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意識しないことは果たしてラクなんだろうか?ー「同志少女よ、敵を撃て」 [読んだ漫画/本/雑誌の感想]



■あらすじ


独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。
急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。
自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。

「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。
母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。
同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。
おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵""とは?

■本人の言葉とは?


「新聞に載る言葉は自分のものではなく、常に、自分の言葉を聞いた新聞記者のものだ」

この言葉が印象的でした。

何かの触媒を通せばそれの主義主張がかならず入る。
右翼思想か左翼思想か・・・必ずその思想によっても行間を切り貼りされる。

日本では個人間でもそういう話をしないから意識しませんが当然ですよね。

そこで気づきました。
戦争でなくてもそうかもしれませんが「意識しない」ということは危険なことなんだ、と。

私たちは普段、芸能人を含めた「公人」の言葉の多くをテレビや新聞で受け取っています。
そしてそれを本人の言葉だと無意識に考えています。

ということはフィーマが言っていたことがそのまま言えます。

新聞記者が許容できる言葉のみが載る。
できないことは編集されるか誇張されるか消される。

少なくとも原文ママはありえない。

それでは私たちは真意がわかりません。

1つの記者や情報源をそのまま鵜呑みにしてしまうのは危ないですね。
大げさに言うと戦争当時の「大本営発表」をそのまま信じてしまう・・・。

確認もせずなんの意見も持たないまま。

私も何にも考えずに信じちゃってるなぁ。
多角的に確認して今ある文明の利器であるSNSに自分の意見を言えるようになりたいな、って思います。




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