こんばんは~照れ

今日は日曜日で。

本来なら大河ドラマの記事を書く日ですが。

今週はQEDシリーズの続きにさせてください。

「どうする家康」は、明日ウインク


昨日の記事↓

さて、続きです。


奈々ちゃんの妹・沙織ちゃんの取材に付き合って、鎌倉を散策しているタタルさん。

3人で鶴岡八幡宮・段葛にやってきたところで、熊つ崎さんこと、小松崎さんに出会います。


(いつもながら偶然過ぎて笑っちゃうニヤリ)


熊つ崎さんは、稲村ヶ崎の鋳物会社で起きた、社長失踪事件の取材に来たのですが。

その前に八幡宮へお参りしようと思ったんですってウインク


熊つ崎さんの登場で、話は少し事件推理にふれるのですが。

八幡宮には、公暁が隠れていたという大銀杏があるので。

話はすぐ、実朝暗殺の話へ移ります。


(この作品が書かれた頃は、まだ先代の大銀杏が聳えていたみたい。懐かしいな~)


実朝暗殺の場所が『愚管抄』では「石橋」になっているのは有名ですが。

この暗殺劇の真相はタタルさんにとっても謎が多すぎて手に負えないようで。

この辺りはあまり突っ込まれていませんでした。


その後一行は、頼朝のお墓参りをする。

もう少し先まで行くと、鎌倉宮があるので。

参拝はしていないのですが、会話の中に護良親王のことが出てきます。


護良親王が、なぜ

もりなが親王とも、もりよし親王とも、両方で呼ばれるのか。

そのことについて、タタルさん、おもしろいこと云っていましたよウインク

本来は護長親王[もりながしんのう]であったのに、わざと護良親王と書いて[もりよししんのう]と読ませたのでないか、と。


護良=ごりょう=御霊


いかにもQEDらしい発想で~おもしろかった照れ


(Wikipediaによると、単にフリガナで良をナカと読む史料があるので長年そう読まれてきた事例があるようです。真偽は不明ニヤリ)


頼朝のお墓参りを終えて、駅前に戻ったところで、4人はイタリアンレストランでランチ🍴

(男性陣はいつものようにアルコールキョロキョロ熊つ崎さん仕事中では?)


話は、頼朝の弟、息子たちの話になります。

義経の話も、他のところで少し出るのですが。

(沙織ちゃんは義経フリークらしいグラサン)

ここでは範頼の話になります。


範頼が、曽我兄弟の仇討ち事件と関係していた?という説から、

実は仇討ちは、頼朝暗殺計画だったのでないか、とか

十郎の持っていたのが義仲の愛刀で、五郎が持っていたのが義経の愛刀だった、とか

いろんな説が伝説を交えて紹介されていました。


まぁ、ここらは聞いたことある感じでしたねニヤリ


おもしろかったのは、頼家と併せて話が修善寺のことになってから。

政子が頼家の鎮魂のために建てたと伝わる「指月殿」

わたし昨年の夏に行ってお参りしたのですが。


タタルさんは、政子が指月殿を寄進したのは、頼家鎮魂のためだけではない、と云うのですよびっくり


頼家暗殺に手を貸してくれた人たちへのお礼だった、と云うのですガーン


指月殿がある場所は「桂谷」というので。

桂谷=葛谷=くず

披差別階級の人たちが住んでいた場所だった、というのですよ。


谷=荒れた山間の土地で。

逆に、同じような山間の地でも豊かなところは、沢というのだそうです。


北条にとって伊豆は地元。

修善寺の地には、政子たちの小飼となる人々が大勢いたのだろう、と。


その証拠かのように、修善寺橋近くの横瀬八幡宮には、比売神社という小祠があって。

女陰をかたどった御神体(自然石)は、政子が婦人病を直すのに使われた、という言い伝えがあるそうですよ口笛

政子が、秘かに婦人病を癒すのに修善寺へやって来ていたとしたら。

確かにそこは、政子が安心できる仲間がいる土地だったのかもしれません。


話は、実朝暗殺に移り。

義時の見た白い犬は

犬=イヌの密告があったのだろう、とされていました。

真相については、ほぼ大河「鎌倉殿」と似たような推測で断定は避けていた。


あとは、親王将軍が実現せず、まず摂家将軍が傀儡政権として成立したこと。


「承久の乱」は、

『皇を取って民となし、民を皇となさん』と、呪いをかけた崇徳上皇(保元の乱で流罪になった)のせいだと、当時ささやかれたこと。


その辺りが語られていました。


崇徳上皇は菅原道真と並ぶ、天下の二大怨霊なんですってねえー

『雷と天狗になりしご鬱憤』

というのがあるらしい。


怨霊関係については、むかし何冊か本を読んだと思うのですが。

あんまり覚えていないな~ニヤリ


江ノ島に乗って、長谷で降りるタタルさんたち3人。

(熊つ崎さんは事件を追って稲村ヶ崎へ行くので一旦お別れ)


