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テーマ:暮らしを楽しむ(390364)
カテゴリ:本に親しむ
著者に関心を持ったのは、以前日経夕刊の記事を読んでから
昨秋にスペイン大使館で行われた講演会に参加して、その時にこの本を近々発行することを聞き、今月、書店で購入した。 ここには2度目の四国巡礼について時系列的に記されている。 歩けば数々のドラマが生まれ、真理に出会えるようだ。 まずは以下、目次 プロローグ――歩かざるを得ない生 1 遍路というトポス ―――一度目は父のため、二度目は母のために。百八札所を巡る1600キロの遍路道 2 人生というつづれ織り ―――「九月の四国は連日の酷暑、「遍路ころがし」 焼山寺を前に膝や腰に痛みがはしる 3 歩き遍路が抱えているもの ―――それぞれの想いを胸に、歩き遍路はただ歩く。そこに予期せぬアクシデントが 4 光明は苦海にしか差さない ―――土砂降りの雨、前日のケガ、眞念道。数知れない巡礼者たちの悲しみとともに 5 因があって、縁が生まれる ―――引きずるものあれば背負うものあり、並び立つ句碑に浮かぶ若き人の読経の声 6 身体を軸にして見、考えること ――「発心の阿波」から「修行の土佐」へ。気づけば現れる小さな蜘蛛と夢枕の父 7カイロスと呼べる自分だけの時間 ――山頭火が記したゴロゴロ浜、思い出される名月十句、口に飛び込む明けの明星 8 あらゆるものに声なき声』 ――「春野町秋山」この地名から連想するのは、父と自身の第一句集の頃のこと 9 口実ではない、発心を探し求めて ――何のために歩むのか。老いも若きも外国人も、『サン・テーレ』が集う遍路宿 10 「ありがとう」が湧き出すとき ―――手許に戻った金剛杖カバー、農家民宿でもらった蜂蜜、道案内してくれた野宿の遍路 11 遍路とは「辺地」をゆくこと ――足摺岬で旅の行程は約半分、「姉妹のような」友との久々の再会に話が弾んで 12 歩き、無になり、仏性を感じる ―――「ただの極道や」とその人は言った。眠れぬ夜、父の遺影にどぶろくを供えて 13 本道ではなく脇道を行くように ――――「修行の土佐」から「菩提の伊予」へ。近づく別れに『フレキシブル・デー』 14 「答えのない問い」を問い続ける ―――父母を詠んだ芭蕉の句、テレビでは「父を想う日」、「二つの時計」を持つこと 15 「辛い」は観念、「痛い」は身体性 ―――にわかな冷え込みと立ち込める霧。プラトン「洞窟の比喩」を思い起こすとき 16 「いま、ここから過去へ未来へ、遠い所へ ――――燃えるような紅葉、紺にオレンジのにじむ雲海、絶え間なく湧いてくる想念 17 自然や宇宙とつながる一瞬のために ――――「恩送り」の道標や先人の句碑を傍らに、風のように去りゆく白衣の一団が 18 「空」あるいは「虚空」を生きるひと ――――般若心経の世界観、山頭火の苦悩、見知らぬ人から伝わる「生」のエネルギー 19 眼で眺めるのは世の表層、心眼で見るのが真実 ―――六年前にあった人の姿はすでになく、季節は移り、辺りは突然白一色の世界に 20 一輪のすみれに霊性を感受するとき ―――山々を風が吹き渡る『山鳴り”の音、ふと気づけばまた道迷い、ふたたび転倒 21 今日も遍路は同行二人 ―――「菩提の伊予」から「涅槃の讃岐」へ。満濃池、財田川、十数年前と同じ涙 22 悲しみと共に生きるとは ―――「笑まふ」その時、取れた心のバリア。そしてお大師様からの「ありがとう」 23 すべては「計らい」のなかに ―――ときに迷い、転び、それでも歩み続ける「人生即遍路」。結願までの同行二人 エピローグ――「歩行する哲学」と空海の宇宙 以下、本文から“”部、抜粋引用 “「日本人の多くが未来のことを心配し過ぎている気がするの。今日の昼食のこと、先々 の宿の予約のこと、老後のことと、心配ばかりしている。もっと“いま”を生きないと。 この鳥の声! こんなに素晴らしいのに、なぜみんな急いで歩くの?」 多くの日本人にとっては、札所つまり“点”が目的なのだ。なかには“点”が宿になっている人もいる。札所はもちろん大事だが、点と点の“間”にこそむしろ遍路の本質はある。 札所と札所の間の“辺地”こそが“遍路”だ。遍満する仏の意思を感受するには、辺地の自然のなかを歩き回らなければならない。そう、鳥の声にも、花にも、星の輝きにも、小さな蜘蛛にも、仏の意思や宇宙の真理が顕れているのに。多くの人がその"サイン"を見逃している。“ “歩いているこの途上こそ、いや「歩く」という行為こそが即「生きる」ことであり、すべての根本ではないか。歩いているとそのことが身体でわかる。普段より遥かにさまざまなことを感じるようになるのだ。出会い、考え、人生を紡ぐ。身体を根っこにした思考こそが、生き物としての人間本来のものであり、それをもっと信頼すべきではないか。