出張&結団式 | ランニングとフライトシミュと・・・♌スフィンクスのホロスコープ☄

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星好きな市民ランナー 兼 バーチャル・パイロットの日記、フィクション、タワゴト、ちょこっとボランティア

ブログへのご訪問、
誠にありがとうございます。

この、秋の三連休の最初の
2日間は、熊本出張で
潰れてしまいました。

しかし、十数年ぶりの熊本
なので、楽しみにはしていました。

初日の7日

お昼前にJR新水前寺駅に
着いたので、駅前にある、
昔ながらの食堂
「コーエイ」でカツカレーを
食べて“喝”を入れました。


(フォークを突き刺してみっともないですが・・・・)


そして、
水前寺公園(水前寺成趣園)
を散策。




桃山式の回遊式庭園で、
江戸時代(1632年)、
肥後細川家・初代忠利公が
御茶屋を建てたのが始まりで、

その後、三代目・網利公が
庭園を完成。

中国の詩人
陶淵明の詩に由来して「成趣園」
と呼ばれるようになったとのことです。

出水(いずみ)神社


明治10年西南の役で、熊本の
城下は焼野ヶ原となりました。

旧藩主を敬い慕っていた旧藩士た
ちは、
藩主の御霊を祀り御恩に報い、

細川家に関係の深い
この水前寺成趣園の地を選び
社殿を創建、
細川藤孝公ほか3柱を斎鎮した
とのこと。

その後、
第2次世界大戦により
社殿は殆ど焼失。

昭和45年に至り御神殿の再建の
気運が高まり、
昭和48年に
現在の社殿が完成しました。


初日の用務が終わって、
路面電車が超満員だったので、
40分以上歩いてホテルへ。

ヘトヘトになったので、コンビニで
「炭火焼き牛カルビ弁当」
   &
「新潟県産舞茸とチーズのパン」
を買ってきて、
金麦で一人で乾杯!


 

(テレビ近すぎ!)


”キャッスル・ビュー”のホテル
とネットで紹介されていましたが、

私が泊まった部屋からは
残念ながら、熊本城は見えず、

”カベ(隣のビルの壁)・ビュー”

でしたニヤニヤ


2日目の8日

昼の休憩時間は、
朝コンビニで買っていた、



”タルタルフィッシュバーガー”
と”コロッケパン”で
サクサクっと昼食を済ませて
外へ。
 

雨の熊本城


慶長12(1607)年、
茶臼山と呼ばれた台地に
加藤清正が当時の最先端技術と
労力を投じて、
名城・熊本城を完成させました。

忍者も登れない「武者返し」

熊本城の
石垣は熊本城の特徴のひとつです。
下はゆるやかで、
簡単に登れるように見えますが、
上に向えば向かうほど反り返りが
激しくなり、
登ることができません。
武士はもちろん、
身軽な忍者でさえも、登れないことから
「武者返し」と呼ばれています。



以後、熊本城は400年に亘り、

細川忠利、宮本武蔵、谷干城など
歴史ドラマの主人公たちが
繰り広げます。


平成28年熊本地震で被災
しましたが、天守閣は
震災復興のシンボルとして最優先で
復旧作業が進められ、
令和3 (2021) 年3月に
完全復旧しました。


今回は、あいにくの雨と、
時間もなかったため、
城内に入りませんでしたが、

新たな天守閣は最新技術による
耐震補強やバリアフリーが
取り入れられるとともに、
展示内容や内装も全面リニューアル
され、より安全になったとのことです。



加藤清正公の像



熊本城を築城した加藤清正
が肥後に入ったのは、
27歳の時でした。
尾張(現在の愛知県西部)出身で、
豊臣秀吉とは、
双方の母親がいとこ同士だったという説
があるそうです。

肥後に入った後の清正は、
治山治水工事や、
水田の開発などに力を入れ、

現在でも現役で利用されているもの
もあるそうです。
また、南蛮貿易に取り組むなど、
領地経営を積極的に行うことで、
肥後は豊かになりました。



まだまだ、改修・再建途中の箇所
があります。


帰りは、
またコンビニで
”竜田揚げ弁当”と
”メロンミックスジュース”
を買い込み、17:43発の列車へ。

この時刻では、
大分へは普通列車しかなく、
しかも、3回乗り換えが必要です。

1回目の乗り換え後に
席がすいたので、夕食に
ありつけました。



自宅に着いたのは、
21:35でした。

雨が降ってたいへんでしたが、
よく歩いて、いい運動になりました。

そして、用務だけではなく、

自然とその土地の歴史・文化を
勉強する良い機会となりました。


そして、
本日、
連休最終日の夜。

町内駅伝の、我がチームの結団式
があり、

無事、選手・スタッフ名簿が完成し、
駅伝当日の集合時間や係員の配置、
そして打ち上げの場所、時刻まで、
全て決定しました!

なかなか、充実した三連休と
なりました。


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