当時20代のわたしの体験
朝9時からの仕事
若いわたしは早めに着こうという考えはなく
ねぼけた感じで通勤していた
その時の仕事場の最寄り駅は
地下鉄から地上に出られる小さな駅
騒ぎは届いておらず
当時は携帯等もないのでいつも通りの朝だった
都心の道路に面する名の知れた小さな駅で
歩いてすぐにいくつかの大きな道路がある立地
駅構内、トイレからでてきた男性ふたりとぶつかりそうになった
朝の通勤時間に大人の男性ふたりがトイレから並んで
大学生っぽいならありえるけど違った
真顔で前だけを見て歩く姿も、服装も
朝の駅で浮いていて気に留まった
一番違ったのはにおい
若い子にはよくあるけど当時のわたしも
警察犬と笑われるくらい嗅覚がするどく
夕方に会った途端
相手が昼休みにズボンの裾に落とした浅漬けの匂いに気付き
少し離れたところで誰かが煙草を吸おうとライターをこすったら
ガス漏れ?というほど
誰もが無関心に通り過ぎる中
わたしの鼻に嗅いだことのない薬品臭がつきささり
咄嗟にハンカチを出して鼻をおさえた
それを見てひとりが立ち止まって
目を細めてこちらを凝視
今思えば薬品がまかれた車両に乗っていたり
見知らぬひとを救護して薬品がついてしまい
具合が悪くなっていたのかもしれない
わたしのことも具合が悪いと思った?
気の強いわたしは
なんだ、あいつと思ったけど
外へ出て急いでそのまま職場へ
午前中は普通に仕事をしていた
今ならスマホや仕事のPCに情報が出てくるだろうけど当時は違う
昼休み、休憩室に行くと何人かがテレビの前に立ったまま
「なにこれ」「噓でしょ」
そこで初めて事件を知った
いきさつは忘れたがその昼休みに福島にいる母親と電話で話した
母親はパニックになり霞が関勤務の弟を心配していた
(わたしをきにかけたことはない)
※後で分かったこと
この日弟はたまたま彼女の家から三田線を使ったので無事
弟の職場でも
わたしの職場でも
無断で出勤してこないひとたちがいたはずだ
若い時ってのは
いつもギリギリすり抜けているし
わたしは特にそうだから
この時もそうだったのかもしれない
仕事や学校に行こうと
避けられない電車に乗っていたかたがた
地下鉄職員のかたがた
職務を全うしただけなのに
被害者同士で助け合って車外へ地上へ出なければ
亡くなったかたはもっともっと多かったと知った
震災でもそうだが日本人の人間力
いい意味でも周りに無関心な東京都心で
有事に自分だけ助かればいいとは思わない強さは
日本人でよかったと思わせられる
警察発表により報道が間違った原因物質を発表したのに
現場では別の方向で治療したからこそ助かったひとがいること
特定前に製薬会社が正しい薬をかきあつめ始めたから間に合った沢山のひとがいること
30年後に知った
その数年前、笹塚に住んでいた頃
駅前に停められた選挙演説カーの上
名前を連呼する歌を流して踊る髪の長い女性たち
紫ともピンクとも着かない色のつなぎや白のつなぎを着ていた
真ん中には元死刑囚が椅子に座っていた
わたしを含め誰も足を留めていなかった
ああいうこと世界中で何度も繰り返されてる
一連の事件の何も悪くない被害者たち
心の虚無を利用された有能な若いひとたち
室内野良カール
虐待・兄妹の中でただひとりリリース・また虐待の
大変な野良時代を生き抜いて来月で19歳
ビス、夏、猫山がなれなかった19歳
生き抜こう