カイト・カフェ

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「たくさんの若者が消えていく社会」~東京都の新任教員の、20人にひとりが1年以内に退職した①

 昨年、東京都の新任教員の、20人にひとりが1年以内に退職したという
 教員ばかりでなく、社会のあちこちで若者が神経をすり減らし、
 叩かれ、潰されている。
 いったい何が起こっているのだろう。
という話。(写真:フォトAC)

【新任教員の20人にひとりが1年以内に退職した】

 昨日付の朝日新聞デジタル「東京都の新任教諭、4.9%が1年以内に離職 過去10年で最多」という記事がありました。
 それによると昨年度に東京都が採用した新任教員のうち、169人が1年以内に退職しているのだそうです。割合にして4.9%。過去10年間で最多。ほとんどが自己都合による退職だったといいます――。

 ここまでだったら、
「ああ、いきなりの担任、教育の最前線で、ほんとうにつらくて、気持ちが保てなかったのだろうな」
で済みますが、さらに先まで読んで、
「自己都合の159人を理由別でみると、約半数が病気で、多くが精神疾患だという。
という部分までくると、暗澹たる気持ちになります。
 私にとっては孫にもあたろうという世代の若者たちが、大学を出てわずか一年足らずで心を病み、精神を破壊されて家に帰って行ったのです。親御さんたちはどんな気持ちで迎え入れたのでしょう、このあと子はどうやって生き、親は支え行くのでしょう。

【たくさんの若者が消えていく】

 教員での話ではないし10年以上も前のことですが、友人の一人の息子は就職2年目でボロボロになって自宅に戻り、そこから10年も引き籠って一昨年ようやく、何かの勉強をすると東京に戻って行ったようです。微妙な話なので詳しく訊くことはありません。
 
 昨年の伯母の葬儀の際に200kmの遠方から駆けつけた従弟は、一泊した翌日、逆さ正三角形の外周を回るようにまた200kmの道のりを走り、妻の妹の子、つまり甥の葬儀に向かいました。23歳の就職1年目でしたが、パワハラによる自殺だと聞かされたみたいです。
 
 もはや親たちは子を卒業・就職させれば安心という訳には行かず、そこでどんな目に遭っているのかも気にして、引くときは早目に引かせなくてはなりません。東京都で1年以内の早期退職をした159人のおよそ半分は無事に逃げ切れて、残り半分は脱出に失敗したということでしょうか?
 
 人によってはまだまだ不足というかもしれませんが、これだけコンプライアンスが行き届いて昭和に比べたらずっと優しくなっているはずの世の中で、いったい何が起こっているのでしょう?
 (この稿、続く)

「カンニングは叱る必要がなかった」~大阪超進学校におけるカンニング・自殺事件の教訓②

 悪いことを悪いと知りつつやっている子を、叱る必要はない。
 “叱る”は、厳しく強い調子で”教えること”だからだ。
 教える必要のない子に与えられるべきは、
 罪と罰の整合だ。
 という話。(写真:フォトAC)

 大阪市の私立清風高校で起こったカンニング・自殺事件についてお話ししています。

【誰がどれくらい悪いかを確定する】

 こうした裁判で損害賠償の請求額が1億円とか聞くと《いくら超進学校の生徒とはいえ、ただの高校生に1億円の価値があるのか》といった見方をする人が出てきますが、これは亡くなった高校生の命の値段ではなく、その人が生きて67歳まで働いた場合に得られたと思われる収入の総額や利子から、生活費などを除いた残りを推定したもので、亡くなったことによってその1億円が得られなくなった、だから賠償しろ、という理屈になるのです。
なぜ67歳かというとここにも面白い計算があるので調べてみるといいでしょう。

 その1億円という失われた利益を審判のテーブルにドンと乗せて相手の責任を問うわけですが、指導の過程で高校生が自殺することを予見できたかどうかは当然問題になりますし、全部が全部、学校の責任とは言えないということになれば、1億円は切り分けられ、そのうちの一部を賠償することになります。
 裁判はまだ始まってもいませんから、この先も注意してみて行きましょう。

 

カンニングを叱る必要はなかった】

 裁判の成り行きは別に見るとして、その上で、一般的な指導の在り方として、清風高校は間違っていなかったかというと、私はやはり問題があったように思うのです。それは叱責と懲戒を同時に行ったからです。

