乳幼児の頃、順序数がわかるのは、生まれて8ヶ月くらいです。
その頃の子に、鈴を振ってみせます。
はじめ振った時は、「おや」っとというような、目の色を見せる。
2度目に振って見せると、何か遠いものを思い出しているような目の色をする。
3度目を振りますと、もはや意識して、あとは何度も振って聞かせよとせがまれる。
そういう教育という分野を、私が美術に幼児童教育で実践研究を
してきました。
一度め、2度目、3度目とまるっきり目の色が変化する。
この2度目に顕著に現れる、遠い昔を思い出すような目の色をする。
それが後の懐かしさというような情操に繋がっていく。
つまり、最も複雑で、高次の感情。
その中で、最も安定した形をとり、知的作用、価値を伴う。
美的、道徳的、知的、宗教的の4つに区分される。
そこで、、、、、つづく。
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さて、今日の世界わがスケッチの旅は、
このヘルモン山を油絵に拡大キャンバスで描いてみようとしています。
それで、少し構図を変えて、ヘルモン山と、丁度手前にガリラヤ湖は同じで、山上の垂訓教会を入れて、
合わせて見たように、一枚に描いてみようと考えています。
なかなか難しいので、完成まで少し構図を計算しています。
そこで、前の色紙の作品です。
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ヘルモン山遠望 世界わがスケッチの旅 イスラエル
マルコによる福音書1章14、15節 「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
この箇所で、考えると「悔い改める」って、自分が主としてなすことなので、誰でもできそうです。それで、簡単にやってできたって思うことも可能です。
でもね、本当の意味での悔い改めには至らないというのが、現実ではないでしょうか。聖書が、原文で言っている言葉を考えましょう。
ギリシャ語では、「メタノイヤ」。これって、悔いる、改めるという意味の表現用語では全くなくて、意味するところはメタ=変える、移す、超えるでなんか違うよね。ノイアというのは、見る位置、視座、どこから見てるのって意味だからね。
それは、上から目線なの、下から看たの、あるいは立場は?小さき者、弱き者、弱くされている者、世間からはみ出された者の立場からの、視座で見直しなさいって言葉表現なんですね。でもね、ノイアで、考えの内容って意味もあるので、神の言葉であるから、私達への指示での意味と理解すれば、考えを改め変えるとも言えます。また、イエスは、ギリシャ語では語らなかったんです。実際は、アラム語、ヘブル語の方が話されたと考えると、もとの言葉の意味で調べないとね、はっきりと言えるのは、悔い改めるとは、どうもおかしいのではと思えます。日本語で、翻訳を悔い改めると訳したのが、誤解のもとなのでは。
また、「福音を信じなさい」って言うのは、原語は、「ピステイス」(信じて行動を起こす)って意味あいなんですけどね、これは、信じるということと、行動するってことを同時にって意味なんですね。だから、どちらかが欠けるとだめで、「信じさえすれば、あとは神がやってくれる」のではない。行動を起こすことが付くと、「信仰」という言葉表現になるのです。
原文の言葉の意味を考えると、ずいぶん、神さまの道の高さ、神さまの思いは高いって思いますね。この「高い」って言葉も深そうですね。
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