地獄への道はひろしの醜悪な動画により敷き詰められている | 加納有輝彦

地獄への道はひろしの醜悪な動画により敷き詰められている

First Encounter

 

 昭和の時代、地方であっても駅前商店街には必ずといっていいほど、小さな本屋さんがあった。

これに関して、何かの本で、外国人が驚いていた記述を読んだ記憶がある。

 

外国人曰く、

 ~日本の地方の駅前商店街には、必ず小さな本屋がある。

そして驚くなかれ、本屋には、プラトン、アリストテレス、ヘーゲル等の翻訳本が必ずといっていいほど売ってあるのである。これは信じがたい驚きであった。~

 

 そう、岩波文庫が置かれてあったのだ。

 

2016年時点でのデータであるが、岩波文庫の売り上げベストテンは以下の通りという。

 

1『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン/久保勉訳

2『坊っちゃん』夏目漱石

3『エミール(上)』ルソー/今野一雄訳

4『論語』金谷治訳注

5『こころ』夏目漱石

6『銀の匙』中 勘助

7『マルクス エンゲルス 共産党宣言』大内兵衛・向坂逸郎訳

8『善の研究』西田幾多郎

9『歎異抄』金子大栄校注

10『古事記』倉野憲司校注

 

ソクラテスの弁明が堂々の一位である。

 

 さて、そんな環境にあった昭和の時代、青春期を生きた私は、幸福の科学との初めての出会いはJR中央線武蔵境駅前商店街にあった書店でのことであった。

 

「キリストの霊言」善川三朗著 1986.1.10発行 潮文社

当時の簡単な読書感想には、1986.1.26の日付となっている。

 

活字は、凸版印刷によるものであった。

 

 本の手触りと共に、その衝撃が深く心に刻まれた。

 

 動物の中には、初めてコンタクトした動物を親と認識するように、一冊の本との出会いが、魂の親との出会いの縁となったのである。

 

 私と同世代の信者さんは、おそらく初めての出会いが書店の片隅で行われたのではなかったろうか。

 

さて、時は流れ、現代、スマホ全盛の時代となった。

 

活字離れと言われて久しいが、実は、スマホの中の大量の活字を現代の若者は追っている。もちろん、主役は動画になった。

 

 少なからず、現代の若者の幸福の科学とのFirst Encounterは、ひろしの動画となった。

 

悲劇である。

 

このような悲劇を、昭和に青春を送った我々は想像だにしなかった。

 

奥深い悟りの可能性を、人生の妙味を、このFirst Encounterが謝絶する。

 

これ以上の悲劇はあるまい。

 

ヨーロッパの格言
「地獄への道は善意で敷き詰められている」

 

は、さしずめ現代では、

「地獄への道はひろしの醜悪な動画により敷き詰められている」となろうか。

 

 

 

 

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