 昨日、取り上げたPRESIDENT Onlineの記事「カンニングは卑怯者がすることだ」という叱り方はNG」でも、人格ではなく行動を責めよといった話をしていましたが、清風高校の場合、実際にカンニングをした生徒を目の前に置いて、どういう話の流れから「カンニングは卑怯者のすることだ」というフレーズが出て来たのか、私にはどうしても理解できないのです。それは以前から校長先生の言葉として繰り返し語られたものであり、現実問題として高校生にもなって“それが悪いことだと知らなかった”という子はまずいないからです。悪いかとだと分かっているからコソコソやるのがカンニングです。そんなときに、「カンニングは卑怯者のすることだ」と教えてやる場面は、生れようがないと思うのです。
 
 昨日、私は「“叱る”は、厳しく強い調子で教えること」だといいました。
 カンニングが悪いことだと十分に分かっていない子に、怖い顔をして、強い調子で「カンニングはとんでもなく悪いことだ」「カンニングは卑怯な行為だ」と教えてあげること、それが “叱る”なのです。
 ですからそんなことは十分に分かっている清風高校の高校生の場合は、叱る必要などなかったのです。悪いことだと分かり切ってやったカンニング、本人も認めているカンニング、ただ粛々と「全教科0点」「自宅謹慎」「毎日の反省日誌の記入」「写経を80巻分」を伝えて罰すればよかった、それだけのことです。
 
 心の教育なんて、何もない、穏やかな、日々の授業や道徳の時間にやればいいことで、事件の真っ最中にやるべきことは、罪と罰の対応を明らかにすること、つまり罰を言い渡してやり方の説明をすることだけでした。

【罪を憎んで、人を憎まず】

 やったことには責任を取らせる、しかしそれはキミが憎いからでも、キミが悪人だからでもない。キミのやった行いを憎むからだ。
 こういう態度を「罪を憎んで、人を憎まず」と言います。そのためにも罰の宣告と執行は、事務的に、穏やかに行われなくてはなりません。人間教育は別の時に、その子に対しても、学級全体に対しても繰り返しやって行くべき話です。
(この稿、終了)

 

「人格を叱るのではなく行動を叱るということの意味」~大阪超進学校におけるカンニング・自殺事件の教訓①

 大阪の超進学校で起こったカンニング・自殺事件。
 いったい何が起こり、何が悪かったのだろうか?
 ほんとうに指導に問題があったのか、
 別に正しいやり方があったのかどうか、
 という話。
(写真:フォトAC)

【超進学校におけるカンニング・自殺事件の顛末】

 先月末、ニュースに進学校で知られる私立清風高校(大阪市天王寺区)の男子生徒(当時17歳)が試験でのカンニング後に自殺したのは、教師らの不適切な指導が原因だとして、両親が近く、学校側に計約1億円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こす」2024.03.22 毎日新聞
という記事がありました。それ以来、SNSやニュース記事の書き込み欄には「カンニングする方が悪い」「卑怯者というのは当然」いった内容もあったのですが、今月に入って提訴を終えた遺族が、代理人弁護士を通じてそれに応える声明を発したようです。少し前のニュースですが4月13日のytv、「カンニングが悪いのは当然だが、それが理由で自死に至るのか」男子生徒の遺族が提訴に踏み切った理由という記事です。

 それによると自殺した生徒が受けた指導というのは、

  1. 多数の男性教師らに囲まれて叱責されたり反省文を書かされたりした。
  2. 母親が学校に呼び出された後も、学園長室で5人の男性教師に囲まれて、「カンニングは卑怯者がやることだ」などと叱責された。
  3.  男子生徒と母親は泣きながら教師らに謝罪した。
  4.  叱責や指導は約4時間に渡った。
  5.  全科目が0点となった。
  6.  自宅謹慎を申し付けられ、
  7.  毎日反省日誌を書くことを課され、
  8. 1巻1時間程度を要する「写経」を80巻分行うという課題が与えられた。

 その二日後、生徒は、
「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」
と記して自殺したといいます。

【親を裏切ったことは辛い】

 箇条書きにした8項目の初めの部分はまるでヤクザの事務所に連れ込まれたような雰囲気で、何となく学校らしくないとも思いますし、叱責や指導は4時間に渡ったというのも、実際は母親がくるのを待ったり指導内容の進め方を説明したりといった部分が長く、4時間に渡って怒鳴っていたわけでもないでしょう。しかし全体としてはだいたい説明のようなものだったように思われます。いかに進学校におけるカンニング指導とはいえ、なかなか苛酷なものです。

 特に3番目の「男子生徒と母親は泣きながら教師らに謝罪した」と、母親の泣く姿を見せられたのはつらかったろうな、と思います。偏差値61-71という大阪でも屈指の進学校の生徒ですから、小さなころから親を喜ばせることはあっても泣かせることなどなかった子です。その母親が息子の犯罪のために横で頭を下げて泣いている、全科目0点で進む大学もなくなったのかもしれない、親の期待を台無しにした――と、さぞかし切なかったことでしょう。

