旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

道南いさりび鉄道 鉄印の旅 6(完) 渡島当別駅から木古内駅へ そして帰途

2020-09-27 16:18:59 | 道南いさりび鉄道線の旅
渡島当別 オシマトウベツ   11:14着 11:15発
 ここの住所は、北海道北斗市当別鉄道用地。またも「鉄道用地」。 駅名は所在地名に由来する。「当別」はアイヌ語の「トペッ(to-pet)」(沼・川)に由来すし、開業時すでに「十弗(とおふつ)」など類似の駅名が存在していたため、旧国名「渡島」を冠したと言われています。
線路を挟んで3分ほどの所に、男爵いもの生みの親「川田龍吉男爵」の農場跡地を利用した『男爵資料館』がありましたが、現在は閉鎖されています。
 『男爵資料館』にあった、新しもの好きなハイカラ男爵が明治から大正時代に欧米より取り寄せた、当時としては珍しく貴重な多くの展示物は、男爵いも発祥の地である北海道七飯町の道の駅「なないろ・ななえ」のすぐ隣に2019年(平成31年)4月25日オープンした、食と文化の交流拠点「THE DANSHAKU LOUNGE」で見ることができるそうです。中でも、日本最古の車「ロコモビル蒸気自動車」は日本ではここでしか見ることができない非常に貴重なものだそうです。


 渡島当別郵便局との合築である駅舎は、駅から西に1.5km、約20分の所にあるトラピスト修道院の最寄り駅であることから修道院を模した外観をして、駅舎内には陶器製の聖像が飾られているそうです。また、「トラピスト修道院入口」の副称が付いています。


 海沿いに線路は少し高いところを走り、海岸ぎりぎりを走る国道228号線を見下ろします。
 天気が良ければ海を挟んで、函館山と青森県の津軽半島や下北半島が見えるビューポイントです。


釜谷 カマヤ        11:21着 11:22発
 相対式ホーム2面2線を持つ簡易委託駅で、対面ホームへは、五稜郭方面の構内踏切で連絡しています。かつては単式ホーム1面1線だけでしたが、海峡線開通に伴い交換設備が新設されました。駅舎はワム80000形貨車を改造したものがのが設置されています。 
 ここの住所は、北海道上磯郡木古内町字釜谷鉄道用地。またも「鉄道用地」。
 駅名は地域名の、アイヌ語の「カマヤペッ」(平たい岩・岸・川)、あるいは「オカマヤウンペッ」(川尻・平たい岩・岸にある・川)に由来するとされています。いずれにしても「平岩があった」ことに由来します。


 左前方に見えみえてくるのがサラキ岬です。
 太平洋横断を果たしたオランダ製の軍艦・咸臨丸が、戊辰戦争で敗れ、北海道移住を余儀なくされた仙台藩片倉小十郎家臣団401名を乗せ、箱館経由で小樽に向かう途中、1871年(明治4年)9月20日サラキ岬沖で座礁・沈没しました。
 そのサラキ岬に近づくと帆船のモニュメントが見えます。これは、「咸臨丸とサラキ岬に夢見る会」が中心となって設置した「咸臨丸」の模型で、プレジャーボートをベースに制作したもので、縮尺は特に決まった縮尺で作られているわけではなく、プレジャーボートの全長ありきで、そこからマストなどのサイズをモデルシップから割り出して作られているそうです。


泉沢 イズミサワ      11:26着 11:26発
 2面のホームが千鳥に配置され、上りホームは島式2面2線(2番、3番のりば)、下りホームは片面1面1線(1番のりば)となっている簡易委託駅で、互いのホームは跨線橋で連絡しています。
 ここの住所は、北海道上磯郡木古内町字泉沢鉄道用地。またまた「鉄道用地」。
 駅名は地名に由来している。ここにアイヌ民族が住むようになった頃は「シュシュボッケ」(「やなぎのかげ」あるいは「やなぎの下」を意味する言葉と)呼ばれていた。「泉沢」という今日の地名になったのは、およそ350年ほど以前のことらしく、サラキ岬を過ぎて2本目に渡った亀川には「さけ」がまるで、泉がわくようにたくさん上がったので、このような呼び名になったといわれている。


 泉沢駅といえば「心に残るよい旅を」と書かれた小さな看板が有ります。
 この看板が設置されている場所は、海峡線開業に伴う電化で跨線橋が設置される以前の構内踏切付近なので、国鉄分割民営化前後に設置されたものと思われます。道南いさりび鉄道になった今も健在でした。


