たかが映画されどスター・ウォーズ | これでいいのだ

たかが映画されどスター・ウォーズ

 

戦争はおわったのか?

旧作のラストシーンの意味  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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新シリーズの良いところは旧シリーズを実によく研究しているということです。2作目からシリーズ化することになったスター・ウォーズはストーリーが再編成されダース・ベイダーとルークが関連づけられます。物語の定型のひとつである父親殺しのストーリーとなりました。主人公は父をころすことによってのりこえ成長するというイニシエーションのことです。EP6でルークはベイダーという悪の父を倒しアナキンという善の父をとりもどしました。その大団円は父親殺しの見事な変形でした。どうじにそれはテクノロジーと管理社会の牢獄からの解放でもありました。ベイダーの仮面はそれを象徴していました。とても見事な人間賛歌がそこにあったのです。ジョージ・ルーカスの見識と最大の功績は希代の悪役ダース・ベイダーにアナキンという葛藤する人間性をもたせたことです。スター・ウォーズが世代や国境をこえていつまでもあたたかな故郷のように感じるもっともおおきな要因はそこにあるのだと思われます。闇と光の葛藤は古今東西人類共通のテーマだからです。

悪に対し暴力を用いずに解決する。フォースにバランスをもたらすラストに観客は惜しみない拍手をおくったはずです。当初9部作といっていたものを6部作でやめていたのは、もうそれ以上のフォースのテーマを活劇としてつむぐ必要がなかったのもおおきな要因ではないでしょうか。

EP6以降の物語をつむぐとしたならば、はじめに考えなければならないことがあります。フォースのさらなら深化をどうするのかです。設定もストーリーはあくまでそれにそって組み立てるべきです。

EP4ではじめて語られたフォースの概念は生命の根源のエネルギーでありジェダイやシスだけが扱う超能力のことではありませんでした。生命はフォースによって結びつけられフォースによって万物がいかされていると説明されておりました。しかし旧作ではフォース感応力のつよい血統の親子が悪をたおしたという勧善懲悪な構図です。冒険活劇であればいたしかたない設定でした。

フォースにバランスをもたらすものと預言されていたアナキンとその息子のルークの英雄的行為によって悪は駆逐された。けれども銀河に本当に平和がもたらされるためには、名もないひとりひとりがフォースに目覚めなければならないはずなのです。なぜならひとりひとりの心の闇から悪はいくらでも生まれてくるからです。そのさきの物語をつくるならそこに鉱脈があります。実際、新シリーズはそこによく応えた設定になっております。

 

名もなき人々の物語  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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新シリーズで主人公と旅をする仲間のフィンは名を与えられていない逃亡兵です。番号で呼ばれておりました。例外をのぞいてこれまでライトセーバーを使うのはジェダイかシスだけでしたが、フィンに光剣をにぎらせる場面がつくられました。さらにEP8ではやはり名もなき整備士が仲間に加わりました。そして無力なはずの奴隷少年がさりげなくフォースをあやつるシーンをわざわざラストシーンでみせています。そして主人公のレイの親はスカイウォーカー家とは関係がないと明言されておりました。旧シリーズの延長線上のフォースサラブレッドの物語ではないということが随所でさりげなく盛り込まれている。物語的にいえばアナキンとルークによってもたらされた功績とバランスで名もないひとたちにフォースの感応の道が開いたのかもしれませんね。潜在意識はつながっておりますから。フォースの覚醒というタイトルは主人公のレイだけでなく、名もないひとたちにも覚醒がはじまるという意味なのかもしれません。

新シリーズの製作者たちはフォースの物語をどうすすめたらよいのかきちんと理解していると思われます。フォースの物語の土台になっているのが比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルの著書であり、プロのシナリオライターの世界ではキャンベルが教科書になっておりますからプロなら当然なことでしょう。

それだけ理解しているだろう製作者が新シリーズにおいて旧作の主人公たちをひとりづつ劇中でおとしめつつころしていることに

違和感を感じおおきな疑問符がつくわけです。背後にクライアントがいるからそうなっているのでしょう。EP8ではわざわざメッセンジャーを登場させ、関わるな気楽にいきろと語らせております。

さてそしてクライアントからの要求の総仕上げとして製作者がどのような結末を用意したか?たいへん興味ぶかくみました。喧噪のなかに静かに訪れた魂の解放のラストシーンは、善の勝利を謳歌するダイナミックなラストになっておりました。なにかがすり替えられたような気がとてもしました。それでいて全体としてはよいエンディングでもありますので本当に絶妙でした。

 

静かな名曲「Happy Xmas (War Is Over)」をうたったジョン・レノンは「世界は偏執狂者によって支配されている」という意味のことを生前かたっておりました。当時はなんのことなのかわかりませんでした。様々な有名人。ケネディ大統領もジョンもマイケル・ジャクソンもそしてキャリー・フィッシャーもわたしにとっては不可解ななくなり方をしております。「Star Wars」と名付けられた映画の結末はたたかいをこえて、それを終えることを願いとしたラストシーンを描いていたのですけれども、クライアントとしては気にいらないのでしょう。