 小中学校では万引きをした児童生徒を親とともに店舗に行かせ、親が自分のために深々と頭を下げる様子を目に焼き付けさせることで再発を防ごうとしたりしますが、高校生にはむしろきつすぎる面もあったのでしょう。
 全教科0点も、反省日誌毎日も、写経80巻もつらいことでしょうが、罪滅ぼしと思えばある意味で気が楽です。犯罪者が懲役を済ませてくるようなもので、それが終わりさえすれば罪は贖われたことになります。
 しかし進学校カンニング犯というのは、真面目に考えれば「全校生徒を裏切った卑怯者」、裏切りの対象が大人ではなく仲間だというところに、大きな悔恨があったことでしょう。そして何よりも、親を裏切ったことが耐えがたかった――。
 本人は「周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなって」と記していますが、自己理解が必ずしも正解だとは限りませせん。

【人格否定ではなく行動を叱る】

 この事件については遺族の同じコメント発表を基礎とした「カンニングは卑怯者がすることだ」という叱り方はNG…子供の過ちを叱るときに使ってはいけないフレーズ(2023.04.12 PRESIDENT Online)という記事もあって、やはり考えさせられます。
子供が過ちを犯したときには、どう応じればいいのか。中学受験専門塾・伸学会代表の菊池洋匡さんは「子供を叱るときは行動に焦点を当ててほしい。たとえば『カンニングは卑怯者がすることだ』という叱り方は、人格否定になるのでよくない」という――。

 菊池氏によれば、
人格を否定する叱り方をすると、子どもの自己肯定感が低下するおそれがあります。その結果、「どうせ自分は卑怯者なんだ」というセルフイメージを持つようになり、そのセルフイメージに沿って「卑怯者にふさわしい行動」を選択するようになっていきます。つまり、問題行動をかえって増やすことに繋がってしまう 
(中略)
では、どういう叱り方をすれば良いのでしょうか?
それは、人格ではなく、行動に焦点を当てた言い方にすれば良いのです。
カンニングをするやつは卑怯者だ」は人格に焦点を当てた言い方です。それに対して、「カンニングは卑怯な行いだ」は行動に焦点を当てた言い方です。この2つは似て非なるもので、言われた側の受け取り方は大きく変わります。
――分かるような、分からないような話ですが、これは清風高校のカンニング事件の延長で書いたので面倒くさい話になっただけで、小学生のカンニングならすぐ分かるのです。

【“叱る”は、厳しく強い調子で教えること】

 カンニングは単なる「ずるい」行為ではなく、友だち教師を裏切る重大な犯罪です。しかしそうした認識のない子どもに「カンニングをするやつは卑怯者だ」「カンニングする人間は汚い」と言えば、その子からすると「おまえは卑怯者だ」「おまえは汚い」と言われているのと同じですから、とても素直になれるものではありません。
 そうした子には強く指導し、ものすごく悪いことだと教えてあげる必要があります。怖い顔をして、強い調子で「カンニングはとんでもなく悪いことだ」「カンニングは卑怯な行為だ」と教えてあげるのです。そのやり方を私たちは“叱る”と呼んでいます。嘘をつく子や、危険な行為を繰り返す子どもにも、それが悪いことだと十分に分かっていない場合には、同じことをしなくてはいけません。
 しかし清風高校の自殺した生徒の場合は、どうだったのでしょう。その子はカンニングが卑怯な行為だと分かっていなかったのでしょうか?
(この稿、続く)

「校長は『残業手当が尽きたから、通知票は書かなくていいや』と言うだろうか」~調整額10%以上の提案は「撤回しろ」と教師は言った。

 調整手当増額が、教師たちに著しく不評だという。
 はて? それでいいのか? 大変だぞ。
 教師たちも正当な代表者を失い、
 あらゆる人たちが、教師を代表する。
という話。
(写真:フォトAC)

【「調整手当10%以上」は撤回してください】

 先週4月20日朝のテレ朝ニュースで『教員の給与増額案 教員ら「撤回していただきたい」』という内容の話があり、かなり気持ちに引っかかりました。
 現役の高校教員 西村祐二さんが、
「(調整額増額の方向性について)教員や教員志望の学生の声をちゃんと聞いたうえで、撤回していただきたいと強く主張します」
と訴えたのだそうです。Yahooニュースにもありましたから、まだ見られるようでしたら見てください。

 内容は、文部科学相の諮問機関である中央教育審議会中教審)の特別部会で19日、残業代の代わりに支給している現行の「教職調整額」を4%から10%以上に引き上げるという素案が示されたに対し、現職の教員がかみついたという話です。
 調整額を規定したいわゆる給特法を残すということは「定額働かせ放題」と揶揄される教員の働き方を固定化するもので、何ら解決にあたらない。だから「撤回」して民間と同じように残業手当を設け、予算のタガで締めることによって長時間労働を改善するようにするのが本筋だ、というのです。おかげで一昨日も昨日も、ニュースは10%以上増額に批判的な記事ばかりです。先生たちはそれでいいのでしょうか?

