『三島由紀夫、川端康成の霊言(現代日本への憂国のメッセージ)』大川隆法著読了
『三島由紀夫、川端康成の霊言(現代日本への憂国のメッセージ)』大川隆法著読了。
昨年、2020年は三島由紀夫没後50年でテレビ等でいくつもの特集あるいは言及があった。私もBSの特集を2本見た。またネットの討論番組で三島特集も見た。
大川総裁もBSの特集をご覧になられて、その縁もあって収録されたようである。
私は、活字に先立ち、霊言音声を拝聴していた。
そして、今回、一冊の本になったわけだが、大川総裁のまえがき、あとがきが加わって、ある意味、三島由紀夫の「総括」がなされた感がある。少なくとも、私の中でどこかで得体のしれない三島像がくっきりと鮮明な輪郭をもった。
さらに私的には、まえがき、あとがきが全てであった。極論すれば、コンテンツは読む必要のないほど、それらはひとつの完成された独立した「作品」であった。
身贔屓に聞こえるかもしれないが、没後50年にあたって、三島研究者等により、数々の三島論が発信されたと思う、私はそれらのほんのひとかけらを読んだに過ぎず、生意気な事を書く資格はないが、おそらく大川総裁のこのまえがき、あとがきがあまたの評論の中で「白眉」であったと思う。
一か所だけまえがきから引用させて頂きたい。
その箇所は帯のコピーにもなっている。
「地上ユートピア化への道は、粘り強くなされねばならぬ。命のはかなさをめでるよりも、見苦しくとも人生を闘い抜くことこそ人生の意味である。」
この言葉は、平凡性を自覚し、緩慢な日常の中で、ましてやコロナ禍の日常の中で地を這って顔オムツをして見苦しく生きている私みたいな庶民のひとりにとってどれほど救われる言葉であろう。
先日は、邇邇芸命の妻(三島由紀夫の過去世は邇邇芸命)であり、木花咲耶姫でもあった女優「竹内結子」の人生を振り返って「40年の地上人生が神との約束・・・桜のように散りました・・・・」という言葉に接して、切なさの極限を味わって、今回、これまた散る美学の権化のような三島氏の霊言。
竹内結子氏の人生(桜)の余韻と
三島由紀夫氏の人生(桜)の余韻は、いささか違うのだが、なるほど、日本文化の在り様に両氏が歴史的に深く影響を与えていることは実際に理解できた。
今回、聴聞者とのやり取りで、三島由紀夫氏の誤謬が追及されていた中で、「あなたは桜に向かって、散るな!一年中咲いていろ!と言っているようなものだ。」という箇所がある。これには失笑してしまった。
桜のように散る美学を体現する魂がある。
それらは日本文化に深く影響を与えた。
それらの価値を認めた上で、
「命のはかなさをめでるよりも、見苦しくとも人生を闘い抜くことこそ人生の意味である。」とコロナ禍を生きる大多数の人々に発せられた言葉を重く受け止める。
最後に、三島由紀夫氏は自らの命をこの国のために捧げたのに、あれから50年たっても日本は全然かわらないことに、業を煮やして今回の霊言の言葉は、絢爛豪華な三島文学の言葉とは違う。無力感が爆発して攻撃的な言葉が並んでいる。
三島文学の文体の美と、霊言の荒んだ言葉とのギャップに、霊言に慣れていない読者は戸惑うだろう。
しかし、霊言というのは、文学者の絢爛豪華な言葉たちが末端の技術だとすれば、その大元に存在する思いそのもの裸の言葉が「霊言」である。技術による装飾が剥がされた裸の言葉が霊言である。つまり本音。
もっとわかりやすくいえば、絢爛豪華な三島文学の文体が、赤いスポーツカーとしよう。しかし、運転中に前の車がどんくさいのろま運転をしていて、ドライバーが吐くことば「阿保か、とっととスピード出せや!」これが霊言である。
この差を理解できない読者は、これが三島であるはずがないと思うであろう。
老婆心ながら、30年にわたって霊言を体験してきた立場から書き添えておきます。