 

それでもおいしい

新シリーズのゆがんだ楽しみかた  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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EP7をはじめてみたときルークとレイアをひとりにしたような主人公のレイは本当にすばらしいと思いました。それと現場でも劇中のように稼働するBB8も大好きになりました。けれどもあたらしい要素がほかになにもないビジュアルに心底がっかりしたのもたしかです。超巨大兵器の登場とその破壊と大団円。それはEP4でやったことの単純なくりかえしてしかなく、宇宙船の逃走劇とフォースの修行で展開するEP8もEP5の展開と同じことでした。ヨーダであるとかイウォークであるとかそのエピソードを象徴する印象的なキャラクターの登場もないと。新シリーズを超古代か近未来に設定したものがみたかったというのもありますが、それでもやっぱり新シリーズはつくってよかったと思います。オリジナルキャストの面々がぎりぎりのタイミングで映画に登場できましたから。それがどんな姿で描かれているにしても。そしてCGの進化はまちがいなくあり、そういう見方をしますとEP8の宇宙船は個性的で単純に好きですね。それとジョン・ウィリアムズの音楽だけはいつもうらぎることはありません。またどんなに設定がひどくても登場人物に罪はありません。演者は例外なくすばらしい演技をしていますので、気にいらないところは脳内補完して別の物語を想像しながらみると楽しめます。(こんなゆがんだファンにだれがした。)さらにクライアントが映画のなかでさりげなくメッセージしているところがありますので、そんな箇所をさがすのも楽しみかもしれません。

レイとベン・ソロは旧作を研究して生み出されたすばらしいキャラクターです。ベンはEP7・EP8とさえない青年でしたがEP9において覚醒します。使命に目覚めた人間はうつくしい。旧作のキャラとテーマは足蹴にしている新シリーズですが主人公たちはすばらしいメッセージを発信しておりました。(同時にそこにはいじわるい仕掛けがありますが)

なにはともあれ。こうして今年のクリスマスはスター・ウォーズの新作をみて語ることができました。わたしにとっては他になにもいらないクリスマスでもあります。クリスマスありがとう。そして皆さまにメリークリスマス!

 

 

追記:12月26日深夜

破壊とイデアの黙示録  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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EP9の吹き替え版を追加でみて、うちでEP8をくり返しみていてつくづく思う。じつにおしい。これだけの優秀なスタッフなのだからきちんとつくれば少なくとも旧作にならぶ傑作がうまれていたものを。いやもしかしたら旧作をこえる物語がみられたかもしれない。

EP9をみるとEP8の確信犯的作業がより浮き彫りになってくる。まず冒頭ルークはライトセーバーをほうり投げる。これはEP6でルークがしたことのあからさまな否定であり冒涜になっている。そしてEP9での行動と合わせてみるとまったく支離滅裂である。しかしルークとR2D2、ルークとレイアの再会シーンは胸があつくなる。マーク・ハミルのウィットにとんだそれでいて深い演技は絶品だ。それだけでも登場してくれた価値はある。EP8はそもそも構成からしておかしい。EP9につなげるべき伏線消化はほとんどなにもせず意味のない逃亡劇に時間を費やしているだけ。そしてラストシーンでやっとレイとポーの初対面のシーンをつくっている。当然これはもっとはやい段階で会わせておかないといけない。やるべきことをやっておけば次回まで俄然きたいがもりあがっていたものを。また何もかも心の動きがみえておると余裕をかました隙をつかれてあっけなく絶命するスノークはEP6の皇帝の姿を皮肉りつつ貶めている。そして今となっては最高にわらえるのがホルドのハイパードライブ特攻とライトセーバーがくだけるシーンをたたみかけてくるところだ。レイとカイロ・レンがフォースで空中のセーバーを奪い合う。それが破裂すると同時にホルドがやってはいけない特攻をやらかして大爆発。これ以上わかりやすいクライアントのメッセージもないだろう。なんでこのふたつのシーンを連続させる必要があるだろう。そこに意味がこめられているからだろう。ほんとうに恐れ入る。シリーズの輝かしい象徴であるセーバーの破壊と艦隊の大爆発のモンタージュ。どうだこれで終わらしてやったぞという感じだ。なにもかも朕(ちん)の思い描いている通りにすすんでおるという皇帝の高笑いがきこえてきそうではないか。ローズも動物好きの心やさしい娘なのに容姿もふくめて観客の反感をかうために設計されていて気のどくすぎる。でも名もなき整備兵に陽をあてるなんていい着眼点だ。しかしよりによってのあのラブシーン。ローズがこの映画の悪行を一身に背負わされている感じだけれども、フォースの導きにもっとも行動で応えているのがこのローズでもあるのです。世間ではゴミ映画といわれるEP8だが、シリーズ破壊のための仕掛けとより良きものを追求するイデアと両極をもつ興味深い映画でもある。人類の夜明けがいよいよ近くなった時代にこのシリーズも最も暗くそして葛藤している。シスの暗黒卿はみずからの悪行によって身を滅ぼす。

 

いつもいつも至福と共にありますように