“頭も含めた身体」で考え、生きるということだ。” “本文にも書いたが、歩きつづけているとそれまで私を覆っていたバリアが消え、周囲と自分に「境界」がなくなっていく。 境界とは、自己と他者、人と自然、この世とあの世、生者と死者、内と外、現在・過去・未来などだ。自然の中では、木々や草花、鳥、虫、生き物が命の波動を交わしているが、境界が消えると、他の命と自分の命が共鳴し、同期していくのがわかる。見えない世界ともだ。生者と死者との間に見えない「縁」が縦横無尽に繋がり、その中で生かされているということを、一つ一つの体験を通じて実感した。同時に「自分」というフレームが消えるとマインドセットが変わり、それまでの自分とは違う思考が表出する。“ ----------------------------------------------- ここに歩くこと、もっと大胆にいえば生きることの真髄が示されているように思える。宇宙が素粒子でできていて、人間はそのほんのささやかな一部であるに過ぎない。 これは普段、街中で生活するときは、ともすれば忘れてしまうことであり、、、 著者はしばらくそんな日常生活を続けていると、また歩きたくなってしまうという。 歩くという、人間にとって基本である身体性は常に持っていなければいけないな。 もちろん仏性も備えながら、、、 この身体性については内田樹氏も触れていたように思う。 西行や芭蕉などの固有名詞はほとんど出てこないが、そんな故人にも思いが及んでしまう。 当然ながら、9年前にツアーで行った八十八個所巡りなど足元にも及ばない😢。 定年後の読書の旅 更新中! サイクルを回して過ごす日々 ![]() ![]() クリック↓でいろいろな写真が見られます ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 日々の出来事ランキング ![]() 暮らしを楽しむ youtube ![]() ![]() -------------------------------------------------------------------- 習志野の風景 写真集 -------------------------------------------------------------------- ワンストップ習志野 -------------------------------------------------------------------- 習志野ぶらり -------------------------------------------------------------------- 習志野ぶっくさろん -------------------------------------------------------------------- 習志野わくわくMAP -------------------------------------------------------------------- 「習志野防災かるた」が完成 -------------------------------------------------------------------- わくわく習志野(ツイッター) -------------------------------------------------------------------- 足で拾ったビジュアル習志野情報 -------------------------------------------------------------------- 習志野の民話が形(本)になりました -------------------------------------------------------------------- アクティブシニアネットワーク・習志野 -------------------------------------------------------------------- アクティブシニア市民講座(習志野) -------------------------------------------------------------------- 和太鼓 そでっ鼓連 -------------------------------------------------------------------- 夢こむさ習志野 -------------------------------------------------------------------- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年01月31日 04時12分48秒
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