「不安」が導く「緊縮財政」と「増税やむなし」論。 | Tempo rubato

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財政拡大路線への政策転換を唱えるようになって10年くらいになりますが、それまでは「税は財源だ」となんとなく信じていたし、国がお金を使いすぎると財政破綻するという話もなんとなく「そうだろう」と思っていた。

それが変わってきたのは

貨幣(お金)が債務と債権の記録に過ぎない無形の「価値(信用)」であること、

貨幣は政府・日銀の負債であること、

負債の反対側には同額の資産が生まれていること、

国債発行とは貨幣発行のことであること、

自国通貨建ての国債が破綻(デフォルト)することは考えられないこと、

などを、歴史的なデータや、世界最古級の中央銀行イングランド銀行の説明や、財務省と日本銀行の説明を根拠にひとつひとつ考えを改めてきたからです。2、3年はかかってるでしょうが、まだ十分とは言えません。

 

自分の誤解を解くのに数年の時間がかかるのですから、他人ではどれだけかかるのかわかりません。無理かもしれない。そもそも、他人は自分とはものの見方や感じ方、考え方も異なりますので、まったく同じにすることが適当だとは言えません。が、大多数が共有可能な基準というものは存在します。

ここでも「大多数」と言わざるを得ないのは、現在でも地球平面説を信じていて万有引力や宇宙の構造等を、地上にいる「人間(個人)」を中心にして説明しようとする人は存在するからです。ただ、大多数の人々は、科学的な検証の数々や宇宙探査船の調査結果など「個人的でない」証拠でもって、地球は太陽の周りを回っている球体で、地球外生命体も存在を確認できないだけで理論上は存在し得るのだろうと思うに至っているわけです。

個人的な見地で物事を判断しようとする人が絶えないのは、おそらく「不安」との関係があるのでしょう。哲学者の井上圓了は「妖怪学」の中で、妖怪の中でも「偽怪」「仮怪」「誤怪」といった人為的な妖怪や自然現象を見間違う類の妖怪は、人の不安心理と関係があると記している。

また、心理療法士の河合隼雄もUFOなど不思議な現象を信じる心理は、人あるいは社会の心理状態とのコンステレーション(本来意味を持って並んでいるわけではな星々に神話などを当てはめ、星座として意味をもたせるのと同じように、無関係な出来事があたかも意味を持っているかのように感じてしまうこと)しているのではないかと説いた。哲学でも心理学でも、妖怪が本当にいるのかどうか、UFOや不思議現象が本当にあるのかどうか、が問題なのではなく、そのように思う人間の思考や心理を問うているのです。

妖怪や超常現象は、存在が確認できないからややこしいのはわかりやすいのですが、確認できることなのに納得されないこともあります。

貨幣や財政のしくみがそのひとつです。

 

現代の貨幣や財政のしくみは、産業革命以来の資本主義から金本位制からの脱却によって形作られています。

先の歴史やデータが示すもの、先進国の中央銀行や財務機関の説明が、科学における研究・検証・探索の歴史に対応します。経済に関心の強い人の中にも、どれだけ証拠を示しても納得しない人は一定数存在します。しかし、大多数は客観的または非個人的な情報の集積が「正しい」と納得できるはずです。周知されていないからまだ知らないだけです。

「知らない」のは悪いことじゃありません。不安がる必要はないのです。

 

そうもいかないんだよアヒルちゃん。

 

 

たとえばこんな誤解があります。

「日本の戦後復興から高度経済成長期には国債発行などしていなかった。したがって経済成長と国債発行や財政支出拡大とは無関係である」

 

文章になっているものではこちらをどうぞ。

《高度成長期は基本的に政府部門は資金余剰(黒字)だった。》

つまり、高度経済成長期に政府が財政拡大で赤字を増やした事実はない、とのこと。

 

その通りです。

グラフは1955年からですが、60年代まで日本政府はほとんど国債発行していませんでした。国債発行を増やしはじめたのは70年代からです。

なのになぜ、戦後復興を果たし経済成長できたんでしょう。

 

篠栗町議員さんのブログ。昭和三十年からの国家予算(歳出)のグラフです。

顕著に増えているのは70年代からなのが確認できます。

1955年は2兆円ほど、ボクが生まれた63年でも5兆円にも満たない規模ですが、上掲noteによれば政府部門は黒字、つまり歳入のほうが大きかったことになります。GDP比なので付加価値の合計のうち2〜3%くらい(視覚的にわかるように、わずかですが)黒字になっているわけですね。

 

指摘の通り経済成長は政府支出・国債発行(積極財政)とは関係ないってことなのか。

戦後日本は戦争で働き手の人口が減り焼け野原だったのに、政府が歳出以上の歳入(税収など)を得ていたとしたら、それはどこから来たのか? こちらの方がよほど不可解ですね。

 

敗戦直後には日本の全都道府県の生産拠点が空襲で破壊されていました。このため人々が普通の生活を再開したくても生産力が圧倒的に足りません。戦後の高インフレは需要>供給のバランス異常によって起きたのです。すぐにでも生産力を回復しなければならなかった。

