毎度の「自称自民支持、けど維新に投票」の皆さまへ今回の記事はお届けしたい。
維新の会の橋下元代表や、浅田均・参議院議員など維新が最近靖国神社の分祀をすべきであると声高に訴えています。
浅田均・参議院議員
「憲法改正は靖国分祀が前提だ」
維新・参院選マニフェスト・9条議論の前提として国立追悼施設の整備…
— news北東西南 (@news_ewsn) June 28, 2019
浅田均議員「PKO活動などで危険な場所に行き、日本を守るために働いて命を落とした方々をお送りする場所、どんな人でもお参りできる施設が今の日本には無い。9条を改正する前段として追悼施設の整備が必要」 pic.twitter.com/na080O34I2
これは自民党、および安倍総理の見解とは違う考え方です。
自民党は明確に、別の追悼施設を新たに作る考え方には否定的です。
安倍首相、靖国神社とは別の追悼施設を改めて否定: 安倍晋三首相は6日夜、都内の料理店で俳優の津川雅彦氏らと会食し、靖国神社とは別の追悼施設の建設に否定的な考えを改めて示した。 http://t.co/Ba1YWAwezB
— 自民党 (@jiminto_jp) January 6, 2014
この浅田参議院の維新マニフェストへの考え方に対し反対の声があがりますが
これを擁護する形で橋下元代表が自身のTwitterで連投します。
極めて靖国神社について、戦没者追悼の現状について、不勉強と言わざるを得ません。
詳しく今回指摘していきたく思います。
●靖国神社は戦後、一民間の宗教法人である
靖国神社はあくまで一民間の宗教法人であり、その信仰に国家が介入するような類のことではありません。
小泉政権時代に、民主党の野田議員からの質問があり、このあたりの政府答弁があり大変この問題の参考になるため紹介したく思います。
平成十七年十月十七日提出
「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書 野田佳彦
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163021.htm
上記質問に対する政府答弁 内閣総理大臣 小泉純一郎
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b163021.htm
靖国神社の行う合祀は、宗教法人である靖国神社の宗教上の事項であるから、政府としては、合祀についていかなる問題があるのかお答えする立場にない。
靖国神社に内閣総理大臣が参拝することにいかなる問題があるかとのお尋ねについては、法的な観点から申し上げれば、かねて述べているとおり、
内閣総理大臣の地位にある者であっても、私人の立場で靖国神社に参拝することは憲法との関係で問題を生じることはないと考える。
また、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝(内閣総理大臣が公的な資格で行う靖国神社への参拝をいう。)についても、
国民や遺族の多くが、靖国神社を我が国における戦没者追悼の中心的施設であるとし、靖国神社において国を代表する立場にある者が追悼を行うことを望んでいるという事情を踏まえて、
専ら戦没者の追悼という宗教とは関係のない目的で行うものであり、かつ、その際、追悼を目的とする参拝であることを公にするとともに、
神道儀式によることなく追悼行為としてふさわしい方式によって追悼の意を表することによって、
宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合には、憲法第二十条第三項の禁じる国の宗教的活動に当たることはないと考える。
●靖国神社には位牌があるわけでも遺骨を祀っているのでもない
神道の思想では「御霊」(みたま)を祀るのであり、遺骨を祀るのではなく、分祀もなにも切り分けるような具体的な「物」があるわけではないのです。
このあたりが分かってないかたが多く、具体的な何かがあって、それを切り分けるようなことを言われることが多いです。
そこにあるのは宗教上の信仰のみであり、そこを民間宗教法人である靖国神社にも、信奉しお参りする個々人にも国家は強要しえない話ではないでしょうか。
つまり「分祀」といっても、そこにあるのは思想のみであり、それを奉じる人々が祀ればそのままで、分祀など思想の強要はできようもない話なのです。
靖国神社側や、参拝者は合祀を良しとしているのでしょうから、そこを心の自由に介入し、思想統制しないかぎり合祀はされ続けます。
●別の祭祀施設を作るのは自由です
靖国神社が嫌ならば、別に別途祭祀することはそれぞれに自由な信仰であるはずです。
橋下氏や維新の会が靖国神社が気に入らないのであれば、彼らは別の祭祀施設を作ることは自由な話のはずです。既に述べたように靖国神社は一民間の宗教法人なのですから。
そこで靖国神社の信仰にああしろこうしろと介入するのは信教の自由の侵害にもなり、おかしなことであります。
それならばなぜ作らないのですか?
靖国の信仰の好き嫌いは当然みなさんあるでしょう。でしたら何も具体的なモノを祀ってる話ではないのですから別途作ればよいはなしで、この問題を理解できていないのではないでしょうか。
●東京・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑の存在を無視
戦没者追悼を考える人々は全国の軍墓地を知らないなどということは無いですし何を根拠に言っているのか分かりません。
皇居のすぐ隣に、東京・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑という国立の戦没者を祭祀する施設はあり、例年国家として戦没者追悼の式典が行われています。
無視しているのか知らないのか、まず、この大前提が抜け落ちています。
むしろ戦没者祭祀の現実を知らないのは維新のみなさんでは?
千鳥ヶ淵戦没者墓苑
http://www.boen.or.jp/
●A級とかB級とかC級は罪の重さの差ではない
連合国により裁かれた位置づけであるA級戦犯という位置づけですが、よく誤解されがちなのですが、
これは罪の重さの大小でA>B>Cということではないのです。
これはその罪状の種類の差を区分したものです。
極東軍事裁判における区分としては、A項「平和に対する罪」、B項「通例の戦争犯罪」、C項「人道に対する罪」と区分がなされています。
A級だけを区別する理由はなんなのでしょうか?