【あんた、誰?】

 とりあえず私の最初の疑問は「西村祐二さんって、あんた、誰?」です。
 現役の教員らは抜本的な制度の見直しを訴えています
とテレ朝が言うくらいですから、それなりの地位のある教員の代表者なのでしょう。しかし労組の委員長といった感じには見えないし、若すぎる気もする・・・。

 先に答えを言ってしまうと現役の教員らでつくる「給特法のこれからを考える有志の会」という任意団体らしいのです。別の新聞記事で見ました。
 給特法の抜本的見直しを求める署名を約8万3000筆も集めたらしいのですが、それでも決して教員の代表者ではありません。「調整額引き上げ撤回」は教員の統一された意見でもないはずです。
 なぜなら・・・。

【校長は『残業手当が尽きたから、通知票は書かなくていいや』と言うだろうか】

 給特法がなくなって残業手当が創設されても、予算は無制限ではありませんから当然、管理者が仕事の取捨選択を行う――それによって仕事が整理され、減らされるから長時間労働が改善される、というのが残業手当を要望する人たちの意見ですが、この問題は現場でどうこうできるものとはとても思えないのです。

 教員たちの残業時間が予算の枠を越えはじめたとき、校長は現場で「手当が尽きそうだから、今学期から通知票は廃止しよう」と言ってくれるのでしょうか?
「キャリア・パスポートは廃止しましょう」
「準備のたいへんな小学校英語。本校ではもうできないな」
「修学旅行はやめよう」
「卒業式も内々で済ませよう」
と言えるかどうか――。

 一般教員の管理職に対する期待と思い込みには大きすぎるものがありますが、一切しがらみがなく、のちのち教育改革について本でも書いたり講演会をしたりして食って行けばいいやと考える民間人校長でない限り、普通の校長は教育委員会や校長会、地域の人々の思惑にがんじがらめで、思い切った改革などできるはずがないのです。

 普通の校長は部活ひとつ潰せません。人数が少なくなって成立が難しい部活なら2年~3年かけてなくすこともできますが、4月初日、部員が40人もいるような部に向かって、
「顧問になってくれる人がいないので、今日で、この部は解散します」
と言える校長は、おそらく日本中にひとりもいないでしょう。いたら大問題になってマスコミを賑わしているはずです。
 おおもと(政府・文科省)で仕事を減らさない限り、現場では残業の可否をめぐって毎日管理職と教員がぶつかり合い、鬱屈がたまり続けることは目に見えています。減らせない仕事が膨大にあるからです。

【とりあえず、残業手当のために学校にいよう】

 反目しあうのは管理職と教員の間だけではありません。教員同士の気持ちも穏やかではありません。いくら多忙といっても絶対に残業のできない人もいるからです。

 まだ子どもが小さかった頃の私がそうで、帰り支度をしてから体育館で部活指導をし、終わるとそこから玄関を抜けて車に乗り込み、保育園で子どもを受け取らなくてはなりません。妻も教員で退勤時刻に校門を飛び出すのですが、少し遠いところの学校だったので通勤に時間がかかり、家について食事の支度が終わるころ、私が子どもを連れて帰ってくるというタイミングになっていました。
 そこから食事をして、子どもを入浴させ、歯を磨いたり読み聞かせをしたりしているとすでに8時半。私は子どもを寝かせつけながらそのまま眠り、夜中の3時に起きてそこから持ち帰りの仕事です。妻は食器の片づけをしてから入浴。上がってからは12時過ぎまで持ち帰り仕事をして就寝。私たちはまだ若い夫婦でしたが、一緒に寝ている時間はわずか3時間。しかも眠るのみです。

 私たちと同じような生活をしている教員は世の中に大勢いるはずですが、調整手当がなくなるとこの人たちの給与が一人13,000円ほどなくなってしまいます。二人で26,000円。それで浮いたお金は残業手当の一部になりますから、彼らが貧しくなった分、他の誰かが潤うわけです。この不公平にどれだけの人が耐えられるでしょう。
 持ち帰り仕事をする人たちのためにリモートワークの仕組みを整え、家でやった仕事についてもカウントできるようにしようといった提案もありますが、そんなものいつになったらできるのか、また実際に可能なのかもわかりません。

