醜悪な太陽光パネル・考
機能美
人間の社会生活に人知れず貢献している機能は、おおよそ美を備えている。
その機能に美がないもの、醜悪なものとは、一体どういう事だろう。
おそらくそれを建設した人間の心の中に、「公」の心が欠如しているのかもしれない。
私心に比例して機能美が失われていく
公の心に比例して機能美が生まれてくる
としたら、
木曽川に多くの機能美を見る
なんのかんの言って、
福沢桃介の心に
公の心があったのだと思う
この写真の醜悪なパネルは、何を語っているのだろう
その淵源は空き菅に通ず。