意味ある偶然 ~三波春夫~
意味ある偶然
昨日の夕方、詩人書家、相田みつを氏の甥御さんが、三波春夫さんの生前の素敵なエピソードを紹介しておられ、とても感銘をうけたのでシェアさせて頂いた。
それを読んでいた妻から夕食後声がかかった。
「BSで三波春夫さんの特集番組やってるよ。」
これは意味ある偶然と思い、私は、すぐさま番組を見た。
司会は高橋英樹。三波春夫の一生をヒット曲の数々と共に振り返る構成。歌は生前の本人歌唱のものと共に、細川たかし、市川由紀乃、三山ひろし、彩青が熱唱。コメントゲストとして、武田鉄矢、さだまさし。
7歳で実母が病死。その後、母のいない寂しさを埋めるため、父親は子供たちに民謡を教えた。それが歌に目覚めるきっかけを与えたという。家業の低迷で、夜逃げ同然に上京。世は戦争に突入。20歳で招集され満州へ。
戦後、4年間シベリア抑留・・・そんな半生が語られた。
1999年12月、病身にあった76歳三波春夫最後の紅白歌合戦。
私はテレビでその場面を見ていたことを鮮明に記憶している。
そこで歌われたのが、「長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃」
記憶が定かではないが、フルバージョンに近い形で歌われたと思う。フルで8分以上、フルは無理だったのかもしれないが、私はその歌唱に度肝を抜かれた。
架空の存在であるが、忠臣蔵四十七士の助太刀をする俵星玄蕃の心意気を歌ったものである。
この曲に関する武田鉄矢氏のコメントが心を打った。
「日本は戦争に負けたが、三波さんはこの曲に、負けた日本兵の矜持の一端(一太刀)を込めたのだと思う。」
なんか、このコメントにぐっときた。
武田鉄矢さんといえば、面白い記憶がある。初期の頃の宿泊研修で、ある信者さんが大川総裁先生に質問した。「先生、私は武田鉄矢さんを尊敬しています。武田鉄矢さんをどう思われますか?」こんなニュアンスの質問をされ、先生は少々困られたが(笑)、「ご立派な方と思いますが、彼は、今ここにはおられませんね。でも、あなたはいらっしゃる。・・」こんな感じで、質問者に対して、ここにいるあなたも素晴らしいですよ・・・みたいな返答をされ、まあ、微笑ましい記憶となっている。
武田鉄矢氏は、こうもコメントした。
「三波春夫さんの長編歌謡浪曲は、私は知らなかったのですが、三波さん自身が作詞作曲されておられたんですね。これらの作品は、例えていえば、近松門左衛門に匹敵する筆力だと思うんですよ。凄い!」
すると、三波さんの長女、美夕紀さんのコメントがVTRで流れた。
「父は、長編歌謡浪曲のために、自分で歴史書を調べて自分で書いていました。」
スタジオに長編歌謡浪曲の生原稿が持ち込まれ紹介された。何十枚もの毛筆で書かれた原稿用紙の束である。
なるほど、美夕紀さんが、家にいるときの父三波春夫は、ほとんどが読書をしていたというのは、長編歌謡浪曲の下調べのため、歴史書等を紐解いている姿だったのである。
そしてそのレベルの高さから武田鉄矢氏は、近松門左衛門の名を出したわけだ。
若い三山ひろし氏も、三波春夫氏の長編歌謡浪曲の何曲かを持ち歌としている。番組で披露した。
市川由紀乃さんも勉強しているという。番組では、一本刀土俵入りを披露した。
三波春夫氏の長編歌謡浪曲に感じられる武士道精神は、三波氏が聖徳太子を尊敬しておられることを考えると、
天御祖神から流れ出た武士道精神に違いないと思うのである。
三波春夫~俵星玄蕃フルバージョン~
一本刀土俵入り