瓦礫の中からの夜明け | これでいいのだ

瓦礫の中からの夜明け

それはStar Wars: Episode VII The Force Awakensからはじまった

過去作の意味を改編する作業   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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スター・ウォーズ/エピソード9を新宿のバトル9でさっそく観てきましたよ。いやあ映画ってほんとにいいものですね。そんなふうにいえた時代がほんとに古き善き時代になりました。現在の活劇映画の企画というのはおもに70年代までに公開された作品かあるいは既存キャラクターの企画が多いのですかね。続編ばやりですね。良しあしは別として過去のキャラを使用する企画ばかりが目につきます。ディズニー制作のスター・ウォーズ新シリーズもそんな流れの作品になるでしょうか。しかしことこのシリーズに関して云えば興行成績を競う通常の映画とはちがっております。信じがたいことに過去シリーズをおとしめることを目的に製作されているという異色の企画になっております。うそのようなほんとうのお話です。
エピソード7ではもっとも人気のあったハン・ソロや主人公だったルークの扱いに問題がありました。基本プロットはエピソード4のほぼ焼き直しの物語。見ための華やかさに隠される形で物語の価値が意図的に下げられておりました。ディープなファンはかつての楽しいスター・ウォーズが帰ってきたと喜んだ反面なんとなく違和感を感じたのではないでしょうか。

 

名作をうみだしてはいるけれども

解体のための巧妙な伏線企画  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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エピソード7のあとにスピンオフ作品としてスター・ウォーズ/ローグ・ワンをディズニーは製作しております。エピ4に登場したデス・スターの弱点を秘密裏に仕込んだ設計図データを命を賭して手に入れる反乱者たちの勇気ある物語です。そのかれらは反乱軍の中でもさらに汚れ仕事担当の異端児たちでした。それだからこそ自らに問いかけ、アイデンティティと使命とを見出しそれに応える行動に命を賭けた。そんな胸があつくなる映画になりました。彼らの行動に命をかけるだけの動機があることを映画はきちんと描いてみせたのです。自分ひとりの利益のためではなく全体の利益に貢献する。ジェダイはでてきませんがそういうフォースの概念に気配りしたスター・ウォーズらしい物語になりました。冒頭は眠かったのですがこのいっけん地味な展開の物語が予想をはるかにこえる感動を与えてくれる作品となりました。しかもこの作品に登場するダース・ベイダーはこれまでのどの作品よりもかっこよく力強く、この作品においてダース・ベイダーは初めて世界最高峰のビランとしての魅力を放ったんだとそこまで思うほど素晴らしかった。この作品単独でみればディズニーはすばらしい作品を世におくりだしくれました。

 

やってしまったStar Wars : Episode Ⅷ The Last Jedi

すべてをなかったことにする禁じ手とは  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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敵の究極兵器には弱点がありそれを知りそこを責めれば劣勢でも勝機がある。それがこれまでの物語上のお約束になっていたはずです。そこに犠牲的精神もあったからクライマックスの決戦場面も盛り上がる。だからこそローグワンの英雄たちの物語も感動がありました。ところがエピソード8においてホルドという司令官が仲間を守り助けるために敵艦に宇宙艇をワープ(=ハイパー航法)特攻するという場面がつくられました。それ自体は感動を誘う英雄的行為なのですが、これによってそれまでの反乱軍の勇気と犠牲の英雄的行動は意味のないものとして葬り去られることになってしまいました。

デス・スターの設計図は必要ないということになります。小型機でもハイパー航法できる技術は以前からある世界ですから、無人の小型機を自動操縦にして敵兵機の中枢部・原子炉を目標にして飛ばせば破壊できるからです。逆にいうとなんで今までそれをしないで多大な犠牲をだしてきたのかということになります。これからはそういう有効な戦法があるのにそれをしないとしたら不自然です。敵も味方もそれをやればいいので宇宙船の決戦場面を描く物語がもう成立しなくなったのです。最大の問題はそのシーンが意図的に入れられているということです。プロの現場でそんな初歩的な(=暗黙の了解)ことをだれも気づかないはずはなく意図的に入れるしかそこにあることが考えられません。こうしてエピソード8でシリーズにおいて致命的な解体作業はなされておりあとはのこりのレジェンドとエピソードの存在意義をおとしめる仕上げ作業を残すのみとなっていました。

 

神話映画解体作業完了  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け観賞記   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
たしかにサービス満載でテンポもよく馴染みの素材のあれこれがつかわれた豪華なディナーでした。しかし調理法に難ありです。素材の旨みが生かされてないばかりではなく意図的に別の味にされている違和感をかんじながらの食事になるからです。過去作のリフレインもよいものです。そこにリスペクトがありまた掘り下げられ新たな解釈がそこにあるのならば。しかし今作でも過去作のテーマにかかわる重要なシークエンスが改変されて描かれておりました。公開中の映画なため具体的にはいっさいふれられないのが残念です。前作の映画解体作業があからさますぎたため不評になり予定されていた監督がかわって製作された最新作でありシリーズ最終章になる映画です。基本的にはエピ7や8と同じでレジェンドキャラたちはあの人もこの人もとくにまたあの人が、そしてドロイドさんたちまでもがさりげなく貶められておりました。またなぜにそこにいらっしゃるのか?なぜそうする必要があるのか、なぜそうなっているのか、いつのまにそうなっていたのか?説明がないため観客が想像するしかありません。説明をはぐらかすことによってキャラクターやエピソードの物語上のリアリティもうすれてしまいます。さらにそこにパワーのインフレーションがあればあるほど空しい気分にさせられます。それをご都合主義といいます。よくできた作品ではキャラクターとエピソードとテーマの関連が有機的にリンクしていて納得できるバランスがあるものです。過去と同じセリフ・過去と同じシーンがモチーフとして度々登場しますが重要なものほどその意味が低められている印象です。シスとジェダイの決着の付け方もエピ6でのルークの映画史上特別な選択をなかったことにするかのような残念なシチュエーションになってしまったようです。見た目はすごく派手にできているのでこれを由とする観客も多いかもしれませんが。そして暗黒卿のダークパワーには腰をぬかします。単純にすごいです。シスへの転向希望者が殺到するかもしれません。ダークサイドの誘惑とライトサイドを選択する至福の意味を考えさせてくれる深遠な物語から手が込んでいてパワフルではあるけれどもふつうの冒険物語に格下げされてしまったという感じがとてもしました。

