エリザベス2世の最後の旅

イギリスエリザベス2世が、9月8日にスコットランドのバルモラル城でご逝去されました。

女王の棺は、9月11日にスコットランド首都エディンバラに到着し、ホリールードハウス宮殿に一晩安置された後、9月12日に聖ジャイルズ大聖堂で公開安置されました。

9月13日に、イングランド首都ロンドンバッキンガム宮殿へ戻り、9月14日に、宮殿前の大通りザ・マルホースガーズ観兵場、官庁街ホワイトホールを通って、ウェストミンスター宮殿に運ばれ、ウェストミンスター・ホールで公開安置されました。

9月19日に、ウェストミンスター寺院で国葬が行われ、ウィンザーに運ばれ、ウィンザー城内の聖ジョージ(聖ゲオルギオス)礼拝堂に埋葬されました。

前回(エディンバラ)に引き続き、エリザベス2世の最後の旅が回った各地を振り返りたいと思います。

ロンドン

ロンドンは、イギリスの首都です。ロンディニウムとして知られるロンドンの最初の主要な居住地は、西暦47年にローマ人によってテムズ川沿いに創建されました。その後、ロンドンは、11世紀までにイングランドで最大の都市になりました。ロンドンは、イギリス帝国(大英帝国)の首都として栄え、1831年頃~1925年には世界で最大の都市でした。現在も、ロンドンは、世界有数の大都市であり、ロンドンには、世界で最も多くの観光客が訪れます。多様性豊かな大都市ロンドンは、世界の文化と文明に大きな影響を与えて続けています。

バッキンガム宮殿は、イギリス君主のロンドンの宮殿です。

宮殿のはじまりは、1703年にバッキンガム公のために建てられたバッキンガム・ハウスです。1761年にジョージ3世に売却され、王妃の私邸として意図されたので、クイーンズ・ハウスと呼ばれました。1826年にジョージ4世が新古典主義様式の宮殿に改修することを決め、その後、ウィリアム4世が建設を完了させました。宮殿は、1837年のヴィクトリア女王の即位の際にイギリス君主のロンドンの住まいになりました。宮殿の「顔」である東正面は、1847~1850年に建てられ、1913年に現在の形に改修されました。

バッキンガム宮殿の公式諸間は、1993年以降、夏の間(7月末~9月末)および通年の決められた日に一般公開されています。元々は、入場料で得られるお金は、1992年に火災に遭ったウィンザー城の再建に回されました。

有名なバッキンガム宮殿の衛兵交代式は、4月~7月末までは毎日、残りの日は2日に1度、午前中に行われ、多くの観光客が訪れます。

バッキンガム宮殿の東正面の前には金色と純白のヴィクトリア記念碑が立ち、東に向かってザ・マルが走っています。

ザ・マルは、バッキンガム宮殿からトラファルガー広場までの一直線の道です。

ザ・マルは、20世紀初めに式典用の道として想定されるようになり、新古典主義様式の建物が、ザ・マルのために作られました。赤く塗装されたザ・マルは、バッキンガム宮殿への巨大なレッドカーペットです。

ザ・マルを真っ直ぐ東にアドミラルティ・アーチを通るとトラファルガー広場に至りますが、アーチの手前を右折するとホースガーズが左手にあります。

ホースガーズは、ホワイトホール宮殿への入口があった場所に18世紀半ばに新古典主義様式で建てられました。

ホワイトホール宮殿は、16世紀初めにヘンリー8世が取得し17世紀末に焼失するまで、イングランド君主の主たる住まいでした。

現在、国会議事堂広場とトラファルガー広場の間の通りは、ホワイトホールと呼ばれ、国防省や内閣府をはじめとする官公庁が並ぶイギリスの行政の中心地です。

ホースガーズ観兵場では、衛兵交代式が毎日行われています。バッキンガム宮殿の衛兵交代式よりも見学が容易(スケジュールや見物者数等)です。

ウェストミンスター宮殿は、現在は国会議事堂です。ユネスコ世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ならびに聖マーガレット教会を含むウェストミンスター寺院」の構成資産の一つです。