しかし、敗戦から7年間は主権を失っており国債発行できませんでした。

ではどうやって戦後復興したのか。

どうやって資金を得たのか。

なぜ(わずかとは言え)政府は黒字だったのか。

 

答えはシンプル。

連合国は、戦後復興のため資金を用意したのです。これが「ガリオア・エロア資金」です。

当時の国家予算並みの資金に加え多額の借款も加わって、破壊された生産拠点やインフラを整備し直した。生産力を取り戻した日本は高度経済成長へと邁進することができたのです。この資金を完済したのは1990年代のことでした。

 

この文書は、URLを見るに参議院のODA関係の調査報告書のようです。日本は現在、世界で有数のODA(政府開発援助)の援助国となっていますが、敗戦後は被援助国であったのだ、という歴史を冒頭紹介されており、ガリオア・エロア資金が紹介されています。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/kokusai_kankei/oda_chousa/h16/pdf/1-2.pdf

 

 

さて、確かに日本政府は財政拡大で赤字を増やしていませんでしたが、外国から資金を得て積極財政していたのです。

日本は外貨を発行できませんので、返済できなければ本当に財政破綻していた危険な状態だったのです。財務省は国債発行してなかったこの時期を「健全財政」と表現してますけどね。。。

ガリオア・エロア資金については佐藤健志さんがこちらで詳しく解説されています。

 

 

 

というわけで、上記noteで述べてたことの根拠は失われます。

加えて、筆者は政府部門・民間部門(企業・家計)を分離してしまっていますが、これもおかしいですね。政府が投入した資金はどこにいくんでしょうか。民間部門です。そこに海外部門が加わって、国家財政の収支はプラマイゼロになります。

 

政府部門+民間部門+海外部門=ゼロ

普通は貿易収支を出す計算式ですが、辺を入れ替えればこうなるのです。

これは恒等式ですから必ずこうなります。

 

政府が赤字を十分増やさず、海外も赤字を増やさない状態(コロナ禍がまさにこれ)では、家計と企業に赤字が増えてしまうことになります(なりましたよね)。企業は自己防衛のために内部留保を増やしている構造です。


会計上、負債の反対側には同額の資産が生まれるので、政府の赤字は民間の黒字です。

政府部門と対応するのは民間部門の家計と企業です。家計と企業だけを並べても意味があるとは思えません。

 

一般人だけでなく、政治家や言論人にも似た思考が散見されますし、民間である自分を基準にして政府にも同じような「経営」感覚でいろいろと言う人がいます。

「税は財源だ」はその端的な例です。

しかし事実は、政府(国)と家計や企業は別物なのです。

その動かぬ証拠が、通貨発行権です。個人や企業はもっていませんよね。

 

なぜ、政府支出が民間経済に影響してないかのような考えになるのか。

なぜ、政府を民間から分離する思考になるのでしょう。

または、政府も民間の我々も同じものとして財源を必要とし、借金は返さねばならないと考えるのでしょう。

 

前半で書いた哲学と心理学の考察が参考になると考えます。

貨幣や財政の正体はよくわかりません。政治や経済もわかったようでわからない妖怪のようなものに映るかもしれない。

財政拡大を嫌がる人には、政府や政治権力を嫌う人が多いんじゃないでしょうか。権力が、国民がよくわからないのを良いことにお金や国家財政を言いように操っているのだ、とか。

あるいは、政府など権力の世話にならずとも自力で成長できるはずだと考えている自立心の高い努力家でしょうか。前者はちょっとアレですが後者は別に悪いことと言いません。価値観の問題です。

しかし事実は、個人的な考えや経験値や価値観とは区別しなければならないでしょう。

区別をすれば、政府や行政というものは、民間人には手の触れられない特権的なものだと認めなければならなくなります。

それを恐れる心理、「不安」が無意識にあるせいで、思考が誘導されているのかもしれませんよ。

「わたしたちの血税」にしても、政治家の生殺与奪を税によって握っているのだと安心したい心理があるのかもしれませんよ。

 

しかしそれは、事実ではありません。

 

「財政赤字を増やしていくと財政破綻する」

「増税しないと社会保障が立ち行かない」

そうしておけばとりあえず納得できるかもしれませんが、事実ではありません。

 

 

政府・日銀は通貨発行権を持っている。民間にはありません。

行政権・立法権・司法権を持っているのは政府・議会・裁判所です。民間にはありません。

 

政府の役割は「民」、国民を安定的に豊かにするため世の中を治めること。

それが経済であり、政治の第一の役割、責任です。我々民間人にはできないことだからです。

 

だからこそ、政治家を選ぶ選挙が重要なのです。

ボクは現在の政治家共を信用していませんが、政府機能や政治の役割は必要不可欠だと考えます。信用もしています。でないと無政府主義、全体主義に陥ってしまいますからね。

 

政府の役割の代表が通貨発行、つまり財政支出・国債発行です。

 

四半世紀も財政支出を絞って増税を繰り返すなど、役割と責任を放棄してきた日本政府に求めるのは、財政拡大路線へ転換。これが大前提なのです。

 

 

 

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