【歎異抄】の13章に
親鸞と唯円のこんな会話があります~
またある時に、親鸞聖人から
「唯円房は私のいうことを信じるのか」
と聞かれたので
「もちろんでございます」
とお答えしたところ
「そうであれば私の言うことに従うのか」
と重ねて聞かれたので
「慎んで承知致しました」
と答えました。
「そうであれば、千人の人を殺してくれ、そうすれば往生することが確定する」
と親鸞聖人がおっしゃったので
「聖人様のお言葉ですが、私のような者の器量ではただ一人でさえも殺すことができないと思います」
と答えて申し上げると
「ではどうしてこの親鸞が言うことに逆らわないなどと言ったのか」
と言われました。
「これでお前も知ることができるだろう何事も心の思うままに決められることなのであれば、極楽往生のために千人を殺せと言われればすぐに殺せるはずなのである
しかし、たった一人さえも殺すことが出来ない過去からの業縁を背負っていればこそ、お前は他人を害することができないのだ
自分の心が善いから殺さないのではない、また殺したくないと思っていても百人・千人を殺さなければならない業縁もあるのだと仰られた」
ここから
「倫理」と「スピリチュアル」は
混同しやすいけれど別ものだよん
って話をw
私がガイドさんとお会いし、スピの世界に足を踏み入れて
最初に感じた違和感がこれでしたw
デジタル大辞泉では「倫理」を
りん‐り【倫理】
人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。
と定義しています
分かりやすく言えば
人を殺すことは良くないよ
故意に人を傷つけないようにしよう
ということです
もちろん、社会生活をする上ではこれらは大切なことです
私も「燃えるゴミは月水金」は守っていますw
ところが
ガイドさんは「倫理」を言わない
のですねw
(混同されている方は、ここがもう分らないっぽいですがw)
倫理は「物質世界の人間社会での概念」であり
非物質の存在にとっては「どーでもいー」ことなのです
誤解を恐れず極論をいえば
人を殺してもいい
人を傷つけてもいい
ということです
(非物質の世界からの視点で「殺人者さんも加害者さんも許されている」という極論であり、殺人や傷害をすすめているわけではありません。念のため)
むしろ
その体験でどんな感情を抱いたの?
っていう点に、ガイドさんらーのよだれ…いや興味が集中しますw
この「倫理」の派生バージョンに
日本すごい!
日本人すごい!
これから日本がリードする!
がありますw
「ガイアの法則」などの概念もあり
それもまた楽しいのですが
スピリチュアルと混同する
と面倒くさいものになります
「日本すごい!の倫理」と
「スピリチュアルに沿った生き方」とは
やっぱり切り離したほうが楽チンチンなのです
これまた
ガイドさんは「国家」「政治」「人種」「大地」の善悪、優劣を言わない
のですw
むしろ、ガイドさんらーは
日本すごい!日本人目覚めよ!と
倫理と混同させたスピリチュアルにハマって
どう感じた?
どんな感情を抱いたの?
ねえねえ♡
って感じですw
「目をキラキラさせるポイントw」が
人間とガイドさんでは違うのですねw
(日本には「日本人すごい!」の概念がありますが、当然「英国すごい!」「米国すごい!」「ロシアすごい!」「チャイナすごい!」「韓国すごい!」の概念が各国に根強くありますwこれとスピリチュアルや宗教、信念が結びつくとケンカや優越感になるわけです)
ガイドさんらーが目をキラキラさせるポイント
すなわち
ガイドさんと一心同体であるあなたの内部から湧きあがる
感情
感覚
思念
っていうものを大切にしますと
倫理も大事だけれども、それはそれ
って感じで「スピと切り離して捉える」ことができ
コーフンが鎮まり、楽チンチンになります
【おまけ】
マッコウクジラとの遭遇