高天原(倭国)の天照大神(卑弥呼)は、

布津主神と武御雷神(ともに物部氏の祖先)に命じて、

豊芦原中国の王都出雲を攻めて侵略すると、

 

(『古事記』では三保の岬で釣りをしていたのは

大国主命の息子の事代主命とされているが、

私は大国主命本人だと考えている)

豊芦原中国大王の大国主命は神の逆手を返して、

青芝垣に隠れたとされ、即ち殺されています。その後、

大国主命の為に出雲大社が建てられたのは、祟りを恐れたからでしょう。

 

高天原(倭国)は豊芦原中国を獲り込むと、

かなり大きな勢力圏を得たので、その後神武天皇は東征して、

倭国の首都邪馬台国を筑後山門から国の中心に近い畿内登美に遷都しています。

 

ところが畿内に新たな王都を築いた九州人たちは、

故郷の筑後の山門(やまと)国を偲んで、

新王都を畿内の山門(やまと)国と呼ぶようになりました。

 

ところが読み方は其の儘にして、

文字だけは国名の倭国を持ってきて、

大きな倭国になったので大倭国と書いていたが、

中国文化が日本に伝わると大和朝廷は「倭」が悪字であることを知り、

良字の「和」に変えて大和国に改めたことが、

『紀・紀』偏差時に唐で書かれていた『旧唐書』『新唐書』に記されています。

 

この考え方以外に大和国を(やまと)国とは読みようがありません。

普通は(ダイワ)国でしょう。

 

 

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