6月の朝早く、私と夫はフィレンツエのサンタマリア・ノヴェッラ駅で電車に乗り込んだ。これからチンクエ・テッレに向かうのだ。日本と違い何のアナウンスもなくゴトゴトと列車は走り出した。車内は学生やらアメリカ人の観光客で賑わっている。アメリカ人の観光客は年寄りばかりで、たぶんモンテカティーニテルメ駅で降りて温泉を飲みに行くのだろう。コップを持ってあちらこちらの温泉を飲み歩くのが体に良いのだそうだ。

そのようなことを30分位だろうかぼーっと考えていると、列車はプラート駅に停車する。プラートは近くにレオナルド・ダ・ヴィンチの生家があるところだ。昨晩、縁あって一緒に飲んだフィレンツェ人の美術職人や料理人の親方は「プラートはプアート(英語のpoorをもじっている)」と冗談を言っていたっけ。江戸っ子が東京を誇りとしているように、フィレンツェ人もフィレンツエこそ最高という誇りがあるのだ。


それはさておき、列車はモンテカティーニテルメ駅にさしかかる。やはりアメリカ人の老人らが大きな肉付きのよい体を揺らしてガサガサと荷物をまとめ始める。「早く。さっさとして。降りるわよ」と口々に言い車内は騒々しくなった。アメリカ人の老人らがバッファローの群れのように移動して、プラットホームに降りてしまうと車内はだいぶ空いて静かになった。次の駅はルッカだ。以前、訪れたことのあるかわいい小さな町だ。有名なオペラの作曲家プッチーニが生まれた町で、又、ダンテがフィレンツェを追放されたあとに滞在していた町でもある。立ち寄りたいという気持ちもあったが、「それはまたにして、まずはチンクエ・テッレの海を見に行こうよ」と夫に肩をポンと叩かれた。


つづく

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