指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『蔣介石日記』

2023年06月02日 | テレビ

中国国民党の指導者蒋介石は、1930年代から日々日記を付けていたそうで、それは今はアメリカのフーバー研究所に保存されいる。

 

                                         

筆書きの原本はまだ、コピーも複写も禁じられいているようだが、その一部に基づき当時の記録が映像で回想された。

まずは、1937年の日中戦争の始まりの盧溝橋事件から。これは、いろんな説があるが、偶発的なもので、本来は双方とも拡大する意思はなかった。

ところが、次の第二次上海事変となると、これは事件の国際化を狙った国民党の挑発で、日本軍の物ではなかった。その証言は、戦後に国民党軍幹部のものがある。

ただし、これは完全な中国の勝利で、日本は大苦戦したのである。

その理由は、ここの映像でも紹介されていたが、中国軍がなんとドイツ軍の指導を受けて、トーチカ戦等の新しい戦術を使ったからだった。第一次世界大戦での、そうした新戦法を知らず、日本は苦戦したのだ。そのことを亀井文夫の映画『上海』で補強しているが、どうせなら山中貞雄の死も、ここで会ったことも描いてほしかったものだ。さらに、文学座の創立者の一人で名優だった友田恭介も、この上海戦で亡くなっていることを付け加えてくれれば最高だったが。実は、私の伯父の一人、父親の弟も、この上海クリークでの戦いから来た病、おそらく赤痢だろう、で亡くなっている。

そのように、満州事変とは異なり、国民党軍は近代化されて、むしろ日本軍よりも先鋭化していたのだが、それにはナチスドイツの力があった。日中戦争中、大体はドイツは、日本よりはむしろ中国側にいたが、その理由は、中国がドイツ製の武器を買ってくれたからで、ドイツは将校団を送って指揮していた。そんなドイツと三国同盟を結ぶのだから、日本はお人よしである。

そして、この上海事変の苦闘が、首都南京に入場したときに、怒りとなって「南京事件」を生む下地になったのである。

それにしても、中国のしたたかさは、到底日本が及ぶところではない。戦争の勝利ためなら、国民党も共産党も、河を切って洪水を起こさせるなど、様々なことをやっている。米国での、反日宣伝など、当然のことで、日本が遅れをとっていたことなどどうかしているのだ。蒋介石の狙いは、日本との戦争を国際化し、英米を引きずり込むことで、それは1941年12月8日の真珠湾攻撃で成功したのだ。

歴史にもしはないが、あるいは日本が米国と戦争せず、そのまま欧州での二次大戦がドイツの敗北、イギリス、ソ連、そしてアメリカの勝利で終わったらどうなったか。

これは、五百旗頭真先生も提起されている、もしもだが。

その時は、日本は中国、満州国問題を抱えていて、戦後のフランスのアルジェリア問題のようになったのではないか、というのが先生のお答えだったと記憶している。

 

 

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