分かっておっしゃってるならばいいのですが、ここをミスリードしかねない物言いにも見えます。
なお、日本の主権回復後、国内法上は、拘束、受刑期間に亡くなった人々は「公務死」として、逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として定義されることになっていることも付け加えておきます。
以上のように、戦没者供養の現実問題を理解浅いままに勇み足を今回維新はしているように思えます。
不勉強なまま、いたずらにこの問題を紛糾させることは国益にかないません。
国際問題にもなりかねず、まともに説明できるだけの現状認識の知識もなく、政争の具にするようなものではありません。
遺族にも大変失礼なことであると思えます。
別に自己主張をするのは結構だが、そこまで障害者に対する配慮や福祉を否定するのなら、私学無償化も教育バウチャーも中学校給食も即刻廃止せよ。
子育て世代だけ優遇するなよな。
政策に内容は伴っているかどうかはさておき、この「贔屓」が今後維新の足を大きく引っ張ることになりそうに思う。
確かに彼らはよくネオリベ的な発言をするからね。
ただ私がいつも思うのは、(形だけかもしれないが)彼らは皆に等しく冷淡なのではなくて、子どもにだけはなぜか過剰に気を遣うんだよね。
体罰をした教員には厳しい処分をするし、中学校給食を無理矢理にでも実施しようとする。
教育バウチャーに至っては学業に全く関係ない稽古ごとやスポーツにも使えるようにしてしまっている(私は大阪市の子どもの学力があがらない大きな原因のひとつはこれだと思っている)。
ここまで子どもに入れ込む理由として、子育て中の有権者に対する人気取りだという意見がよく出てくる。
確かにそれもあるかもしれないが、それだけだろうか?
市大と府大を統合しようとするし、高卒就職希望者の就職支援にも不熱心だし、同じ若年層でも18才以上には冷淡なのはなぜ?
彼らも彼らの親御さんもまた同じ有権者なのだけれど。
もしかしたら、維新には別の意味で「子どもが好き」な者が多いからこのような政策に走るのかもしれないね。
何だか変態チックで気持ち悪いのだけれど。
橋下が彼らに対して口数が多くなっているのは、ここをかなり意識しているからではないのか?
得意のインテリ批判が彼らに対しては全く通用しないから。
一方でなんだかんだ言いながら橋下も松井も吉村も大卒だし。
大阪市民もまた大阪府民であるという理屈は、学校には適用されるが墓地には適用されないというのは不思議な話だ。
いずれやるのかな。知らんけど。
これ、実は昨日の時点で大阪府も大阪市もわかっていたのではなかろうか。
感染者が出た場合、その足取り等を国に先駆けて詳細を公表する云々と昨日大阪府が発表したのも、このことを事前察知していたからではないのか?
御託を並べ立てる前にまず濃厚接触者の入院という事実を何よりも先に出すべきだっただろうに。
自己の意見の正当化と、国に対する批判をいうためにタイミングを計ったと疑われても仕方なかろう。
かなり前からの話になるが、大阪市外に商業施設が出来て客が長期的にそっちにシフトし続けたからだよ。
数年前に閉店した西武八尾店だが、後釜の商業施設がすぐ来た(リノアスだっけ?なぜかまたもや関東系)。
堺の北花田阪急、なくなったけど大勢に影響なし。
松原にアリオが来るなんて話もなかったか?
市外、特に府下南部の北半分は購買力自体は落ちてやせんぞ。
ショッピングや外食のためにわざわざ大阪市内に行く必要がもはやないという流れが、80年代初頭あたりから長年のうちにできあがっていったことを見落としてはいけない。
それにしても堺、松原、八尾と大阪市隣接市の南から数えてこの3つ、いずれも昭和50年代あたりから考えるとずいぶん発展したと思う。
いずれも今も農地が多いけれどそれもまた良し。
アレらは官房長官の私兵に過ぎないだろう。
真剣に改憲(とりわけ9条)を考えるとしたら旧民主の改憲派を取り込むべく策を弄したほうがまともで確実なものになるよ。
但し官邸の改憲の狙いが9条でも緊急事態事項でもなければ話は別だが。
まさか高等教育無償化と選択的夫婦別姓が本丸で9条は釣りではあるまいな。
もしかしたら官邸がこれで維新を生け贄にして逃げ切りを図るというシナリオだってありうるのだから。
私は維新が再起不能になって「いわゆる大阪都構想」が完全消滅することこそが再優先なので、安部政権に関することはその後でも構わない。
何がなんでもアベガーアベガー最優先の人々とは見解が違うので。
特にりっけんカルトやオザシンとはね。
私はこれにかなり違和感があるのだが。
そもそも大阪府下全域に共通する地域性ってあるか?
私的な見解を経験を踏まえていうと、「ない」と答える。
大阪府下って私鉄や主要国道に沿って幾つかにブロック化されているので、同じ大阪府内でも日常的に付き合いのない地域は結構多い。
そんな環境で共通の地域性って育つかなあ?
例えば、箕面市と八尾市って親近感ある?
八尾市からの鉄道経由の所要時間、駅によっては三重県の名張とあんまり変わらんのだがね。
むしろ箕面より若干速かったりもするのだが。
そういう人たちが飛びついたのが維新なのかなあ、と。
大阪といえばお好み焼きたこ焼き。
大阪といえば吉本。
公立高志向強い但し旧9学区制度時のトップ校のみ評価。
大学は阪大マンセー。
京都と神戸は常に意識すべきライバル。
東京嫌い。
イシンジャーにはこういう価値感の人たちが多そう。
これって実は他府県民から見た「望ましき大阪人像」であって、リアルな大阪府民像とはかなりズレがあるんだが。
こたつぬこ氏や座間宮ガレイ氏はこのへんをどう考えて維新を評価しているのか気になるね。