秋のお彼岸に想うー儚く散った幼い命を救済する水子地蔵様。その前で亡くなっていたヘビの赤ちゃん | 普門院だより~アメブロ版~

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またしてもご無沙汰しております中に、季節が一つうつろいました。

 

 まだ日中は暑さが残るものの、朝夕はぐんと涼しくなり、秋の気配を濃く感じる季節となりました。

 

 皆様、その後、お変わりございませんでしょうか?

 

 亀更新の当ブログですが、お寺のブログということもあり、折々の節目にはできるだけ更新したいと

 

 考えております。

 

 秋のお彼岸に入り、できれば、お中日に更新したかったのですが、多忙につき

 

 叶いませんでした。

 

 さて、当寺の境内には水子お地蔵様がおられます。

 

 私の祖父の代に安置したお像になります。

 

 たまに幼いお子様を亡くされた方がひっそりとお詣りされるお姿を拝見したこともあります。

 

 子どもが親より先立つことを「逆縁」と申します。

 

 逆縁は最も親不孝なことであると昔から言われております。

 

 しかし、親不孝は親不孝であるとしても、本当に親より先立った子どもに非があるのかと問われれば、

 

 私個人は「そのようなものはない」と考えています。

 

 誰だって、人として生まれて幸せになりたいはずです。

 

 誰が好んで早世したいでしょうか?

 

 一番辛いのは子を亡くした親より、亡くなった子本人ではないでしょうか。

 

 私自身、末子を誕生前-妊娠中に亡くしておりますので、水子さんをお持ちの方のお気持ちは

 

 少しは理解できるつもりです。

 

 でも、やはり、子を亡くした親の辛さもさることながら、この世の光を見ることができなかった

 

 お子さんが一番辛いのではないかと思います。

 

 話が逸れてしまいました。

 

 今日は、その水子お地蔵様にまつわるお話です。

 

 個人的な話で恐縮ですが、末子の月命日には必ず水子お地蔵様にお詣りしています。

 

 子どもの好きそうな駄菓子を少しお供えして、お線香をあげて手を合わせます。

 

 秋のお彼岸は月命日とは関係ないのですが、お詣りしました。

 

 すると、お地蔵様の前のお供えものを置く台に何か妙なものがあるのに気づきました。

 

 ー何だろう?

 

 訝しく思い近づいてみると、ドキッとしました。

 

 小さな蛇の亡骸でした。

 

 サイズは極小で、一見するとミミズサイズなので、ミミズがと間違えそうですが、、、

 

 蛇はミミズとは頭の形がまったく違います。

 

 どう見ても、ミミズではなく蛇でした。

 

 抜け殻かなと思いかけましたが、明らかに抜け殻でもありません。

 

 小学生の頃、ガキ大将がペットショップで小さな蛇を買ったのを自慢げに見せびらかしていました。

 

 ごくごくミニサイズでも、それ以上大きくならない蛇もいるらしいですね。

 

 お地蔵様の前にあった亡骸が成獣なのか、幼獣なのかは不明です。

 

 ただ、私自身は幼い蛇だと認識しましたので、それ前提でお話しさせて頂きます。

 

 水子お地蔵様は、不幸にして、この世の光を見ることなく亡くなったー生まれる前のお子様、

 

 もしくは生まれることができても、まもなく亡くなったお子様を救済されるという仏様です。

 

 そんな赤ちゃんを救う仏様の前で、生まれたばかりの小さな蛇が亡くなっていたというのは

 

 偶然だとしても、何かの因縁というか不思議な巡り合わせを感じました。

 

 お地蔵様は深い慈悲のお心をお持ちですから、きっと、いとけない小さな生命は

 

 人であろうと蛇であろと、その衣の袖に縋ったものの手を振り払ったりはなさらないと思います。

 

 よく頑張って、ここまで来たね、今度生まれてくるときは人間に生まれて、

 

 もっと元気で長生きできるようになれると良いね。

 

 半ばミイラのようなになってしまった小さな蛇に心の中で話しかけました。

 

 秋らしくなったとはいえ、まだまだ蚊の多い季節です。

 

 最初はお供えものだけ置いて帰ろうかと考えていましたが、

 

 蛇の亡骸を見て気が変わりました。

 

 般若心経を一巻読経して小さな蛇の冥福を祈りました。

 

 私は僧侶でもなく、ただの一般人ですが、お経そのものに秘められたパワーというか

 

 功徳の力があるそうなので、少しは役に立てたたかなと感じております。

 

 

 その話を高齢の母にしますと、

 

 ー誰かが飼っていたペットが死んだので、可哀想だから連れてきたのかもしれない。

 

 と申します。

 

 私は即座に

 

 ーそれはないでしょ。

 

 と否定したのですが、よくよく考えたら、それも有り得る話です。

 

 もし飼い主が連れてきたのだとしたら、やはり、幼い蛇は水子お地蔵様の御許が

 

 ふさわしいと考えられたのでしょうか。

 

 早くに亡くなった嬰児を救うといわれる水子地蔵様、

 

 そこで死んでいるのが成獣であれば、可哀想には感じても、そこまで深く心を動かされることは

 

 なかったかもしれません。

 

 しかし、人間であれば赤ちゃんといえる歳の幼い蛇が水地蔵様の前で

 

 亡くなっているのを見た時、なんともいえない心を揺さぶられたような気が致しました。

 

 生きとし生けるものは、人であれ何であれ、何らかの理由があって

 

 この世に誕生してきます。

 

 どうか、儚い生命であった子どもたちが次の世では

 

 健やかに幸せに天寿をまっとうできますように。

 

 心から願わずにはいられません。

 

                             合 掌