長谷寺にお参りしてから、

御霊神社へ参拝。


こちらは一般的には、梶原にある御霊神社の分霊が祀られており、鎌倉権五郎景政の子孫である五家の祖霊~つまり景政を、五霊=御霊として祀っているといわれますが。

御霊ですから。

QEDではそうはいかないニヤリ 


かつて後三年の役で。

景政は、鳥海三郎という者に右目に矢を射抜かれたのだけど。

果敢に矢を射返して、鳥海三郎を撃ち取った。

血だらけで陣に戻った景政の、右目の矢を抜いてやろうと、三浦平太郎為次が、景政の顔に足をかけた。そうしたら烈火のごとく怒った。足をかけるとは無礼だと。

改めて、詫びたうえで膝を以て顔を押さえ、矢を抜いた為次でしたが。


タタルさんは、この話には引っかかる点があると云います。


なぜ為次は、仲間の顔に足をかけたのか。緊急とはいえ、いきなり足を(おそらく土足)かけようとしたということは~

同じ武士とはいえ、鎌倉権五郎景政は、三浦平太郎為次より身分が低かったのではないか、

という説に達していました。


おそらく景政は、鎌倉党の人だったのだろう。

のちに頼朝が奪う鎌倉の地を拓いた、身分の低い人たち。

土地を奪われた怨みを沈めるために、子孫である大庭景義が景政を祀ったのだろう、と。


ごんごろう=ごんごう=河童

かもしれない、とも

タタルさん、云っていました。


天狗は、海(あま)の狗(きつね)

海の狐が山に追いやられて、天狗になった、ともニヤリ


マユツバですが、おもしろいですね~照れ


一行は

長谷からひと駅乗って

極楽寺へお参りし、

忍性上人の功績を称えてから

また江ノ電に乗り、江ノ島へ。


車中で通過する

「稲村ヶ崎」の話になります。

その名のとおり、

ここでは砂鉄がとれたチュー


鋳土群れ[いなむれ]が、稲村ヶ崎になったのだろうとのこと。

「針磨橋」という、老婆が針を磨いて売っていたという橋もあるそうですね。

針はひとつ目『タタラ』の象徴でもある。

(ひとつ目は製鉄の職業病なのですニヤリ)

稲村ヶ崎に流れ込む極楽寺川は、かつて黒光りするほどの砂鉄層が見られたそうですよ。


この辺りは現在でも砂鉄がよく取れるそうで。

砂浜で砂鉄を集める遊びが出来るようですよ。

わたしがネットで調べた限り、

その鉄がどこから流れつくのか。

どこに元となる鉄の鉱脈があるのか。

果てして中世に産業となるほどの鉱脈があったのか。

推測はいろいろあるものの、現代でもまだその謎はハッキリしないようです。

興味深いな~びっくり


その砂鉄の取れる七里ヶ浜は。 実際には一里もないそうです。

荷姿の良い炭の輸送は三里、

砂鉄の輸送限界は七里、といい~『砂鉄七里に炭三里』という言葉があるらしいですが。

関係あるのかな?


背後にそびえる鎌倉山は、

火口ヶ岳ともいわれたそうで。

七里ヶ浜=火尻ヶ浜?


新田義貞は、砂鉄の取れる浜の神に祈るパフォーマンスてして太刀を投げたのだろう、とのことでした。


一行はやっと、最終目的地である

江ノ島へ到着チュー

江島神社へ参拝します。


辺津宮(下ノ宮)の後祭神は

「田寸津比売命」

鎌倉時代に良信という僧が、実朝に頼み込んで社殿を建てたそうです。


中津宮(上ノ宮)の後祭神は、

「市寸島比売命」

平安時代、慈覚大師の創建と伝わります。


奥津宮と窟(本宮)の後祭神は

「多屺理比売命」

こちら古く、欽明天皇の頃といいますから~仏教が伝来し、聖徳太子が少年ながら戦った頃ですね。


五頭龍伝説というのがあるそうで。

対岸の、龍口寺(日蓮が処刑されそうになったところ)の近くに

龍口明神社というのがある。


約千五百年前、深沢に大きな湖があった頃、そこに龍神が住んでいて、村を襲っては女子供をさらっていたそうなんです。

腰越=子死越

だそうキョロキョロ


やがて、地震で隆起した江ノ島に、弁財天が降臨し

龍神は弁財天に求婚。

けれど、弁財天は龍神の罪を責め、龍神は心を入れ替えて村を守ると誓います。

二神はめでたく結ばれた~はずのですが。

なぜか対岸に、離ればなれに祀られている。

けれど、六十年に一度

龍口明神の御神体である五頭龍の木彫りが、江ノ島まで御輿で運ばれ、弁財天へ引き会わせるお祭りがある。

これは

無理やり引き離された者に対する鎮魂の祭りだと、タタルさんは云います。


江島神社の後祭神は、いわゆる宗像三女神。

三女神は、アマテラスとスサノオの娘たち。

五頭龍神=牛頭天王=スサノオ

スサ=朱砂=水銀

八坂神社あり

弁財天=アマテラス?


