がられます。

でも私のなかでは全部繋がっていて、うまく説明できないけど、それを言葉にし、体現きるよう、麓の道から繋がる源(月)に少しでも近づけるように繋げて行きたいです。

 

後書き

解釈は違ってきているかもしれないけど、この歌をみた時に真っ先に浮かんだこの出来事。黒歴史がいっぱいな私ですが、もうそれらも今の私に行き着くまでの『道』となり、誇りというか自身というか、血肉になっていると感じています。(だいぶ端折っていますが、結構色々とありました 苦笑)

今までで、今の自分が一番好きだし、今が一番いい。
と過去のことを振り返るのでもなく、未来に託す!という思いにもちょっと違っていて、
今を全力で生きるに集中できている感じがします。人生はいろんなことが起きるし、ステージも刻々と変わって行きます。自分の問題では済まないこともこれから起こってくるでしょう。いつでも今が一番いい。と思えるように頑張っていきたいものです。

何年後がこれをみた私がどう思うのでしょうか。

私よ、無理してないかい?楽しんでる?
36歳の私はこんなことを考えてたんだよ。
みんな一緒に幸せになろうね♪

 

 

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