朝、登校直前の兄くんに、「今日は長縄大会だね、お母さん見に行ったら嬉しい?」と声をかけた。
運動が苦手な兄くんは、それを聞いて…
泣き出した。
「行かない、やりたくない。行かない!」
えー、なんで?
という気持ち半分。
ああ、やっぱり。
という気持ち半分。
ここ1ヶ月くらいクラスで長縄の練習を頑張っていた様子の兄くん、たまに「どうだった?」と声をかけると、今日はみんなで連続何回跳べたとか、僕も跳べたよとか、楽しそうに話してくれていたのだけど。
昨日の練習で、何か嫌なこと言われちゃった?
と聞くと、こくりと頷いた。
本人は一生懸命跳んでいるつもりだけど、引っかかって失敗してしまった時、クラスの子数人から「ちゃんと跳んで!」と怒られるって。
ああー、あるあるだなぁという感じ。
本当に、こういう時になんて声をかけたら良いのか毎回毎回悩んでしまう。
息子の悲しい気持ちが痛いほどわかる、でも怒ってしまう子の気持ちも、わかる。
連続記録を目指す大会、一生懸命だからこそ、きつい言葉が出てしまうこともある。
声かけの正解はわからないけど、とにかく「たかだかそれしきのことで落ち込んで、くだらない!」みたいな態度だけはとらないように気をつけている。
大人にとっては些細なこと、長縄が跳べようが跳べなかろうが人生に何の影響もないことはわかりきっていて、適当にうまくやり過ごせば良いよと思ってしまう。
でも、小学校低学年の運動が苦手な男の子にとってみれば、それはそれは重大で、頭の中はそのことでいっぱいになって、涙がぼろぼろあふれてしまうようなこと。
「やらなくていいよ」
と、声をかけたら、兄くんは目を丸くしてびっくりしていた。
「え?いいの?」
「うん、別にいいよ。
でもさ、お母さんから先生にお手紙書いて、兄くんが悲しんでることを伝えてちょっと兄くんとお話してもらうから。それで兄くんが"やろう!"って思えたら参加しよう。思えなかったら、やらなくていいよ。そのかわり、他のことを頑張ろう!」
「…うん」
「あのさ、兄くんには、逆にその子たちより凄いところだってあるんだから!たまたまその子たちは兄くんより長縄が上手だっただけでね。兄くんはわざと失敗してる訳じゃないんだから、気にしなくていいんだよ、堂々としてれば良いんだよ!
上手い子もいれば、上手くない子もいるの。こういう学校でみんなでやる競技っていうのは、そういうものなの。上手い子は、上手くない子に教えてあげればいいんだよ。それもしてないのに、兄くんに怒るような権利はない!!」
絶対に、もっと正しい声のかけ方はあるんだと思う。
でも、まだまだ新米の母にはこれが精一杯。
とりあえず、
「…うん、わかった。もう大丈夫。ちゃんとやる」
と、兄くんは涙を拭いた。
「えっ、そうなの?
うん、わかった。がんばろう。お手紙は間に合わないから、先生に少しだけ電話しておくね。誰が嫌なこと言ったかはお母さんも知らないし、その子たちを先生に言いつけるとか、そういうことじゃないからね。」
「うん、わかった」
「お母さん、大会見に行ってもいい?」
「…やだ。それはやだ」
「そっか。わかった、じゃあ心の中で、家から応援してるからね」
しょんぼり、でもしっかりとランドセルを背負って出ていく息子を見送ってから、学校に電話。
お忙しい時間にすみません、こんな些細なことで電話してすみません…何度も謝りながら、少しだけ兄くんのことを気にかけてほしいことを伝えた。
本人がどうしても嫌だと言ったら、見学で構わないとも伝えた。
すみません、すみませんと言いながら、それでも図々しく電話をかけたのは、やっぱり息子が可愛いから。
世界の中で母親くらいは、図々しいくらい、気持ちに寄り添っていてあげたい。
もう、長縄大会は終わった頃。
「ただいま!」の声が、いつもどおり明るい色でありますように。