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お墓参りへ。
現在の私たちへ繋いで下さった バリ島の先人の日本人の三浦襄 氏。
ちょうど昨年の終戦記念日の辺りに、ふと彼の事を知り調べてました。wikiペディアなどの記事もろもろに記載されていた内容やその他の文献なども読みながら、なぜだか号泣してしまいました。
武士道精神を貫かれバリ島に尽力され、まだまだ、日本人の観光客なんて来ない時代の先人の日本人です。
こんなに私はバリ島にお世話になっているのもあり、他人事だとは思えず、今度バリ島に来た際は、手を合わせに行きたい。と思いました。
三浦氏については以下をお読みくださいませ。
三浦 襄氏について Wikipedia
「諸君よ、左様なら。」 バリ島 先人・三浦襄さんの墓で想う(じゃかるた新聞より)
バリの父と呼ばれた三浦 襄翁をご存じですか?(バリ島里親会発足HPより)
歴史に触れるバリ島
私は高校生の時に、世界史を選択してたのもありバリ島をウロウロしていたりすると、第二次世界大戦時のものを見聞きすることはあり、まだバリ島にはそれが残っています。
東南アジア史はふんわり覚えている程度ですが、世界の文化の軌跡など辿ると、シルクロードとか繋がっていることはたくさんあり、ロマンも含めて繰り返してはいけない歴史などを感じずにはいられません。
バリ島に到着し、ウブドへ向かっている時にあ!!と思い、ドライバーのウィさんに頼んで急遽寄ってもらうことにしました。
花屋さんで花束を拵えてもらい、ちょっとしたお供えもの?
(本当は日本酒とか持ってくるべきだったのですが、実は直前まで忘れており。。。(恥))
持ち行ってきました。
デンパサールの中心近くにあるお墓
バドゥンのお墓がある敷地の近くにあり、ちゃんと日本語の看板で目印があります。
奥に進んでいくと、綺麗に掃除されて管理されているお墓がありました。
日本語とインドネシア語で三浦氏の遺書が刻印されている石碑があります。
なんというか、言葉にできない何かが込み上げてきます。
これは悲しみなのか、悔しさなのか、もどかしさなのか、尊敬なのか、畏敬の念なのか。
感謝なのか?
おそらく、一番近い感情といえば、「畏敬の念」なのであろう。
バリ島のマルガの英雄墓地にも、
終戦後、日本に戻らずにインドネシア独立戦争時にインドネシア側としてバリ島で戦い戦死した日本人のお墓がありました。
その時も、何故か分かりませんが、見た瞬間涙がボロボロと溢れてしまいました。
https://yucco.biz/9908
戦争や自己犠牲(この言葉が適切であるかはちょっと違うように感じますが言葉が見つからない)になる事を美化している訳では決してなく、
命を投げ打ってでも行動するということ。がいいかどうか。というのは今の私には分かりません。その立場になったこともなく、もともと持っている思想や現在の生き方からは想像することは簡単ではありません。
ただ、
彼らの想いや行動が、
今の日本人のバリ島に来ている私達へ繋げてくれている【何か】がある。それに感謝と敬意を。というのをとても感じたのです。
また、同じ日本人として三浦襄 氏を知ってほしいなと思い、この記事を書きました。
私は、バリ島にこのようにご縁があり、
バリ島で素敵な経験や思いができているのも、彼らの繋げてくれた想いや行動があり、今も生き続けているのだな…
と感じてます。
時代は変わりつつありますが、
日本から世界にでている身として、
何が大それた事が出来るわけでもないですが
少しばかりは私もそのような【何か】を繋げることができる人でありたいなと、思っています。
どうか安らかに。
86R5+38J, Pemecutan, Kec. Denpasar Bar., Kota Denpasar, Bali 80113 インドネシア
最後まで読んで下さりありがとうございます!
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