 夫婦ふたりで失った調整額ですが、一部でも取り戻さないわけにいきません。結局夫婦でやっていた子育てもひとりでやって、とりあえず残業手当のために学校に残ってもらうようにしましょう。不正に残るわけではありません。家でやっていた分を学校に移すだけです。それが良いこととは、とても思えないのですが・・・。

【昔の強い労働組合が残っていれば――】

 私は残業手当の創設には反対します。
 おおもとで仕事を減らされない状況で、残業手当の扱いを現場に任せるのは、管理職にとっても一般教員にとっても不幸です。
 調整額がなくなって残業手当に代わっても、子育てや介護のために学校に残って仕事をすることができない人はいくらでもいます。この人たちも幸せではありません。また、残業手当は青天井ではありませんから、ある時間以上はサービス労働になります。すると自由に残業のできる人の中にもストレスが溜まってきます。
 まず調整手当を増額させる。それを既得権として、さらに仕事の削減あるいは増員を求めていく、そのやり方しかないと私は思うのです。ベストではないがベター。
 それを誰かが、
 撤回していただきたいと強く主張します
と軽く一蹴し、メディアがあたかも教員の総意であるかのように扱う――昔の強い労組が残っていれば、こんなことにはならなかったのに。
――というのは、また別の話でしょうね。

「家庭菜園ティスト、子孫に美田を残す決意をする」~今年の畑の準備ができて考えたこと②

 都会はどんどん変化するが田舎の動きは鈍い。
 そもそも変化の必要性さえ乏しい。
 おそらく200年経っても、緑の同じ世界があるだろう。
 だから私は子孫に美田を残したい。
という話。(写真:フォトAC)

【田舎は8000年経っても田舎のまま】

 2001年のアメリカ映画、スティーブン・スピルズバーグの『A.I』に、主人公のロボット少年が、疑似的な母親である人間の女性に捨てられる場面がありました。滑るように走る未来カーに乗せられ、かなりの時間、深い森の中を走ったあげく最後に遺棄されるのです。悲しい場面でしたが、そのときふと思ったのは、
《人間そっくりのAIロボットが普通に生活しているほどの遠い未来でも、こんなに深い森があるんだ》
ということです。

 スピルバーグが『A.I』の次に制作した映画は、これも明るくない未来を描いた「マイノリティ・リポート」でしたが、ここでも住宅地や別荘地は20世紀の、中でも1950~60年くらいの、かなり古い風景でした。未来都市では高速道路網が十重二十重に走っているのに、一歩中心を離れると昔と変わりない風景が残っているのです。

 21世紀に入ってつくられたSF映画の多くで、都市を離れた場所の描写がむしろ同時代よりも古いものになっています。『エクス・マキナ』(2014年、イギリス)の舞台は広大な山岳地帯の奥にある別荘でしたし、『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021年、アメリカ)は地球外とはいえ、まったく開発されない砂漠の惑星が舞台です。調べたら『デューン』の舞台は102世紀末だそうですから8100年も先の話です。8000年経ってもこの始末では、田舎はいつまでたっても田舎のままです。

 考えてみたら、『2001年宇宙の旅』(1968年、アメリカ)では21世紀に入ると背広で宇宙旅行ができることになっていましたし、2003年4月7日には日本で鉄腕アトムが生れていて、子どもサイズのロボットの胸に10万馬力の小型原子炉が搭載されているはずでした。しかし時代はまったくそんなふうにはなりませんでした。

【100年~200年経っても変わらないものがあるだろう】

 21世紀に入ってすでに23年と数カ月が経ちましたが、次第に見えてきたのは、科学がどんなに進歩しようと、社会がどれほど変化しようと、100年経っても200年経っても、今とほとんど変わらない生活や事物や、風景や制度があるだろうということです。
 
 家ひとつをとってみても、私が幼少期を過ごした60年前と比べれば、屋根にソーラーパネルは乗っているし窓枠はアルミサッシだし、中に入ればテレビはバカでかくてしかも薄く、台所に入ればIHコンロはあるし冷蔵庫はこれもバカでかいし、水道の蛇口をひねるだけでお湯が出てきます。四角い白い箱に料理を入れてダイヤルを回すと数分後に「チーン」という音がして、食品が温まって出てきます。半世紀前の、まだ30代だった私の母親に見せたら腰を抜かすことでしょう。

 しかし調理そのものは江戸時代と同じで、今も食材はまな板の上で包丁を使って切り、鍋を使って煮炊きし、さらに自分たちで盛り付けると食卓まで運ぶのはやはり人間です。食べ終わって食洗器を使うのは大きな進歩ですが、洗い終わった食器の一枚一枚を食器棚に納めるのも人間のままです。そのあたりは60年前と、いや100年、200年前とも、さほど変わっていないのです。

