ときどき途中下車

ふと、浮かんで来るチョットした事の記録です。

年賀状で想う〝複雑〟

2022-01-05 05:21:24 | 雑文


年賀状を書いたり、
受け取ったりする習慣が身に
ついたのは、仕事を通して、
と言うのが多いのではなかろうか。

自分の場合はその通りで、
その仕事の中身が濃くなるに連れて、
互いの関係は発展する。
当然のことながら年賀状のやり取りが
はじまる。

互いの関係は、仕事と言う枠を超えて、
公私にわたって、欠かせない関係に
なることは大いにある。

家族、親戚、同級生とのツール、
年に一度の葉書のやり取りが、
年齢を重ね成長するごとに、
差し出す範囲が広がってゆき、
やがて、仕事上で知り合った人々との、
やり取りに至るのだが、
仕事上の関係には期限がある。
サラリーマンの場合が顕著だ。

年齢を重ね、やがて職を離れる。
定年を迎え、仕事を卒業しても、
仕事を通して築いた人々との、
年賀状のやり取りは続くものだ。

職場の同僚後輩先輩だったり、
仕事を頂いてきたスポンサーだったり
と様々である。数人ではあるが、
家族や級友同様に、自分の人生にとって
かけがえのない人々なのだ。

コロナ禍、遠出するのが、はばかれる
困ったご時世である。
とりわけ世話になった、年上の幾人かには、
せめて年に一度のご挨拶、
互いの安否を確かめ合うツール、
と言ったら、ちょっと悲しいが、
欠かせない交流の手段が、
年賀状だと思ってきた。
その、幾人かの方々が、新年を迎え、
喜寿を超える。

賀状を出す方、
つまり自分の気持ちはともかく、
受け取る相手方の事を思うと、
ちょっと複雑な気持ちに襲われる。

「本年を持ちまして皆様へ年始の
ご挨拶を控えさせていただく事と・・」
と、送ってこられたらまだしも、
自分からは、とても書きたくない。
出し続けてきたのが自分だし、
これに答えてきてくれた先方である。
でも、喜寿超え、九十代の先方に
迷惑にならないか、

この暮れには、また悩むに違いない。

読んでくださった皆さんには、
同様の気持ち感じる方が、
少なくないと思います。
お気持ちなど、お教えいただければ
幸いです。

    

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