タタルさんの話はどんどん広がって。

いろいろビックリですが。

とこかで聞いたような話も多い。

φ(・ω・*)フムフム...ニヤリ


話はやがて、奥州制圧に移っていきます。


頼朝との逸話の多い、文覚上人が

、弁財天による奥州藤原氏調伏を祈願したという話。

この時に、大弁財天が勧請されたそうですよ。

それは養和二年四月五日の巳の日。

なんと二十一日間、断食呪詛・調伏祈願したそうです。

けどこの年は、まだ

頼朝が鎌倉入りしてからまだ一年半後ニヤリ

まだ平家が健在なとき。

なのに奥州藤原氏?


そこには、江ノ島弁財天ゆかりの「三ツ鱗」を家紋とする

北条氏の意向が働いたのだろう、とタタルさんは云います。


頼朝はともかく、北条は、初めから奥州を狙っていた。

奥州の金を。


江ノ島にも金はあった?

窟は金窟ともいわれたそうです。

江島神社は

金亀山与願寺ともいわれたそうですからね。

QEDとしては~ね?ニヤリ


なんか北条の意向がそこまで強かったなんて、ということで。

頼朝はそんなに北条にコントロールされていたのか?と

沙織ちゃんは疑問に思います。


そこでタタルさんは、

途中だった、御霊神社の祭りでおる「面掛行列」の説明をします。


「面掛行列」

鎌倉権五郎景政の御霊神社で

九月十八日のお彼岸の頃に行われるお祭り。

お彼岸は怨霊たちの命日ウインク


爺・鬼・異形・鼻高・烏天狗・翁(寿老人)・火吹男(ひょっとこ)・福禄(福禄寿)・阿亀(妊婦姿)・女(とりあげ)、番外で猿田彦の面を被った人々が、阿亀を中心に行進するお祭り。


この阿亀(妊婦)は、頼朝が妊娠させた女性だといわれています。

(他の本でも読んだことがあるびっくり)

一説には

矢野弾左衛門の娘・菜摘御前だと。

弾左衛門、江戸時代の賎民の親玉のことですよね?


「川原巻物」というのがあって(偽書だそうですが)

そこに、鎌倉長吏が頼朝から許可を得たという、二十九種にもわたる職業が書かれているそうなんですよ。

座頭・舞々・猿楽・壁塗・土偶作・鋳物師など。

賎民と呼ばれた人々。


頼朝は、その階級の人たちと交流があり(援助を受けていた?)、女性を妊娠させて、怒りを買った?


『吾妻鏡』にも載っている、

『御霊神社鳴動』の事件。

それはこのことを著している?


タタルさんは、

頼朝の源氏の、当時の扱われ方は、非常に軽い、と云います。

権威はあるが

実権はないかのよう。

そして

こんな絵を見せる。

四分の一ほど欠けた黒い丸が四つの中に菱形が一つ見える。

見えるけど、ホントは菱形なんて存在しない。

あるのは欠けた円だけ。

ドーナツの中空。


頼朝は、周囲の力によって権威だけは備わっている存在だったのだびっくり

そんな頼朝を抱いた鎌倉は、

三方を山で囲まれ、海に面している。

まるで、頼朝という操り人形を閉じ込めておくための城。


出入口は鎌倉党が押さえている。

きれいな水も、鉄も、金?もニヤリ


北条だって、彼らをおろそかには出来ない。

出入口付近には、多くの寺社が建てられた。

彼らへの贈り物として。


そして、頼朝は。

いまは正確な墓すらわからない。

彼は怨霊にすらなれなかった。

権威だけの軽い扱いを受けたにもかかわらずニヤリ


これでタタルさんの

QED~証明終わり。

鎌倉は、権威を閉じ込めておくための城だったチュー

最初の権威は頼朝、次は頼家、実朝、摂家将軍、親王将軍。


これが

わざわざ流通の不便な鎌倉に、

武士たちの府があった理由。


おもしろいですね~チュー


いつもながら専門家が

この説をどう思うのか、

聞きたいウインク


失踪事件推理のほうも、

トントン拍子に終わり。


タタルさんは熊つ崎さんと待ち合わせるために、江島神社の奥津宮へ参拝できなくなり、不本意のようでしたが。

まぁ、失踪事件の推理も出来たし。

棚旗姉妹ふたりと、一日中、鎌倉を散策が出来たのだから。


楽しかったのではないかしら?ウインク



次のタタルさんのQEDも

楽しみです。



長くなりました。


今日はもう誤字脱字チェック出来ないので。

間違い多かったらスミマセンお願い


QEDシリーズ、

不定期に続きます。



お読みいただき

ありがとうございました。