『三溪園』
今日は明治39年に一般に向けて公開されたエリア、外苑をご紹介いたします✨
☆旧燈明寺三重塔
三溪園といえば!
三重塔というくらいよく知られていますよね(^^)
京都の木津川市の燈明寺(廃寺)にあった三重塔は室町時代の建築で、大正時代に移築され、三溪園のランドマークとして配されました。現在、関東地方にある木造の塔では最古となっています。
三重塔から展望台へ続く道の途中、観音様に手を合わせました
松風閣は原家の初代である善三郎氏が、明治20年頃に別荘として築造した建物で、名称は伊藤博文によるものだそう。重要な客人をもてなすゲストハウスとして使用されており、一室“観山の間”には日本画家の下村観山が描いた「四季草花図」という障壁画がありましたが、関東大震災により建物とともに消失しています。
昭和39年に建築された展望台からは、工業地帯とコラボした房総半島や三浦半島・鋸山などが見渡せます。
工業地帯、なぜか大好きなんですよね♡
かつて三溪園を訪れたインドのノーベル賞文学者タゴールや芥川龍之介によって書き記された茶屋です。当時はいつでも麦茶がふるまわれていたそうです。
芥川龍之介はここでの印象を俳句に残しています。
ひとはかり うく香煎や 白湯の秋
芥川龍之介
田舎家風草庵。奈良の法隆寺からの移築といわれますが、詳細は不明のようです。
江戸時代の寛永11年に建築され、明治40年に移築されました。縁切寺の名で知られる鎌倉の東慶寺にあった禅宗様の仏堂です。現在は工事中となっていました。
江戸時代後期の建築で、飛騨の白川郷にあった合掌造の民家で、園内では唯一内部を見学できます。
ダムの建築で水没する地域にあったため、三溪園に移築されました。農民ながら飛騨の三長者の一人といわれた矢箆原家の繁栄ぶりがうかがえます。現存する合掌造では最大級の民家です。
屋内には飛騨地方で使われた民具が展示され、いろりには毎日薪がくべられているそうです。
室町時代の建築で、昭和62年に三重塔と同じ京都の燈明寺から移築されました。
三溪園近くにある間門の旧家「高梨家」が、江戸時代に同地の丘の中腹に祀った間門天神が前身で、昭和51年に三溪園に移築されました。
三溪園には皇大神宮や稲荷社も鎮座されていたようですが、空襲の爆撃などで消失してしまったとのことです。
睡蓮の花が見頃を迎えていました。
「睡蓮」
花言葉
純粋な心 清浄 信頼 信仰
大池ではたくさんの鯉やカモさんが🦆
可愛い💕
園内のお茶屋さんでお団子をいただきました🍡
この日は長男と出かけたのですが、一万歩以上歩くことができ、良い運動にもなりましたし、知識として得るものもたくさんあり、とても有意義な1日となりました
明日は原三溪氏についての記事となります☆
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