 もう一度屋外に出て自宅を眺めると、昔に比べたらかなり立派になりましたが、鉄腕アトムに出てきたような繭型だのキノコ型だのといった未来的な姿にはなりませんでした。おそらく100年経っても200年経っても家の形はさほど変わらないでしょう。
 私たちは特別な必要性や必然性が生れない限り、慣れた生活を手放したがらないのです。家というのはこういうものだ、こんなふうに使うものだといった思い込みや伝統から、そう簡単に自由になれるものではありません。

 そして、ここからが本題みたいなものですが、今年の畑の準備が終わって考えたことのひとつは、100年経っても200年経っても私のような田舎の退職者は、春になるとスコップや鍬を手にして、嬉々として家庭菜園を営んでいるだろうということです。それはほとんど間違いのない話です。

【子孫に美田を残す】

 ただで手に入る太陽の光と気温、水と土地ある限り、今とほぼ同じ農業は永遠に生き続けるだろうと私は思っています。
 もうひとつのディストピア映画『マトリックス』(1999年、アメリカ)のように地球全体が核で汚染されたというような特別な事情のない限り、すべての農業を工場で行う時代など経費が高すぎて来るはずがありません。100年経っても200年経っても田舎の風景は変わらず、人々は田畑に囲まれてゆったりと陽の光を浴びているはずです。もしかしたら過疎化の進む分、今よりさらにゆっくりと時間は流れているのかもしれません。そんな未来にあっては、私たち「家庭菜園ティスト」もまた、ゆっくりと同じ生活を送っているに違いありません。変える必要がないからです。
 
 考えてみれば江戸時代の武士だって大半は敷地の中に畑をつくっていました。明治・大正のサラリーマンも、多くは農家から出てきましたから、農繁期や休日は家の手伝いもしていたはずです。その意味では、部分だけを見れば、昔とまったく変わらない生活をしているひとはいくらでもいますし、これからも出てくるでしょう。
 そう考えると、私は今年も畑に力を入れて、子孫に美田(ホントは畑だけど)を残すようにしたいと思います。私の子や孫たちが、あるいはその世代の誰かが、この畑を喜んで使う日がくるような気がするからです
(この稿、終了)

「横並び・我慢強さ・協調性・ムラ、百姓はこころ病まない」~今年の畑の準備ができて考えたこと①

 今年の畑の準備ができた。
 明日にも苗を買いに行って、植え付けを始めよう。
 農業は私たちの感性と深いつながりがある。
 稲作が私たち日本人を創り上げたのだ。
という話。(写真:SuperT)

【今年の畑の準備完了~畑づくりには順序がある】

 晴耕雨読と言いますが、必ずしもタイミングよくことが進むとは限らず、今年の3月末から4月上旬にかけては天候が悪く、毎日、雨読、雨読、雨読でやきもきしましたが、ここにきて今度は、晴耕、晴耕、晴耕・・・。おかげでヘトヘトですが、いちおう今年も畑の準備が整いました。今日明日あたり、苗を買ってきて植え付けようと思います。

 当たり前の話ですが、作物は種類によってそれぞれ収穫の時期が違います。しかし種を撒いたり苗を植えたりする時期も異なり、時を外すと苗が売っていないということも起きたりするのです。
 かつてジャガイモとネギで時期を逸してつくれなかったことがあったので、この二つには特に気を遣います。ブロッコリ・キャベツ・レタスの苗も少し早めに出て来て早くなくなります。他は――ナスだとかキュウリだとかトマトだとかは、だいたい同じ時期に出てくるので忘れることはありません。

 種から育てるものの中には5月、6月、あるいは7月に入ってからでないと蒔けないものもありますが、苗と違って売り切れるということがないのであまり気を遣わなくても済みます。

 こうした知識は、頭のいい人なら本を読んだだけで覚えられることでしょうが、私の場合は失敗を繰り返しながら身に着けて行くしかありませんでした。よそ様がやっているのを見ては後追いするということも多くて、気候による年ごとの微妙な時期調整などは、それが一番間違いないと言えます。このような隣りに合わせて行う農業のやり方を、「隣り百姓」と言います。

【横並び・我慢強さ・協調性・ムラ】

 日本人は横並びを好み突出することを嫌うといいますが、こと農業に関しては横並びの方が有利であって、誰も種を蒔かない1月に種まきを敢行したり、野菜の品薄になる時期の収穫を狙って11月に種を蒔いたりすることは、工場栽培など特殊な状況でない限り、ありえません。愚か者のすることです。「出る杭は打たれる」というのは単に突出してはいけないということではなく、普通のやり方から逸脱してはいけないという横並びの意味も含んでいるのかもしれません。

