昨日昼過ぎから激しい風。

 

私の寝床は今3.7畳のコンサバトリーに

ベッド持ち込んで寝てるので

 

ガラスの部屋だけあって、


風が轟々音がすごかった。

 

つまり外の花粉もすごいだろうかと。

 

 

生きる気力が・・・

 



 

数日前、内田樹氏の言葉を読んだ。

 

「人に親切にすると自分の方にもパワーが

生まれる」というのって


経験的にはたしかです。

 

プラグマティックに考えても「人に親切にする」ことはいいことばかりなんです。

 

でも、いまは「人に意地悪をして、相手のパワーが減殺する」のを見て「勝った」と

思って喜ぶという人がずいぶん増えました。

 

たしかに相手のパワーが減殺するから、

相対的には優位に立てますけれど、


自分自身のパワーは少しも増えてないんです。

 

 

「相対的な勝ち負けにこだわってはいけない」というのは多田先生の

たいせつな教えです。

 

たいせつなのは、集団的な、さらに言えば類的なパフォーマンスを向上させることです。

 

そのためには「ひとに親切にする」のが最も

効率的だと僕は思います。

 

 

 

そうですよネ。

 

ずっと同じ事思ってます。

 

 

自分でどうにもできない事ばかりだけど

 

綺麗事だって言い放つ人もいるけど

 

目の前で起きてるトラブルや



せめて


やれることがある距離感で

最低限のことも手を出せず

 

綺麗事って冷笑する感覚が

もうわからん、、、

 

 

特に攻撃型の意味不明な自分の都合と


自分にとって気持ちがいいだけの

理論展開して

 

 

自分の仲間内だけなら気持ちいいだけの話とか

 

わけわからんって呆れて離れたら勝った!

 

あってるから何も言い返さないっ!って


そういう方、

 

 

あとそうだよねって巻き込み誘導型

 

 

話す時間と価値を見出して貰えなくなって

 

距離取られただけなんですよね。

 

 

 

きっと私も

突然縁遠くなった方には

 

そういう感じで思われたんでしょう。

 

 

目の前で起きる事でできること。

 

 

最近だと昨日か。

 

例えば駐輪場で自転車が出せずに困ってる人を

手伝うとか

 

 

ふつーに手を出せる。

 

おばちゃんになったからでしょうか。

 

 

そう思うといい事ですね。

 

年取るほど自由になれるのかも!

 

 

 

1日1〜2回位

 

人に手を貸せるタイミングがあるんですけど

 

 

夫の方に

 

 

これからはもっともっと高齢化するから

 

 

困ってる人が多いのが

 

普通の世の中になるよって。

 

 

若い頃は

 

自分が誰かに少しでも何かできれば

 

周り回って息子のような子達に

回ってくるのではって思ってたけど

 

 

最近はそういうことも考えなくなりました。笑

 

 

やれるからやる。

 

 

 

話は変わって娘が昨日

 

image

 

買ってきてくれて

 

何故だ。

 

 

 

あと、私が欲しがってたパンの耳二袋!

一袋54円。

 

image

 

 

ここのサンドウィッチ用のパンの耳が凄く好きで

 

カリカリに焼いてブルーチーズつけて食べるんですけど

 

 

パンの耳だけ流石にちょっと買えないから

 

いつも他のものを買ったときに

ついでに1袋手に入れる。

 

 

それであんまり売ってないんですよ。

 

通りがかりに見つけて

娘がゲットしてきました。

 

 

 

若者はパンの耳だけ買えるのか。

 

強い。

 

 

この方もナイフみたいに尖ってたのに

 

最近だいぶ親切。

 

 

 

余裕がないと人って

 

柔らかさを失って

親切もできないのかなとも思った。