【生々流転】の「憂き世」だからこそ、日々を一生懸命に大切にして生きる。~今日は秋のお彼岸、お中日 | 普門院だより~アメブロ版~

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皆様、こんにちは。

 

 今日は秋のお彼岸ですね。

 

 ぼんやりと日々を過ごしていたら、本当にまたたきをするほどの素早い間に

 

 時間だけが流れてゆくような気がしています。

 

 今日はお彼岸のお中日ということで、いつものように午前中に仏様にお霊具膳をこしらえ

 

 お供えしました。

 

 

 

 先ほど、私は月日の経つ速さについて、お話ししました。

 

 仏教には「生々流転」という言葉があります。

 

 間違ったことをお話ししてもいけないので、今、簡単に言葉の意味を調べてみました。

 

 ーすべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくこと。

 

 そのように説明されています。

 

 良かったー笑 どうやら、自分の認識は間違ってはいなかったようです。

 

 生々流転という言葉は、もう一つ無常という言葉にも置き換えられると思います。

 

 無常もまた、日々流れゆく中で、変わらぬものは何一つないというような意味です。

 

 話がいきなり変わりますが、私が参加している写真愛好家サイトが

 

 今年いっぱいで閉鎖されるとの連絡を受けたのが夏頃でした。

 

 いきなりの連絡だったので、本当に愕きました。

 

 改めて見ると、そのサイトは開設10年目で幕を閉じるとのこと。

 

 そういえば、私がそこに登録したのがほぼ10年前ですので、サイトが発足してすぐに

 

 自分も参加したんだなーと感慨深く振り返りました。

 

 10年前といいますと、私の子どもたちはまだ一番上が中学二年生、一番下は保育園児でした。

 

 当たり前ですが、十年も経てば子どもたちも大きくなり、一番上はもう社会人、一番下でさえ

 

 高校1年です。

 

 自分も歳を取りましたー笑

 

 そのサイトには子どもたちの入学、入園、卒業卒園などの節目に撮りためた写真を

 

 アップしては写真集を何冊も作りました。

 

 また、夫婦の記念日や私自身の写仏集、はたまた写真と小説をコラボさせたフォトブックなど

 

 様々なジャンルのフォトブックを作っています。

 

 サイトでは自分のフォトブックを公開できるので、たくさんの方に見て頂くチャンスもありました。

 

 ただ、気がついてみると、最初は1年に数え切れないくらい利用していたのに、

 

 最近では1年に1、2回しか利用しなくなっていたのです。

 

 恐らく、そういうユーザーは私だけではなく、そのようなことが閉鎖に繋がってしまった

 

 のかもしれません。

 

 サイトがある限りは、フォトブックデータも残っていますから、いつでも好きなときに閲覧可能ですが、

 

 閉鎖されてしまったら、もうデータも消えますから、閲覧は不可能です。

 

 何だか自分たちの想い出まで消えてしまうようで、とても残念でなりません。

 

 そこで、先ほどの生々流転の話になってきます。

 

 残念だ、惜しいという気持ちは物凄くあれども、これもまた「月日のなせる技」なのかも

 

 しれませんね。

 

 それをいえば、今、利用している幾つものサイトにせよ、いつ終了になっても

 

 不思議ではありません。

 

 サイトの運営者の気持ち一つにかかっているのが実状です。

 

 この写真愛好家サイトの閉鎖を知った時、私はつくづく時間の経過を感じました。

 

 物事に永遠はないんだな、いつかは何もかもが消滅する、、、

 

 そんなことを強く感じました。

 

 今、サイトでは最後のキャンペーンを行っています。

 

 九月いっぱいなので、私も是非、最後の記念に作りたいと思っています。

 

 現在、自作小説の方を優先しているので、いまだ作れていません。

 

 フォトブックを作るには最低でも数日は必要なので、ギリギリの時点で

 

 まだハンドメイド本が完成していなければ、先にフォトブックを優先して作るつもりです。

 

 サイト閉鎖は残念ですが、私はここでたくさんの素敵な想い出を持つことができました。

 

 だから、今までありがとう、のたくさんの感謝の気持ちで

 

 そのサイトでの活動を終えることができます。

 

 皆さん、ご自身の周囲、或いは、ご自身がかかわっている物事のすべてに

 

 「永遠」はありません。これは物事ではなく、人間関係も同じです。

 

 大切な家族、友人知人、自分も含めて誰がいつ、どうなるか知れないのがこの世の中です。

 

 ですから、私たちが生きるこの世は「憂き世」ともいいます。

 

 「憂き世」は憂きこと、つまり憂いー悩み事が多い世の中という意味です。

 

 だからこそ、いつ「そのとき」が来ても後悔のないように精一杯生きたいものです。

 

                                     合掌

 

                                                  恭恵(きょうえ)拝