ラムアート絵画クラブ、世界遺産、ヨーロッパ、田舎、街角、デッサン、スケッチ旅行。

今日の一枚、世界わがスケッチの旅は、イスタンブール

 

ここから前半分の記事を期間限定で掲載メモを掲示して、、、、、、。

トルコと日本の、

親日の始まり「エルトゥールル号遭難事件」


1890年(明治23年)に軍艦エルトゥールルが和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した遭難事件が親日の始まりと言われています。


▼事件の経過


日本からの帰途、強風にあおられたエルトゥール号は紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突し、機関部が浸水してしまい水蒸気爆発を起こします。そのとき600名もの人が海に投げ出されたそうです。
生存者は数十メートルの断崖を這い上り灯台守に遭難を知らせ助けを求めました。
通報を受けた大島村(現在の串本町)の住民は総出で救助と介抱に当ります。台風で大島村の住民も漁に出られずに蓄えが僅かだったのにもかかわらず、非常食や衣類を提供し献身的に救護を務めました。
この事件は死亡・行方不明者587名という大惨事でしたが、大島村の住民たちのおかげで69名の方が生還することができました。

 


これを聞いた明治天皇は大いに心を痛め可能な限りの援助を行うよう指示。新聞はニュースとして伝え多くの義捐金・弔慰金が寄せらました。
その中でも、特に義捐金に影響を与えたのが山田寅次郎という方がおられます。
彼は民間人でありながら『エルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金』を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年に集まった義捐金を携えて自らオスマン帝国のイスタンブルに渡りました。
熱烈な歓迎を受けた彼は皇帝アブデュルハミト2世に拝謁、そのときに皇帝からの要請でオスマン帝国に留まることを決意。
士官学校で少壮の士官に日本語や日本のことを教え、政府の高官のイスタンブル訪問を手引きするなど、日土国交が樹立されない中で官民の交流に尽力しました。
この士官学校には、後のトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマルもいたとされています。

 

これらの日本の無償の行動にオスマン帝国は大変感銘を受けたとされています。

 

イラン・イラク戦争時のトルコからの恩返し


イラン・イラク戦争中の1985年3月、大統領サダム・フセインは

「今から40時間後をタイムリミットとしてこれ以降終戦までの間イラン上空を飛ぶ航空機は軍用機であろうと民間航空機であろうといかなる国の機体であろうとすべて撃墜する」

という布告をしました。


世界各国は自国民を救出するために救援機を出し自国へと退避させましたが、日本政府だけ素早い決定ができなかったた為に216名の日本人が空港に取り残されてしまいました。
イラン大使館の大使は日頃から親交のあったトルコ大使館の大使に窮状を訴えます。トルコは即座にトルコ航空をイランに派遣し、タイムリミット僅かの1時間15分前にトルコ領空へ216名の日本人全てを退避させます。

 

このとき、日本大使はトルコ大使にこんなことを言われたそうです
「あの時の恩を返す時が来た」と。

 

以上です、もうすぐ抹消します。

 

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今日の一枚、世界わがスケッチの旅は、イスタンブールである。イスタンブールの観光名所は、新しい地区と旧市街地区などに分かれる。


 イスタンブールは世界遺産や博物館、ハマムやベリーダンスなど、見どころが多層に渡る魅力満載の町。


まことに、都市区域が広い、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の二大陸を該当区域とする、観光の場合は、何度も同じ道路を走りまわるような能率のわるいことをすると、時間ロスがはなはだしい。


再度の訪問では、自分好みの観光 ポイントを厳選して、旅の計画を立てねば誠に勿体無いと思った。


世界遺産! イスタンブール歴史地区は、最初にめざそう。

町全体が歴史地区として世界遺産登録なのである。


ビザンティン帝国とオスマントルコ帝国の二大帝国の首都としてその最盛期を経験したイスタンブール旧市街は、歴史地区としてユネスコの文化世界遺産に登録。
性格は、ビザンティンのキリスト文化とオスマントルコのイスラム文化両方を持つ。まず、トプカプ宮殿、当時のスルタンたちの豪華な部屋や調度品が一杯。
  1453年にビザンティン帝国の首都、コンスタンチノープルを手に入れ、世界の勢力地図を書き換えたオスマントルコ帝国のスルタン、メフメット2世。トプ カプ宮殿は、彼がそのコンスタンチノープルに作らせた宮殿で、370年もの長きにわたってオスマントルコ帝国の繁栄を支えてきた。ハレムのタイルの美し さ、宝物館にある86カラットのダイヤモンドやトプカプの短刀の輝き、バグダッドキョシュキュから見える海峡風景は、スケッチするのにもってこい。
さ て、イスタンブール・ボアズ(ボスポラス海峡)、ここでは、ボスポラス・クルーズ に乗ろう。この船旅は、海峡の沿岸には過去と現在、そして絢爛豪華さとシンプルな美しさとの素晴らしい対比が目につく。近代的なホテルたちと、大理石の宮 殿と飾り気のない石の砦が隣りあって並んでいるのが目につく、
海峡をくぐる鉄道も短時間だが記念にのってみるのも良い。


あまりにもたくさんの名所があって、とても行けない。

 


私の個人的興味のトルコ イスタンブール名所・史跡一覧
アヤソフィア、
トプカプ宮殿、
アヤソフィアの夜景、
イスタンブール考古学博物館、
イエレバタン・サライ(地下宮殿)、
スルタンアフメト・モスク、
アト・メイダヌ、
グランドバザール、
イスタンブール大学、
スレイマニエ・モスク、
スレイマニエ・モスクの北側庭園、
ヴァレンス水道橋、
カーリエ博物館、
金角湾の噴水、
ガラタ塔、
ルメリ・ヒサル、
ルメリ・ヒサル博物館

 

遊覧船からの景色スケッチです。

 


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