ミケランヂェロは、いま、生きている。 うたがうひとは、「ダヴィデ」を見よ。 | 加納有輝彦

ミケランヂェロは、いま、生きている。 うたがうひとは、「ダヴィデ」を見よ。

ミケランヂェロの「ダヴィデ」像は、正義の戦いに挑む戦士を鼓舞し続けてきた。

 

いま、悠久の時を、魂修行の場として、美しい環境を提供し続けてきてくれた愛の塊、愛の星地球が、邪悪な全体主義に覆われようとしている。

 

 それはひとり、共産主義国家のみならず、資本主義、民主主義国家さえも全体主義に汚染されようとしている。

 

 それは現在只今、世界中が「感染症全体主義」と言われる様相を呈している。

 

 「メシアの法」大川隆法著において、再び「ダヴィデ」に言及があった。

 

ダヴィデの物語は、メシアの法の号令のもと、愛の塊、愛の星地球を守らんとする、正義の戦いに挑まんとする我々、幸福実現党の党員の魂をも揺さぶる。

 

 ここにかつて、ミケランヂェロの「ダヴィデ」像から、社会正義の戦いに勇気を得た人の著書から引用してみたい。(著者の思想の誤謬は十分、認識するものであるが、そのユートピア思想への憧憬は、純粋なものであった。彼は詩人でもあった。)

 

「ミケランヂェロ」より引用

 

 ミケランヂェロは、いま、生きている。

うたがうひとは、「ダヴィデ」を見よ。

ダヴィデは少年である。かれが、怪物ゴリアをたおす決心をつげたとき、ひとびとはかれをとめた、が、確信をもったかれは、一本の石投げに石をもっただけで、ゴリアにむかって行った。

 

そして、少年ダヴィデはついに怪物ゴリアを倒した。

 

 ミケランヂェロの「ダヴィデ」は、ルネサンスの自由都市国家フィレンツェの中央広場に、その議会の生面の階段をまもって、立っている。

 

身には一糸もつけず、まっしろの大理石のまっぱだかである。

そして左手に石投げの革を肩から背にかけ、ゴリアを倒すべき石は右手にしっかりと握っている。

 

 左足はまさにうごく。

 

見よ、かれの口はかたくとざされ、うつくしい髪のしたに理知と力とにふかくきざまれた眉をあげて眼は人類の敵を、民衆の敵を凝視する。

 

かくのごとく美しいものが、この世にあり得るのか。

これこそ、まことの芸術の限りなき美しさである。

 

民衆の明朗をおびやかす如何なる怪物ゴリアをもついには倒そうとする理知の憤怒にもえたその顔、辛苦から力を得たその大きな手、わかわかしさにみちて立つその両足、ああ、この純白の大理石にかがやく少年「ダヴィデ」の裸体こそは、真の芸術の何たるかを、むかしも、いまも、いつまでも、その前 に親しくむれあつまる人々にかたりかけてやまぬのである。(引用終わり)

 

 民衆の明朗を自由をおびやかす人類の敵、怪物ゴリアとは、偽メシア、唯物論者、全体主義者である。現在では、ズバリきんぴらごぼうである。 

 

 香港は彼の手に堕ちた。

 次は台湾。

 

台湾は生命線である。

 

むろん、日本の国防の見地から生命線であることは間違いないが、

実は、愛の星地球にとっての生命線そのものなのだ。

 

台湾が突破されたら、雪崩の如くドミノ現象が地球を襲う。真っ赤に染まるのである。

 

 なんとしても台湾を守らねばならない。さもなくば、魂修行の場としての愛の塊、愛の星地球がその崇高な使命を果たせなくなる。

 

  

 しかし、少年ダヴィデのたたかいを止めようとしている勢力は強大である。

 

ほどんどの政治家。

そして経済界。

とりわけ公明党。

 

そしてなぜか、新しいテレビ怪獣である「橋下徹」氏である。声の大きさで彼の影響は絶大である。

 

「靖国に行ったら、C国で商売している人を困らせるではないか。」と靖国参拝を公言した高市早苗氏を困らせたことは象徴的であった。

 

 彼の「政治は政治。商売は商売で、しっかり儲けさせてもらう。別の話」彼の持論は、大方の経済界の意見を代弁している。

 

 しかし、その二枚舌外交は、神仏が明確に否定するものである。神々は「不正義」つまり卑怯者がお嫌いなのである。

 

我々は、まず、象徴的な戦いで勝利を期する。

「中国共産党の人権弾圧をやめさせ、台湾と沖縄の防衛強化を求める署名」を開始する。

少年ダヴィデの如く我一人たつ!

我一人たつ覚悟ができたとき、

不思議と仲間ができる。

 残された時間はそう多くはありません。

 

心ある皆さまのご協力を切にお願いする次第である。

 

TAKE A STAND

 

 

 

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