季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

2022年03月31日 | 音楽
蝶の蒐集家は多いそうだ。

僕はその世界からは遥かに隔たっているのだが。

その人達にとっては翅を傷めずに捕獲するのが何より大切だという。それはそうだろう。虫網を携えている姿を思い浮かべる人もいるに違いない。

新種の蝶、自分のコレクションに無い蝶を見つけたときの胸の高鳴りは如何程であろう。

そしてその時に虫網を携えていなかったならば?

今まさに新種の蝶が目の前の花にとまっている。しかも自分にはおのれの手で捕まえることしかチャンスは無い。

そのような状況を想定してみよう。

震える心に落ち着けと言い聞かせ腕をそうっと伸ばす。

身体から指先まで一種の緊張に満たされている。蝶に気配を悟られぬように近づき最後の瞬間には指先で掴まねばならぬ。

しかも勢いよく掴めば翅は傷むのである。

この一連の動作、身体の状態はピアノを弾く感触によく似ている。アフタータッチと呼ばれる一点に接近して摘むのである。理想論的に言えばフォルティシモに於いても軽く触れるだけで良いのだ。

書いているうちに僕の子供時代を思い出した。

川崎市といっても中部では緑が多く、春には数え切れぬほど蝶が舞っていた。

川沿いにずんずん上流へ行きながら手当たり次第に蝶を捕まえてはボール箱に放り込んだことがあった。

生き物を殺すことは大変に嫌いであったが蝶にしてみれば何十匹も押し込められたら殺されたと同然だっただろう。

最後に箱の蓋を開き蝶を一斉に解き放つ。再び自由を得た無数の蝶が描く景色はそれは美しかった、
はずであった。

しかし僕が見たのは無数の瀕死の蝶がヘナヘナと飛び去り、あるものは地面に落ちる姿だった。ガッカリしたと同時に悪いことをしたあとの気まずさを感じたことだけを記憶している。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