 列車交換のため、3分ほど遅れている下り普通 函館行を待ちます。「ながまれ号」用のもう1両ある車両でやってきました。


 札苅駅までは左右にカーブし漁村が続きますが、線路沿いの防音壁も断続的に続き、眺めは良くありません。


札苅 サツカリ       11:31着 11:31発
 ここの住所は、北海道上磯郡木古内町字札苅鉄道用地。5駅連 続の「鉄道用地」。
 駅名は地名の、アイヌ語で「岩の・手前(=磯端)」を表す「シラㇻツカㇻ(sirar-tukar)」に由来する説の他、「シラツトカリ」(岩礁の北方)に由来するとした説もあります。 


 駅を出て左にカーブすると、右手に北海道新幹線が並行し木古内駅に着きます。


木古内 キコナイ     11:37着
 駅名は地名はアイヌ語に由来し、現在の木古内川が、干満の差が激しく、満潮時に潮が川を逆流することから「リリオナイ(リロナイ)」(波・入れる・川:潮の差し入る川)と呼ばれたためとされています。
 島式ホーム1面2線が地上部に、待合室やタッチパネル式自動券売機が自由通路と同じ高架部にある橋上駅です。


 1~3番線にはホームが無く、のりばは4・5番線となっています。 
 

 社員配置駅でありますが、輸送社員のみ配置のため出札・改札業務などは一切行わないため無人駅扱いとなっていて、かつて売店があった待合室には、鉄道関連コレクションが展示されています。


 外は土砂降り。
 昼食も兼ねて、駅前の木古内町観光交流センター、通称「道の駅 みそぎの郷 きこない」へ。
 木古内町では毎年1月中旬に、ふんどし姿の若者が極寒の海へ入水し、豊作や豊漁を祈願する祭り『木古内町寒中みそぎ祭り』が、1600年代から建つ佐女川神社に伝わる伝統行事として行われているそうです。そのため『みそぎ』という名称をよく目にします。


 オープン当初、鶴岡市『アル・ケッチァーノ』のオーナーシェフ奥田政行さんが監修した館内のレストラン『どうなんde's 』は、ソーシャルディスタンスとやらで席数が少なく、座るまで時間が掛かりそうです。
 それでは、館内のお店で調達した物を多目的ルームで頂くことにします。
 まずは、プシュ!
 木古内でも、『大沼ビール』!


 『きこないコロッケ』

 これがよく分からなかった。
 『きこないコロッケ』なのに『はこだて和牛』のコロッケだそうです。
 なんでも『はこだて和牛』というのは、何とここ木古内町でしか生産されていない希少な褐毛和種牛のことなんだそうです。


 なお『きこないコロッケ』には、はこだて和牛の他、ホタテ、チーズ、ひじき、カボチャ等もあるとのことです。
 あとは『キッチンキーコ』でチョイス。


 『たこ焼き』、『みそぎの塩ザンギ』『みそぎの塩わかめラーメン』。


 『冷やしたぬきそば』。


 「たぬき」が入っていなかった。これも愛嬌!


 小降りになったものの、未だ雨が降っている中、帰途につきます。


北海道新幹線上り はやぶさ28号 東京行 3028B
 始発 新函館北斗12:48発
 JR北海道所有の「H5系」でやってきました。


木古内 キコナイ    13:00着 13:01発
 乗っていないな~ぁ。


湯の里知内信号場 ユノサトシリウチ   レ
奥津軽いまべつ オクツガル   13:34着 13:35発
新中小国信号場 シンナカオグニ    
新青森 シンアオモリ       13:50着

奥羽本線下り 普通 青森行 4629M
 始発 津軽新城13:52発


新青森 シンアオモリ     13:55着 13:58発
青森 
アオモリ       14:04着

青い森鉄道線上り 普通 八戸行 578M  




青森 アオモリ            14:37発 
青森信号場        レ 
筒井 ツツイ        14:42着 14:42発   
東青森 ヒガシアオモリ    14:44着 14:44発   
小柳 コヤナギ       14:46着 14:47発   
矢田前 ヤダマエ      14:49着 14:50発   
野内 ノナイ        14:52着 14:52発   
浅虫温泉 アサムシオンセン   14:57着 14:58発   
西平内 ニシヒラナイ     15:03着 15:03発   
小湊 コミナト       15:06着 15:07発   
清水川 シミズガワ     15:12着 15:12発   
狩場沢 カリバサワ     15:16着 15:16発   
野辺地 ノヘジ      15:21着 
 今日の夕食は、函館駅で調達した「鰊みがき弁当」。
 会社は変われど、1966年(昭和41年)の発売以来製法は変わらず、「身欠き鰊」は甘じょっぱい味付けで、軟らかく骨まで食せます。「味つけ数の子」と「茎わかめ」は歯ごたえが良く、御飯が進みます。


 でも、何かが違う!
 容器が違う。
 「折り箱」から、赤い「パック」に代わっています。


 個人的には、「折り箱」が良いな~ぁ。


 おしまい


コメントを投稿