『先代旧事本紀』によると、

天照大神と須佐之男命の誓約で生まれた五男神又は六男神の長男、

正哉吾勝勝速日天押穂耳(オシホミミ)尊と

高皇産霊(タカミムスビ)神の娘で思兼神の娘、

万幡豊秋津師姫栲幡千千姫命と結婚して、出来た子、

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(以下饒速日命)は、

 

天照大神から天照の名を受け継ぐと、

(鏡や刀、珠、比礼など)の瑞宝十種を貰い受け、

 

防御の人三十二人と、五部の人、五部の造、

及び二十五部の天物部を引き連れて、天磐船に乗り込むと、

畿内河内国の河上の哮(イカルガの)峯に天下り、

大倭国の鳥見の白庭山にお遷りになったと記されます。

 

饒速日命は長脛彦命の妹、御炊屋姫と結婚し、

長男宇麻斯麻遅命を授かるが、子供が生まれる前に亡くなったとされます。

 

これが、『古事記』になると、

天国玉(アマツクニタマ)の息子とされる天若日子、又は

『日本書紀』に記される天稚彦(アメノワカヒコ)は、

高皇産霊日神、又は高皇産靈尊から、

天之麻迦古弓(アマノマカコ)弓、天之波波矢(アマノハハ)矢を授かると、

芦原中国に降臨したと記されています。

 

蘆原中国に降臨したアメノワカヒコは

大国主命、或いは顯国玉(ウツシクニタマ)の娘・下照姫或いは高姫を娶るも、

8年経っても高天原に報告しませんでした。

 

すると、怪しんだ高皇産霊日神は名無しの雉を遣わして探らせたところ、

アメノワカヒコは「怪しい鳥が嫌な声で鳴いている」として、
天之麻迦古弓で天之波波矢で射殺したところ、

矢は雉を貫き、高天原迄飛んで、高皇産霊日神の前に落ちたと記されます。

 

高皇産霊日神はこの矢を持ち、「この矢は討った者に当たれ」と念じて射たところ、

心臓を貫かれたアメノワカヒコは、亡くなったとされます。

以上、【返し矢恐るべし】の語源。

 

以上より、饒速日命と天の若日子は同一人物。

『記・紀』は明らかに饒速日命を隠蔽していると思われます。

その為か、『記・紀』はアメノワカヒコを、使えない人物と蔑んでいます。

 

隠蔽及び蔑みの理由、それは初代天皇が本当は神武ではなく、饒速日命だったからです。

『記・紀』はアメノワカヒコを使えない人物とすることで、

初代天皇・神武が立派な人物であったことを、引き立てたかったのでしょう。

 

 

 

 

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