 農耕民族はまた、我慢強くなります。どれほど天候が悪くなろうと、政治状況が変わろうとも、田畑を担いで逃げるわけにはいかないからです。家畜の食べるエサを求めて移動を続ける遊牧民や、ユダヤ人のように迫害を受けたらいつでも脱出できるよう商工業を中心に生業としてきた民族にも、それぞれの辛さと対処の仕方があると思いますが、「じっと耐える」形にハマりやすいのはやはり農耕民族でしょう。

 さらに同じ農耕でも、畑作中心の欧米と稲作中心の東アジアとでは文化のかたちが違ってきます。というのは水田づくりには畑づくりよりもはるかに大規模な土木工事が必要だからです。
 とにかく水田は全部が水平でなくてはいけません。ですから傾斜がきつくなるほど田の区分けは細かくなり、形もさまざまなものになって行きます。典型的なのは棚田ですが、石川県の輪島の千枚田などを見ると、昔の農民の異常な執念を感じたりします。
 田に水を引く水路は、場所によっては千分の一(1km流れて1m下がる)といったわずかな勾配しか取れないこともあり、極めて優秀な技術が必要でした。
 もちろん水田ですから、田の水が抜けない技術も大切です。

 そしていったん水田ができあがると、人々はその場を離れられなくなります。原野を畑にするのも大変ですが、水田にするのは途方もなく大変だからです。自分の田を守るために人々はムラをつくり、人間関係を閉鎖します。その伝統が今日まで続いています。

【百姓はこころ病まない】

 農業というのはとてもシンプルな世界です。
 ある年のある作物が、予想外に採れなかった場合、悪いのは自分か天候です。それ以外ではありません。誰かにおもねれば収穫高が増えただろうとか、家族内にだれか邪な人間がいたから不作になったということでもありません。

 天候が悪かったか、私が何かした。水やりをサボった、遅霜(おそじも)対策を怠った、病害虫への対応が遅れた等々――。ですから誰かを恨むでもありませんし、あれこれ思案する必要もありません。
 台風一過ですべてが洗い流されても、今年一年を雑穀や草の根を齧って凌げば、来年の豊作は保証されているようなものです。なぜなら田畑が流されたということは上流から運ばれた肥沃な土が、洪水のあとに残されたということなのですから。
 
 かつて私は同僚の父親で、専業農家の方からこんな話を聞いたことがあります。
「百姓はこころ病まない」
 たしかにその通りです。人間関係だとこうはいかないのですが、百姓仕事には総じて悩むこともストレスもありません。シンプルで、がんばるか受け入れるしかない世界だからです。
(この稿、続く)

*「百姓」という言葉を差別用語のように感じる人がいます。
 しかしこの言葉は、「鄧」やら「周」やらと極端に姓の種類の少ない中国で、国民のことを「百姓(百の姓)」と呼んだことに由来します。当時の国民(百の姓)はほぼ全員が農業従事者であったため、百姓=国民=農業従事者となって、百姓は農業従事者と同一視されるに至ったのです。私は国民であることにも農業に携わっていることにも誇りを感じていますので、百姓という言葉も好んで使用しています。

「『悪い子』の反対は『いい子』? そして 『竜馬はどこへ行ったか』」~日本人にも難しい日本語③

 「悪い子」の反対は「よい子」なのか「いい子」なのか、
 「行く」の読みは「いく」と「ゆく」どちらが本来の姿なのだか。
 調べ始めたらとんでもないことが出てきた。
 私はこれまで何を学んできたのだろう。
という話。(写真:フォトAC)

【「悪い子」の反対は「いい子」なのか】

 次の◯◯に入る言葉はなにか。
「◯◯子、悪い子、普通の子」
 1980年代前半に一世を風靡した「欽どん!」というテレビ番組の人気コーナーの名前です。リアルタイムで見ていた人たちはかなりの年齢になるかと思いますが、知らなくても◯◯に入る言葉は予想がつくでしょう。その上で「良い子」なのか「いい子」なのかは問題になります。

 答えは「良い子」。40年余り前だとすんなり気持ちに入るところですが、もしかしたら現在だと違和感を持つ人もいるかもしれません。「いい子」でないとピンとこないという人も多くなっているはずです。
 私も文章を書いていてしばしば迷うところですが、「よい」は書き言葉的で「いい」は話し言葉的だと感じても、一昨日お話しした「なんで」→「なぜ」ほどの差はなく、どちらも普通に使えそうです。それでいて「良い」はやはり格式ばった感じで、「いい」は気楽な感じがするような気もします。
 調べると「良い」と「いい」はほぼ等価で、そもそも一方が他方に変化したというようなものではなく、成り立ちからして違うようです。