テムズ川河畔のウェストミンスター宮殿の場所は、中世を通して戦略上の要衝で、ソーニー・アイランドと知られました。

エドワード懺悔王が、宮殿を建て、この地はウェストミンスターと呼ばれるようになりました。

現存するウェストミンスター宮殿の最古の部分は、ウェストミンスター・ホールであり、1097年にウィリアム2世によって建てられました。

ウェストミンスター宮殿の王室の住まいの部分は、1512年に火事で破壊されました。その後、ヘンリー8世は、トマス・ウルジー枢機卿から近くの大邸宅(ヨーク・プレイス)を得て、主な住まい(ホワイトホール宮殿)として用いました。

ウェストミンスター宮殿は、公式には王室の宮殿であり続けましたが(今なお、式典の目的のためにイギリス君主に所有されており、王室の住まいとしての元々の地位を保持している)、議会の両議院と様々な王立の法廷によって用いられました。

1605年の11月5日には、国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)を爆破してジェームズ1世(スコットランド王ジェームズ6世)を暗殺しようとする火薬陰謀事件(未遂)が起きました。イギリスでは、11月5日に火薬陰謀事件の主犯者ガイ・フォークスの人形を燃やすかがり火が焚かれ花火が打ち上げられるガイ・フォークス・ナイト(または、ガイ・フォークス・デイ、焚火の夜、花火の夜)で盛り上がります。

なお、ガイ・フォークスは20世紀頃にはポストモダン無政府主義のアイコンとなり、国際インターネットハッキング集団アノニマスのメンバーはガイ・フォークスの顔を模した仮面を使用しています。

国会議事堂は、1834年に火事によって破壊された後、1840~1876年にゴシック・リヴァイヴァル様式で再建されました。

北の時計塔の巨大な鐘は、「ビッグ・ベン」の名でよく知られています。ビッグ・ベンの名前は、通例、時計および時計塔の両方を指します。ビッグ・ベンは、イギリスの最も有名な象徴の一つです。

時計塔の正式名称は、元々「時計塔」でしたが、エリザベス2世の六十年祝典を記念して2012年に「エリザベス・タワー」に改名されました。

ウェストミンスター宮殿の塔は、南のヴィクトリア・タワーは98.5メートル、中央のセントラル・タワーは91メートル、北のエリザベス・タワーは96.3メートルの高さがあります。

ウェストミンスター寺院は、ユネスコ世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ならびに聖マーガレット教会を含むウェストミンスター寺院」の構成資産の一つです。

ウェストミンスター寺院(ウェストミンスターの聖ペトロの参事会教会)は、イングランド国教会の大修道院であり、イギリスで最も重要な教会の一つです。ウェストミンスター寺院は、イングランドと後にイギリスの君主の戴冠と埋葬の伝統的な場でもあります。エリザベス2世の戴冠式は、1953年6月2日にウェストミンスター寺院で行われました。

ウェストミンスター寺院は、ゴシック様式の美しい教会です。ゴシック様式は、縦に細く長く垂直性を重視し尖塔を好む建築様式です。

ウェストミンスター寺院の記録に残る起源は、ベネディクト会修道士の集まりが置かれた960年頃にさかのぼります。

エドワード懺悔王は、1042~1060年にロマネスク様式でウェストミンスター寺院を建て直しました。

征服王ウィリアム1世は、ヘイスティングズの戦いの勝利に続き、1066年のクリスマスの日にウェストミンスター寺院でイングランド王に戴冠しました。

現在のゴシック様式の教会の建設は、1245年にヘンリー3世によって始められ、1517年に完了しました。その後、西側の2つの塔は、1772~1745年にゴシック・リヴァイヴァル様式で建てられました。さらに、再建と修復が、19世紀に行われました。

最後に、グーグル・アース上に3次元で表されたロンドンもご覧ください。

続く

次回は、ウィンザーです。

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