書いてはいけない | 加納有輝彦

書いてはいけない

この前、森永卓郎氏の「ザイム真理教」について、若干投稿した。

さて、ガン罹患を公表した森永氏は自ら余命幾ばくも無いと、多くの関係者によって墓場までもっていかれようとしているタブーを、それを阻止すべく、財務省タブーと共に御巣鷹山に墜落し500人の犠牲者を出した空前の墜落事故「日航123便墜落事故」のタブーについても告発している。

 

 日航123便墜落事故は、事故にあらず。自衛隊の誤射?による墜落であって、表向き、ボーイング社の整備不良ということにし隠蔽されたというのである。

 

 1985年当時は、中曽根首相。レーガン米大統領に対して「不沈空母」と日米一体感を演出し蜜月ぶりをアピールしていた。自衛隊マターが表に出たら、天地がひっくり返る大騒動になっていたであろう、日米同盟の観点から、それを避けたわけである。

 

日本政府は、ボーイング社に対して莫大な借りを作った。ゆえに、直後のプラザ合意、半導体協定等、それ以来、アメリカの要求を全面的に飲むしかない、完全な属国としての歴史が始まったというのである。

 

 森永氏は、元日航の客室乗務員で、「日航123便墜落事故」の真実をライフワークにし多数の著作を世に問うてきた青山透子博士(東大大学院博士課程修了)を支援している。

 

 森永氏の新刊をきっかけに、私も、図書館で「日航123便墜落の新事実~目撃証言から真相に迫る~(青山透子著)」を図書館で借りて読んでみた。(2017年発刊。図書館の蔵書は、なんと17刷りであった。大ベストセラー作品である。)

 

 実は、私は、この事件に関し自分の中では不思議な感覚というか体験がある。

日航123便が墜落したのは、1985年8月12日の夕刻。盆休みに入ろうとしていた時期であった。

 

 当時、私の職場は、西新宿の高層ビルの30階であった。(前田朗さんもひょっとすると、この時期、お隣の高層ビルにいらして、この日の富士山を覚えておられるかもしれない。)

 

あの日は天気がとてもよく、ビルの窓から富士山が見えるのだが、その日の富士山は格別に美しかった事を鮮明に覚えている。そんな美しい富士山を見た夕刻に、ニュースが飛び込んできたわけである。

 

 後日犠牲者の氏名が公表されて私は目を疑った。

 

ほんの数週間前に、水戸駅で偶然、私は坂本九さんとすれ違って「あっ?九ちゃんだ!」って興奮したばかり。

 さらに驚くべきことに、同じ時期に、東名高速のSAで、お弟子さんと共にいた元大関清国をまじかで見たのである。当時清国は、現役引退して10年以上が経っており、伊勢ケ浜部屋の親方であった。

 

 九ちゃんは、墜落事故で亡くなり、清国本人は乗っていなかったが、清国の当時の妻と長男長女、3人の家族を墜落事故で失った。

 

 そんな事もあって、知人ではないにせよ、珍しく遭遇したばかりの著名人が巻き込まれたこの墜落は、私にとっても生々しい記憶として残った。

 

あれから40年近くも経って、このような形で振り返ることになろうとは夢にも思わなかった。

 

 東大で博士号を取得した青山透子氏の著作の内容は、信用に値する筆致で、なるほど、数多くの証言等と、政府の事故調査報告書の矛盾は隠しようがない。重大な事実が隠されていることは間違いない。

 

 国民の「知る権利」が隠蔽によって侵害されている事は間違いなさそうだ。

 

青山氏も、さんざん陰謀論と攻撃され、親しい人の裏切り等、悲しい経験をされておられるが、ここにきて、森永卓郎氏の支援は非常に心強いものがあったと本人の公式ブログで吐露されている。

 

それにしても大手メディアと政府が一体となって、隠蔽する。歴史は繰り返される。今現在も我々は目隠しをされ無告の民であろう。

 まだ123便墜落事故は終わっていない。



青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相~日航123便墜落事故の真相を究明――歴史的裁判開始の幕開け――~
https://tenku123.hateblo.jp/

 

 

 

 

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