エピ9はクリーチャー造形に愛情があり凝っていてエピソードもエピ7に散りばめられたものが多く登場するのでレイがフォースの達人になっていることをのぞけば8をなかったことにして、7の続きのように違和感なく観られます。ただエピ8の監督のほうが人物の内面描写だったり戦闘シーンでも印象的でメリハリのある見せ方をしています。7と9はすごいことをやっているけれどもそこに何が描かれているかよくわからない。よく見えないのはないのと一緒なのです。色彩設定がひじょうにクールでダークです。平たくいうと暗すぎます。前作エピ8のライアン監督が製作会社に重宝されるのもわかります。あらためてすごい才能だと思いました。
平均点以上は稼いでいる映画ではありますね。前作のハイパー特攻にあえてふれていてそして軽くスルーする場面もいれてます。当然でしょうね。そしてあいかわらずの8と同じ別の禁じ手もつかっておりました。スター・ウォーズのパッケージでくるまれてはおりますが過去のものとは本質的にちがうのです。

第一作になるエピソード4は観るカットのほとんどすべてがはじめて観るおどろきのビジュアルの連続体でした。さらにそこにフォースとはなんだ?という謎がありました。それは神話という宇宙の智恵の扉をひらく鍵でもありました。そして最新のテクノロジーのかたまりのような映画なのに人間賛歌がそこにありました。物語にも映画製作そのものにも。そして新作のたびに新しいビジュアルとキャラクターが投入され新技術が更新される革命と挑戦の場でもありました。新シリーズではそういったほぼすべてが失われてしまい過去をリフレインするイベント映画になっています。それがわるいのではなくてキャラやエピソードの意味の劣化的改編が行われてしまったのが問題なのです。

 

ファミリーネーム不在の意味するもの
それでもフォースの魂は不滅   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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しかし同時にこれまたエピ8と同様なのですが、とてもうつくしくやさしい眼差しにあふれている映画でもありました。とてもおおきな愛情につつまれて製作された映画であることは間違いありません。物語が語っていることだけに注目すればとてもあたたかな映画になっていると思います。主人公レイについては宿命をどう受けとめ使命に目覚めていくのかそこに大切なメッセージがこめられ映画全体のテーマに結ばれました。カイロ・レンことベン・ソロが闇と光に葛藤している運命からやるべきことに目覚めていく展開も今回とてもよかったところでした。親子の愛情が通い合う心あたたまる場面がはじめて盛り込まれベン・ソロについてはすばらしい結末が描かれました。

 

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金曜日の初日、会場は若干の空席をのこす状態でした。8時30分の回ではエンディングのあとまばらな拍手がおこりました。エピソード6の時は会場が賞賛の拍手で包まれたことをなつかしく思い出します。11時25分の回では拍手はなく、そうそうに立ち去る人も多かった。世界中で多くのひとがこの映画シリーズを心のふるさと・心の拠りどころにしているのです。現実に。それを構造的に破壊・解体してしまいましたね。瓦礫にされてしまいました。残ったのは劇中のベイダーのマスクのような哀しい残骸です。あれはそういう象徴的だったのですね。かつてスター・ウォーズは公開までカウントダウンされるほどの社会現象を巻き起こす映画シリーズでした(過去形)。それがなにか平凡な映画に成り下がってしまった。けしてよくない映画ではありません。語っていることに関してだけでいえば。レイもベンもこめられた設定はわるくありません。実際によい着地をしました。

でももしファンのだれかがエピソード9の予告編からわかっているだけの題材と過去に未消化の設定をつかって新シリーズを最初から構成するとしても今の7や8のようにはしないですよ。もっと面白く納得できるものをつくれると思います。でもスター・ウォーズはもうその役目をとうに終えているということなのかもしれません。エピソード6のルークの選択以降のシスとジェダイの在りかたを深めていくとおそらく戦いを否定するしかなく、それを主人公が担うとすると冒険活劇が成立しなくなるのかもしれませんから。新シリーズの主人公たちはとても素晴らしいメッセージをたくされました。最終作で全9作をつうじての大切なものをファンに届けてくれています。それは現実の闇と光とにおいてもですが。制作者たちがベストを尽くしたという思いは伝わりました。そして映画をのっとりこわすことは出来ても、人のこころの中にあるものまでは壊せないのですよ。いつの日かこの瓦礫の中から新たなる希望・新たなる夜明けがあらわれることがあるかもしれない。それをたのしみに信じてまちたいと思います。

 

 

 

このシーンこそ背後にいるクライアントが新シリーズでやらせたことなの象徴なのです