三溪園の外苑には
『横笛庵』
という建物があります
こちらの横笛庵には悲恋のお話が伝わっており、今日はそちらをご紹介いたします
茅葺の屋根と厚めの板を使った栩葺の屋根を組み合わせた素朴な建物です。
『横笛庵(よこぶえあん)』という名前は、内部に置かれていた横笛の像にちなみます。
「横笛」は、平安時代末期に平清盛の娘の建礼門院徳子(高倉天皇の中宮)に仕えた女官で、平重盛の従者の斎藤時頼(滝口入道)という武士との結ばれることのなかった恋の話が平家物語に伝えられています。
横笛の像は、時頼から送られた恋文を使って横笛自らが作ったものとされ、縁結びの像として祈願に訪れる人で賑わったそうですが、第二次世界大戦中の空襲により失われてしまいました。。。
また横笛が出家した後に住んだといわれる奈良の法華寺にも同様の像が伝わっているそうですが、関わりなどは不明とのことです。
平清盛の娘の建礼門院に仕える女官「横笛」は、朗詠をはじめ琴や琵琶・和歌にも秀でた女性でした。
ある日のこと、横笛は清盛が開いた宴で舞を披露します。その美しい姿を見た平重盛の家臣斎藤時頼は恋に落ちてしまいます。
やがて二人は恋仲となり、お互いにかけがえのない存在となり、深く愛し合うようになりました。
しかし時頼の父である茂頼は、息子を有力者の婿にして出世させたいと願っていたため、身分の低い横笛との関係を知り激怒します。
時頼は、父と愛する横笛との間で苦悩し、出家という二人とも裏切ることのない選択をしました。
嵯峨の滝口寺で時頼が出家したことを知った横笛は、愛する人に一目会いたいという一心で嵯峨へと向かいます。そして時頼(滝口入道)の念誦の声が聞こえる宿坊を探し当てました。
しかし時頼は心が揺らぐのを恐れて、同宿の僧に「そのような人はいない」と、横笛を追い返させました。
横笛は帰る途中、石に
山深み 思い入りぬる柴の戸の
まことの道に 我れを導け
と歌を詠み、血で書き記したといいます。
一方、また訪ねて来られたならば次は横笛を拒むことが出来ないのではないかと考えた時頼は、女人禁制の高野山清浄心院へ移ってしまいました。
追い返された横笛もまた自ら出家して尼となり、時頼と同じ道に入ります。どうしても逢うことが出来ないなら、せめて仏の道で繋がっていたいと思ったのでしょう。
横笛が同じ仏道に入ったことを知った時頼は、横笛に一首の歌を送りました。
剃るまでは うらみしかども あづさ弓
まことの道に 入るぞうれしき
※あなたが出家するまでは憂き世を恨んでいた私ですが、尼となりまことの道に入ったと聞いて大変嬉しく思っています。
この歌へ横笛が返歌しています。
剃るとても なにかうらみん あづさ弓
ひきとどむべき 心ならねば
※あなたが剃髪し出家したとして、何であなたを恨みましょうか。引き止めることの出来ないお心なのですから。
出家した横笛ですが、時頼と逢えない哀しみから、ほどなくしてその儚い生涯を終えました。桂川または大堰川に入水したとも伝わります。
そのことを知った時頼は仏道を極める修行に励み、遂には俗世から離れ、修行を極めた高野聖となったのでした。
高僧となった時頼ですが、出家するほどに生涯をかけて愛した横笛への思いを、果たして断ち切ることができたのでしょうか?
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