【「よい(良い)」と「いい」】

 「よい」は歴史も古く、『日本書紀』『万葉集』の時代から使われていてその終止形は「よし」。それに対して「いい」は江戸中期から使用例のある言葉で、元になったのは「えい(ゑい)」または「ええ(ゑゑ)」という侠客の話ことばだったようです。その「えい(ゑい)」が「いい」に変化していった――。
 そう言えば時代劇や古い芝居などではお年寄りが、
「ええ子じゃのう」
と子どもを誉める場面があって、てっきり私は「いい」が訛って「ええ(またはえい)」になったと思っていたのですが、順序が逆でした。「ええ(またはえい)」が「いい」になったのです。
 昨日「古い言葉は辺境に残る」と言いましたが、年寄りの口に残るのはある意味で当たり前です。
 
 ですからどちらを使ってもよさそうなものですが、「よい」を使えば少し古めかしく、少し硬くなること、そして「よい」には活用形が揃っていることも、覚えておくと何かと便利です。
「よ(かろう)」「よか(った)」「よい」「よい(とき)」「よけれ(ば)」(形容詞の活用には命令形はない)

 「いい」の方には終止形の「いい」と連体形の「いい」しかありません。しかし言葉は生き物、なかなか原則的に行かない面もあって、「いい」の連用形は方言として「いかった」などとして存在するのです。最近の若者も「いかったね」などと言いません? 面白いものです。

【「いく(行く)」と「ゆく」】

 今回思いついて調べ直したことの三つ目は「いく(行く)」と「ゆく」です。
 私はやはり「行く」は、「いく」でないと気持ちが悪い。もしかしたら子どものころ、日本語を覚えて増やしていく過程に、頼りにしたのが人との会話より書物だったためかもしれません。私の日本語は、書き言葉に忠実な面が強いようなのです。

 昨日も申し上げたように、「言う」は書き言葉では「いう」なので私も基本的に「イウ」と発音するのが日常です。「ユウ」に近くなることはあっても「ユー」には絶対なりません。なぜなら子供向けのどんな本を見ても「ゆー」と書いてあるものは絶無だからです。
 同様に「行く」は平仮名書きだと「いく」であって「ゆく」と書くことは普通はありませんから、私の発音も「いく」になります。動詞としての活用形も、
「いか(ない)」「いき(ます)」「いく」「いく(とき)」「いけ(ば)」「行け」と揃っています。
 だから「いく」が書き言葉的で、固く、古い感じがして、「ゆく」が口語的で文章になじまない――となんとなく思っていたのです。「ゆく」は過去形にもできませんし――。

 もっともそんな私でも、ピンと来ないのが「行方不明」です。気持ちとしては「いくえふめい」と発音したいのですが、これがすこぶる言いにくい。しかも発音できたとしても、榊原郁恵ちゃんがどこかに行ってしまった(郁恵不明)みたいな感じになって意味も取りにくくなります。極めつきはワープロで、少なくともwordでは「いくえふめい」で変換することができないのです(幾重不明・・・何重にも不明?)。

【驚くべき事実】

 この問題はこれまでも気になりながら、無精で放置してきたものです。それが今回調べたらとんでもないことになっていたのです。

「いく」も「ゆく」もともに万葉集に出てくるほどの歴史ある言葉で、どちらが正しいとかどちらが正式とかいうことのないと、そこまでは簡単に受け入れられます。ところがNHK放送文化研究所の解説によると、
一般的に、「ゆく」は文章的ないし詩的な文脈で使われ、「いく」は口語的・日常的な文脈で使われます。
だといいます。「いく」が文章的で「ゆく」が口語的だと、漫然と思っていた私の感じ方と正反対だったのです。
 しかもこの話はNHK放送文化研究所のサイトの「最近気になる放送用語」「街道をゆく」のページにあったものなのです。
 言われてみれば同じ司馬遼太郎の有名な小説も「竜馬がゆく」、大晦日紅白歌合戦の後番組は「ゆく年、くる年」、軍歌は「海ゆかば」、唱歌は「更~けゆく」、松尾芭蕉は「行く春や鳥啼き魚の目は涙 (ゆくはるや とりなき うおのめはなみだ)」と、「ゆく」の方が文語的・書き言葉的である証拠はいくらでも出てきます。
 私は今日まで何をやってきたのでしょう?
(この稿、終了)