こんばんは。
つなぎびと雫です。

いつもお読みいただき
ありがとうございます。


今日は雨の満月ですね。


お月様は見えないかもしれませんが
いつも以上に
浄められていく

そんな
浄化力の高い満月になりそうですね。



こちらの記事は昨夜、投稿したものですが
本能のままに
という言葉について
少し追記しております。
最後までお読みいただけたら
ありがたく思います。


愛雨 あいう

雨を好むこと。
自然の摂理にしたがって降る雨は、
動植物の命の水の供給源であり、
人の心に潤いを与えるかけがえのない賜物。
それでも厭われることが少なくない。




素敵な言葉を見つけました。


なんだかとても愛おしい。








洗い流し浄められていくほどに
潤い満ちていく




マリア様のメダイ

一昨日
3月16日に
片付けをしていて見つけました。


なんだかとてもうれしくて
見入ってしまいました。



今まで氣づかなかったのですが
マリア様の足もとに
蛇がいますね!





調べてみましたら 


メダイの表に刻まれた言葉は 
三つの側面が互いに密接につながっている 
メッセージを表しています。

«罪なくして宿られたマリア、
あなたにより頼む私たちのためにお祈りください »

ここにはっきりと母の胎内に宿った時から
罪の汚れのない方というマリアの身分が啓示されています。
御子イエス・キリストの受難の功徳によって与えられた 
この特権から、マリアに祈る人々に
マリアが取りなす取次ぎの祈りの力が生じるのです。
ですから、マリアは生活で苦しんでいるすべての人に、
ご自分に馳せよるよう招きます。
マリアは半球の上に立ち、
その足は蛇の頭を砕いています。
半球は地球、この世を表しています。
蛇は、ユダヤ教徒とキリスト信者にとって悪魔と悪の力の典型です。
おとめマリアは霊的戦い、
戦場であるこの世の悪との戦いに自ら関わります。
マリアはこの世の考え方ではなく、
神のお望みに従って私たちにも 
この戦いに参加するよう招いています。
これこそキリスト信者がこの世に伝えるための、
マリアに願わなければならない回心の真の恵みです。

引用させていただきました。


なんと
マリア様は蛇の頭を砕いている!!
と書かれてあります。


それを知り
とても悲しいきもちになりました。

生き物に対して
マリア様が…😢


そんなことを感じたからでしょうか…
その日の夜
蛇の映像とともに
メッセージを受け取りました。



蛇の頭を手で押さえつけている
映像でした。

苦しいとか痛いという感じは
全く伝わってきませんでした。

 すると

虐めているわけではなく
コントロールしている
と伝わってきました。

それは
上のものが下のものを
押さえつけるということではなく
蛇は自分自身であり
自分自身をコントロールしている
と伝わってきたのです。




ここにもまた
対峙すべき相手は自分自身だと
言われているように思えました。




蛇は
アダムとイブ(エバ)を誘惑した話や
八岐大蛇なども
悪や邪の象徴とされていますが

その背景には
やはり…


以下の内容からも

蛇は
善悪
どちらの象徴にも成り得るものである
とつくづく感じました。



引用させていただきました。


マヤ暦の20の紋章の1つにも

チークチャン
(赤い蛇)
があります。


私の持っている紋章の1つでもあります。


チークチャンの特徴は
情熱的で活動的
好き嫌いがハッキリしている
正義感が強く、真実を知りたい
人一倍神経を使う
など

チークチャンは燃えすぎて自滅するとしたら
原因は怒り
とも言われていますが…

上の特徴からもとても意識の偏り
感じられる紋章です。


チークチャンが心掛けることは
感情と欲望のコントロール

そして
チークチャンの本質は
※本能のままに



まさに
蛇は
今、私たちに突きつけられていることのように
感じました。


ついつい
頭で考えすぎてしまい

本来備わっている本能
直感が使われないでいる。



本能と言う言葉について
ふと…

※本能のままに
冷静さをなくすこと 理性を失う 我を忘れる 感情に突き動かされる 頭に血が上るカッとなる 分別を失う 感情に左右される 感情のままに動く 本能に突き動かされる 本能的に動く 動物的に動く 周りが見えなくなる 激情に駆られる 感情に駆られる 冷静さをなくす感情に走る 感情的になる ムキになる 逆上する 
前後の見境がなくなる 血迷う錯乱する


本能のままにという言葉には
感情や欲望のままに
動物的にやりたい放題する
という意味が連なっています。

実際に
このように捉えられていることが多く
わがまま 自分勝手
という意味でマイナスに使われることのほうが
多いのではないかと思いました。


言葉には
ひとりひとりの意識が反映されていて
表面上は同じ言葉だとしても
全く別物のエネルギーを発していることがあります。

言葉の使い方の正しい
正しくないと言った文法上のことではなく
その人の反映として言葉がある
ように
改めて感じています。


本来備わっている本能
それらの手本は
自然そのもの
ではないかと思うのです。

人間以外のありとあらゆるものたちが
そうであるのだと思いました。


人間に都合の悪いものは
排除されていく
皆、本来備わっている本能のままに
生きているだけなのに…

虫も動物も草も木も…



おとめマリアは霊的戦い、
戦場であるこの世の悪との戦いに自ら関わります。
マリアはこの世の考え方ではなく、
神のお望みに従って私たちにも 
この戦いに参加するよう招いています。
これこそキリスト信者がこの世に伝えるための、
マリアに願わなければならない回心の真の恵みです。


悪との戦いとは

この世の考え方ではないとは

戦いとは


私たち人間の

自分の感情や欲望との戦い
なのではないでしょうか…





左のタロットカードの6 恋人達
人間の本来の純粋無垢な魂を持ち、
生まれたままの姿で暮らす男女を描く恋人達。
何かを選びとる「選択」や、
周囲との「調和」を意味するカード。

2人はともに悪魔の化身である蛇の誘惑に負け、
禁断の木の実を食べて楽園を追放された罪人。
でも、このカードで描かれている2人は、
まだ罪を犯す前の姿なので、
これからどのような選択をすることも可能なのです。
イブは、癒しを与え、
超意識を象徴する大天使を見上げています。
2人の男女がともに幸せに調和し、
天からの祝福を受けられるような選択をするためには、
彼女の「感覚」や「感受性」を生かした決断が大切。
果たしてイブは、知恵の木の実を勧める蛇の誘惑に打ち勝って、良い選択をできるでしょうか。
あなたは今、どんな選択をしようとしていますか。
            

     
                 
タロットカードの

恋人達も悪魔も


何かや誰かのせいではなく…
何かや誰かが押さえつけているのではなく


自分自身で選択することができるし

自分自身で選択した結果である

ということを表していると思います。



蛇は

善悪の象徴であり

この二元の世界の象徴として

常に
私たちと共にあります。



頭を使いすぎていないだろうか…
 理性に支配されすぎていないだろうか…
我を持ちすぎてないだろうか…



本能のままに
とは
純粋無垢な魂のままに



感情と欲望のコントロールをしていく



それは
マリア様が望まれた
願いなのではないでしょうか…


いつもお読みいただき
ありがとうございます。

愛と感謝を込めて。

氣づきと心の解放が
生まれますように。