シニア世代の恋愛作法(白浜 渚のブログ)

シニア恋愛小説作家によるエッセイ集です
 ブログの記事すべての内容に関する権利は白浜渚に所属します。
 

波(7)

2016年03月05日 08時21分30秒 | シニアの恋
       波(7)     〈完結〉

上岡良樹がゴルフ場で仲間とゲームを終わってラウンジでお茶を飲みながら談笑しているところにズボンの右ポケットでスマホが鳴った。久しぶりに聞く「ライン」の着信音だ。すぐ会社の部下だった陽気な吉村太郎の顔が浮かんだ。〈今頃なんの用だろう。〉もう何年も連絡をくれたこともなかったし、こちらからも連絡していない。スマホを取り出すために立ち上がりズボンのポケットに手を入れてスマホを取り出してみる。

ロックを外した画面を見て良樹は一瞬目を疑った。妻の綾乃からだった。
「I love you. 綾乃」
と書いてある。からかわれているような気がした。〈なんだこれは。しかし、あいつはこんな冗談ができる女じゃない。誰かが妻の名を騙って俺をからかっているのか。〉それにしてもそんな冗談をしそうな仲間は思い当たらなかった。このメールは一体何を意味するのか。本当に綾乃が書いたのか。

良樹はほとんど気もそぞろの状態で帰宅した。三時半だった。妻はこの日は午後の勤務で留守だった。ほとんど無意識でパソコンの電源を入れた。立ち上がりがやけに長く感じられた。妻とあまり口を利かなくなってもう一年以上になる。あいつが自分に相談もなくパートになど出て、疲れた顔ばかりしていたのでつい腹を立てた。車を新調したこともお気に召さなかったようだった。

ふと結婚したころのことが脳裏をよぎった。入社当時の良樹にとって大川綾乃はまさに優しいお姉さんだった。初めのうち女子事務員には緊張して何を言うにもぎこちなく、少なくとも馬鹿にされないように取り澄まして付き合っていたが、指示された文書の届け先を間違えて係長に怒鳴られてからすっかり自信を無くしてしまった。落ち込んでいる良樹にお茶を入れてくれたり、
「上岡さん元気をだして。あの係長年中怒ってばかりいるんだから気にしなくていいのよ。」
などと慰めてくれたものだった。良樹は次第に綾乃に心を開き、職場のことを聞いたり、相談をするようになった。綾乃は年上なのに笑顔がとても可愛い女だった。二人は恋に落ちた。年下の男をゲットした綾乃に対する若い女子たちの反発は予想外に激しかった。良樹にとって、周囲の女性たちから次第に浮き上がっていく綾乃を見るのは苦痛だった。良樹は意を決してプロポーズして結婚した。

良樹はパソコンのネットでいつものゴルフの情報を見ながらも、何となく気になってまたスマホを覗いてみた。
「I love you. 綾乃」
という文字が妙に生々しい。綾乃はいつの間に「ライン」を始めたのか。急に妻が遠くに行ってしまったような感傷にとらわれる。あの恋人だった頃への思慕がしだいに良樹の心をとらえる。あのような嬉しい気持ちを味わうことはもう二度と無いのだ。いつも視線がひどく冷たく拒絶的な妻と、いつか目にした妙に寝顔が可愛い妻との落差が心をさいなむ。

「ただいま。」
玄関のドアの音がしていつものように妻が帰宅した。綾乃はいつもの取り澄ました表情でスマホのことなどおくびにも出さずに着替えのため二階へ行ってしまった。厨房に戻ってきた妻に、内心ちょっとためらいながらも思い切って聞いてみる。
「おまえいつの間にスマホ始めたんだ。」
「一昨日よ。」
「俺にラインでメールしたよな。」
「したわよ。」
「何であんなこと書いたんだ。」
「心のままを書いたのよ。」
ことさらに無表情でケロッとした綾乃の言葉と、妙にこだわってぎくしゃくした良樹の言葉がかみ合わないまま会話は終った。

「心のまま・・・」良樹は心に灯がともったような気がした。やっぱり妻も内心辛かったに違いなかった。ふと「大川綾乃」が現れたような気がした。流しに向かって洗い物の片づけをしている妻がなぜか大きく見えた。良樹はしばらく後姿を眺めていたが、立ち上がって妻に近づくと後ろからそっと抱きよせた。
「ありがとう・・・。」
「あなたっ。」
綾乃は振り向いて強く抱きついてきて顔を良樹の肩に埋めてきた。そこには妻綾乃ではなく大川綾乃が涙にぬれた目で笑っていた。

その夜、二人は一年二か月ぶりの逢瀬を果たした。綾乃は今までにはなかった深い幸せの時を実感した。良樹はあれほど憧れていた恋人に巡り合えた。

久しぶりの激しい抱擁の後、綾乃が問わず語りに言った。
「お店の友達にね『スマホ買ってご主人にラインしなさいよ』って勧められたの。八つも若いのにあの人は大したものだわ。」
「旦那はいるんだろ。」
「この間までリストラされて就活してたらしいの。でも勤め先が見つかったって喜んでいたわ。」
「じゃあその人は我々の恩人ってわけだな。」
「そうよ、」
「綾乃、君は可愛いよ・・・」
「あむ・・む・・・」
・・・・                         了







最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございました (なぎさくん)
2016-03-05 18:06:55
短編小説「熟年夫婦」をご愛読ありがとうございます。熟年夫婦も「恋人」になる瞬間が必ずあると思います。やっぱり「妻」は、そして「夫」は「空気」ではなく異性でありたいのです。
上岡良樹・綾乃の姿の中に少しでもそんな瞬間を感じていただけたら幸せです。著者
Unknown (trip partnerスカウトチーム)
2020-05-06 12:21:27
はじめまして。
弊社はTrip-Partner(https://trip-partner.jp/ )という旅行・夜遊び・大人の恋愛情報メディアを運営しております。
貴ブログのような内容に富んだ記事を扱い、読者に有益なメディアにしたいと思っています。
是非貴ブログに弊社のサイトでも記事を執筆頂きたいと思いまして、ご連絡差し上げました。
報酬は1記事2500円~5000円を考えています。
もしご興味ありましたら範國(ノリクニ)宛(japan-director@trip-partner.jp)にメールを頂けますでしょうか?
その際メールにブログのURLを記載頂ければ幸いです。 宜しくお願い致します。

コメントを投稿